Nicotto Town



左義長


こんばんは!14日(火)は、

西日本日本海側では午後を中心に雨が降り雷雨となる所もあるでしょう。
東日本から北日本日本海側は雨や雪が降り雷を伴う所もある見込みです。
その他の地域は晴れる所が多いものの、
東日本から北日本太平洋側の山沿いでは所により、
にわか雪やにわか雨があるでしょう。

【改めて読んでみたい童話】

A、ムーミンです。

【左義長(さぎちょう)】

☆小正月にあたる1月14日の夜や15日の朝に行われる、
 日本古来の火祭りです。

 路傍(ろぼう)の神である「道祖神」を祀るこの行事は、
 新年を迎える際に設置された門松や注連飾(しめかざ)りを焼き、
 年神様を送り出すという意味合いを持っています。

<概要>

〇左義長

毎年小正月の時期に全国の神社やお寺で開催される左義長です。

@別名

 「どんど焼き」とも呼ばれていて、
 古い正月飾りや御守り、御札をお炊き上げする伝統行事です。

@国や県の無形民俗文化財にも指定

 地域により様々な形式や云い伝えがあり、
 国や県の無形民俗文化財にも指定されています。

左義長とは、小正月に行われる火祭りの行事です。

日本全国で広く見られる風俗で、
門松や注連縄等、正月飾りを持ち寄り、燃やし、
出迎えた年神様を見送りまして、その年の健康や幸福等を祈願します。

地域により名称が異なりまして・・・

・どんど焼き

・鬼火たき

・道祖神祭

このようにも呼ばれています。

開催日も地域により異なりますが、
毎年小正月の時期(1月14日~15日頃)に行われるのが一般的です。

一般的には子供の為の行事であることが多く、
お正月に飾りました松飾り等を集めて焼きまして、
災餅や団子を焼いて災難除けのまじないとして食したりします。

子供達が前夜から藁(わら)等で小屋を造りまして、
飲食をともにして遊びまして、最後に火を燃やす例もあります。

@左義長の火は神聖な火とされまして、以下のような云い伝えがあります

 ・書き初めを焼きまして、火が高く上がりますと書道が上達します

 ・火で焼いた餅や団子を食しますと、
  虫歯にならず、1年を通して健康に過ごせます

 ・火で炙った昆布やスルメを食しますと、1年間無病息災でいられます

 ・火の灰を自宅の庭等に撒きますと、家族が1年間無病息災でいられます

 ・願いごとを書いた紙を燃やしますと、1年間無病息災でいられます

 尚、左義長で燃やせるものや対象品は開催場所により異なる為、
 持ち込む前に必ず確認をします。

@左義長の由来

 左義長の由来は「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれる、
 平安時代の宮中行事からだと考えられています。
 
 ★毬杖(ぎっちょう)

  左義長の語源ともいわれる「毬杖」は、
  平安時代に子供の遊びとして始まりまして、
  後に庶民の間に広まったといわれています。

  木製の槌を付けた木製の杖を振るいまして、
  木製の毬を相手陣に打ち込む遊び又はその杖のこととされています。

  ・振々(ぶりぶり)毬杖

  ・玉ぶりぶり

   このようにも呼ばれました。

  杖には色糸が纏(まと)われていました。

  平安時代の月毎や季節折々の都の様子を描きました、
  「年中行事絵巻」にも「毬杖」が描かれています。

  「毬杖は今日のホッケーのような遊びで、本来は子供の遊戯でありますが、
   時には大人も加わりまして、これを打ち興じたといいます。
   打ち上げた球が眼にも止まらぬ速さで飛んで来る。
   墨で尾を引いて、その速さを表す。
   毬杖に興ずる子供達の腰には、一様にゆずり葉をつけている。

   *ゆずり葉・・・親子草

   代々を譲り、子孫が長く続く、という縁起をかつぐもの」

   このように記されています。

   現在の鏡餅にも橙(だいだい)やゆずり葉が使用されていますが、
   橙は子々孫々(ししそんそん)、
   代々家が続くようにと縁起をかついだものといわれています。

  ☆左毬杖(ひだちぎっちょう)と左義長

   「左毬杖」の語源としては、
   「左器用(ひだりきよう)の転」とされています。

   又「左の手利きたるひとをぎっちょうといえるは、左義長という意」、
   このようにもあります。

   さらに・・・

   平安時代に「毬杖」が様式化されまして「舞楽・打球楽」になった。

   舞楽では舞人が本当の毬杖を右手に持って舞う決まりになっているのに、
   左手に持って舞ってしまった。

   気付いた他の舞人から・・・

   「お前、それは左手にギッチョウじゃないか」

   このように指摘されました。

   それ以来・・・

   左利きや左利きの人のことを、
   「左ギッチョウ(左ギッチョ)」と呼ぶようになったという説もあります。

  ★地名「左義長」と各地の左義長行事

   「左義長町(さぎちょうちょう)という町名は、
   京都府京都市山科区山階南小学校の周辺にあります。

   この「左義長町」のある場所は・・・

   文明10年(1478年)の室町時代に、
   本願寺八世の蓮如(れんにょ)さんによりまして、
   京都府京都市山科区に建てられた、
   「山科本願寺・寺内町」の土塁の内側に位置しています。

   当時の資料に・・・

   「富貴に及び、栄華を誇る。
    寺中広大無辺にて荘厳さながら仏国のごとしと云々」

   このように述べられています。

   応仁の乱後(1467年)後は、荒れ果てた同じ京都の地です。

   地名辞典によりますと・・・

   「小正月に行われる火祭りの行事である左義長が町名になったのであろう。
    京・大阪では比較的、とんど・どんど・どんど焼きと
    呼ばれることが多い。
    この地が山科本願寺の外寺内に当たることと、
    近江から越前にかけては左義長と呼ばれることが多いことを、
    考え合わせると、その人達(寺内町の人々)によって、
    寺内町で行われた行事に由来する可能性が高い」

   このように述べられていまして、
   今後も更なる調査や研究が進められまして、
   より詳しいことが解ることが期待されています。

問題 平安時代に宮中で正月に行われた、
   打毬(だきゅう)と呼ばれる遊戯で使用する、  
   毬杖(ぎっちょう)という道具がありました。

   次の文章の中の〇〇に入る言葉を教えてください。

   三毬杖は打毬で破損した毬杖を3本束にしまして、
   青竹を束ねたものに結びまして、
   その上に扇子や短冊等を吊るしまして、
   〇〇師が謡(うた)いはやしながら、これを焼いた行事でした。

   毬杖を3つ結んだことから、三毬杖・三木張等と記されまして、
   やがて左義長とよばれるようになったと考えられています。

1、杣工(そまこう)

2、陰陽(おんみょう)

3、馬寮(めりょう)

ヒント・・・〇〇〇学説

      地上にある全てのものには「〇」と「〇」があると考え、
      人間の体の状態や治療又は養生にも利用されるものです。

      季節で考えますと・・・

      春から夏にかけては「〇」に向かっていきますが、
      夏から冬にかけては「〇」に向かっていきます。

      @人を「〇〇」に分け、お腹は影、背中は太陽の光があたる

       お腹は「〇」で背中は「〇」です。

お分かりの方は数字もしくは〇〇に入る言葉をよろしくお願いします。

   

 

 












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