『べらぼう 第2回目』いま、観終わりました
- カテゴリ:テレビ
- 2025/01/13 15:10:09
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3連休中の日曜は録画がたっぷり溜まり出しました。
冬ドラマ初回分もまだ残ってまーす。
では、第2回目視聴後の考察します。
・初回、火事場で救った唐丸は大きくなってるね。きっとキーマンになる予感。
・鬼平の「紙花」1枚2万円 ✖ 何百枚だあーーー???
・今回は、ありがた山のとんびがらす?まあ慣用句の口癖?
しかし、語尾のありんす~は疲れるねえ。
・札差はいまの農協?
・まゆ毛は既婚も思うと納得、納得。
・平賀源内、もうカミングアウトですが、ドラマ内ではすんなり馴染んでんだあー。
・菊之丞は昔、男性花魁としてあの店に居たってこと?
・サブタイトル「嗚呼御江戸」も今回のセリフからでした。
今後もこのパターンかな。
・さて「御三卿」と出ましたが、今さらですが、「御三家」とイコールだったっけ??
・石坂浩二 対 渡辺謙 冒頭のキャスト順番を意識して、火花が散ってるだろうなあー。
何だか、お家騒動の伏線バラまきと登場人物顔合わせ回だった気がします。
呪詛は無いから、何がもめるんだろう?
民放が出揃うと、また日曜日の夜はきつくなりそ。
かな?
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了解しました。
またまた毒殺のにおいですか・・・。
そこに各老中が絡み合うんでしょうねえー。
さあて、蔦重と並行してどうなるか、お手並み拝見。
時代が下るに従って「御三家」も養子で家督を繋ぐ様になっていきますので、「御三家」から将軍後継を出す事が難しくなって「御三卿」が設立された、とも考えられます。
将軍家の後継は、ドラマの現時点では十代家治の嫡男家基がまだ健在の筈なので、問題は起きていない筈です。
後継問題が起きるのは、1779年に家基が急死してからですね。
暗殺説が出るほど、その死は突然でした。
うーーーむ。
実は『どうする家康』の頃、御三家についてご講義頂いたんでしたっけ・・・。サボって遡って復習せずごめんなさい。
御三家は将軍家維持用の傍流の血筋。御三卿はそれより格下の部類で、有力家の血筋補填用パーツってこと??
前回、この「御三卿」が勢ぞろいして不穏な雰囲気の伏線を張ってたのはなぜ??
将軍家の後継ぎの危機なら、御三家登場!!で解決なのでは??
きっとこれから吉宗固有の血筋ラインのもめ事が起こる?ということかあー?
あっ、早速のご解説だ!!
明日の外出前に勉強できて感謝、感謝です。
まず「瀬川」の名前のウラには、ほんとに史実の裏付けがあるんだ。今期は「光る君へ」時代とは違って、ここまで細かい事実も残ってるんですね。
紙花ほか遊びひと晩の額と病死の朝顔の対比で、いっそう「格差社会」を見せつけて来ますね。
元吉原時代の遊女のランクは、最高位が「大夫」で次位が「格子」、次いで「散茶」となっていましたが、新吉原時代になると大夫と格子は姿を消し、散茶が最高位となり花魁と呼ばれる様になりました。
語源は妹分の振袖新造(ふりそでしんぞう/花魁候補)や禿(かむろ/遊女見習い)から「おいらの姐さん」と呼ばれていたものが「おいらん」に変化した、とされています。説の一つだとは思いますが。
花魁にもランクがあって、「呼び出し昼三」「昼三」「付け廻し」と呼ばれていました。
蔦重の幼馴染である花魁花の井は、最高の「呼び出し昼三」ですね。
「御三家」と「御三卿」は全く別です。
御三家は、徳川家康の息子である義直(尾張)、頼宣(紀伊)、頼房(水戸)の家系が将軍家に次ぐ家格として他とは別格とされたもの。
「御三卿」は八代徳川吉宗の息子である宗武(田安家)、宗尹(一橋卦)と旧題徳川家重の息子である重好(清水家)が該当します。
「御三卿」は「御三家」とは違って藩を形成せず、将軍家や御三家他の大名家に後嗣(跡継ぎ)がいない場合に後継者を提供する役割を持ちました。
石坂さんが演じる松平武元(まつだいらたけちか)と謙さん演じる田沼意次は、とりたてて対立関係にはありません。どちらかといえば協調関係?
まぁ、ドラマではわかりませんが。
年齢差による齟齬はあったかもしれませんね。
唐丸はドラマオリジナルのキャラクターの様ですが、将来はもしかしたら超有名絵師になるかもしれませんね。
謎の絵師とされる、東洲斎写楽の幼い頃だったら面白いかも?
鬼平の「紙花」
紙花は吉原の独自の伝統行事です。
一枚が一分(いちぶ)相当で。四分(よんぶ)が一両で現在の10万円前後相当なので、紙花1枚は2万円~2万5千円相当ということになりますね、
ちなみ、吉原で高級遊女である花魁の馴染みになるには、まず「初回」、次に「裏を返し」て三回目でやっと「馴染み」になる、という手順が必要です。
「馴染み」になった際にご祝儀として「紙花」をばら撒く訳ですね。
「紙花」はその後現金化できた筈。
「ありんす」言葉に代表される廓言葉(くるわことば)は、吉原独自の標準語の様なものです。
遊女たちは日本全国の各地方から女衒(ぜげん)によって買い集められて来ますので、それぞれに染み付いた方言要するに訛りがあります。そのままでは客との会話もままなりませんので、まず最初に廓言葉を覚え込まされたらしいです。
札差は米を現金化してくれるので、今で言う農協的な面は確かにあると思いますが、どちらかと言うと金融業の方ではないでしょうか。
平賀源内が男色家だったのは有名な話なので、今更カミングアウトも無い気がします。
歌舞伎の女形役者である二代目瀬川菊之丞との関係も有名ですし。
二代目瀬川菊之丞は歌舞伎の演目「鷺娘」の振り付けを作り上げた最初の人の筈。ただ当時の振り付けは既に失われていて、現代の「鷺娘」は9代目市川團十郎が復活させたものですね。クラシックバレエ「瀕死の白鳥」の影響を受けているとかなんとか…
上記の如く、菊之丞は役者であり男性花魁ではありません。というか、男性の花魁という存在自体ありません。
男娼専門の店自体は何軒もあった様ですが、吉原内にんはありません。
吉原に存在したのは「瀬川」という名跡を継いだ花魁で、既に落籍(見受け)されて吉原から去っています。
役者の「瀬川」菊之丞と花魁「瀬川」は「瀬川」という名は同じでも全く別の存在です。
話に出てきた「瀬川」という花魁は、元吉原時代の高尾太夫に匹敵するくらいの名妓だった様で、歌舞音曲・茶の湯・和歌俳諧・香道、果ては双六・蹴鞠迄嗜んでいたそうです。
ちなみに元吉原とは、吉原が最初に作られた現在の日本橋人形町辺りの事で、