スキーの日/スキー記念日
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- 2025/01/12 16:43:00
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こんにちは!九州は大雪に注意。
四国から関東甲信は曇りで雨や雪が降る所も。
北陸から北海道は晴れ。
沖縄は晴れ。
気温は平年より低い所が多い。
【スキーの日】 Ski Day
☆1月12日は「スキーの日/スキー記念日」です。
 1911年のこの日、新潟県上越市において、
 オーストリア=ハンガリー帝国軍の、
 テオドール・エドラ―・フォン・レルヒ少佐が、
 日本で初めてスキーを伝えたことが由来です。
 《テオドール・エドラ―・フォン・レルヒ》さん
  Theodor Edler von Lerch
 1869年8月31日ー1945年12月24日
 オーストリア=ハンガリー帝国の軍人で、最終階級は陸軍少将です。
 日本で初めて、本格的なスキー指導を行った人物です。
 訪日時は少佐で少佐の時にスキーを日本に伝えた為、
 日本国内では一般的に「レルヒ少佐」と呼ばれています。
 後に中佐に昇格した後、
 日本各地を周った為、北海道等では「レルヒ中佐」と呼ばれています。
 西ドイツで国防相、追放者・難民・戦災者相、
 ドイツ連邦議会議長を務めたカイ・ウヴェ・フォン・ハッセルさんは、
 母方の甥にあたります。
 〔出世とスキー〕
  1869年にオーストリア=ハンガリー帝国を構成している、
  ハンガリー王国北部のプレスブルクの軍人の家庭に生まれました。
  *プレスブルク・・・現:スロバキアの首都ブラチスラバ
  幼少期の愛称は「テオ」さんです。
  10歳の時に福音学校に入学します。
  それから3年後に家族はプラハに移りますが、
  レルヒさんは一人ウィーンのギムナジウムに転学します。
  ≪ギムナジウム≫ Gymnasium
   ヨーロッパの中等教育機関です。
   標準ドイツ語ではギュムナーズィウムの発音がより近いです。
   日米の「単線型」教育制度に対します。
   主にヨーロッパの「複線型」教育制度の、
   いわば根幹を成す存在ともされています。
   国によって微妙に名称が異なるが、
   今回は一括してギムナジウムとします。
   高等教育への進学準備を目指す過程であり・・・
   ・グラマースクール
   ・シックスフォームカレッジ
   これらイギリスのカレッジに相当します。
   日本でいいますと中高一貫教育に近いです。
   例外として・・・
   ポーランドにて1999年から2019年の間に存在していた、
   ギムナジウムは、13~16歳を対象する3年過程であり、
   義務教育に位置付けられていました。
  それから3年後・・・
  家族のいるプラハに行き、ドイツ系ギムナジウムに転学します。
  生活態度は極めて真面目で、3年間首席を通しました。
  1888年ウィナー・ノイシュタットのテレジア士官学校に入学し、
  1891年少尉に任官します。
  奇遇にも父が勤務していたプラハの歩兵第102連隊に配属先されました。
  配属島嶼から知的才能で責任感があり、
  知識や指導力に秀でて、上官や部下への人当たりも良く、
  勤務評定で高い評価を得ていました。
  1894年10月、士官学校の幕僚育成コース試験に合格します。
  教育課程修了後・・・
  ・チェルノヴィッツの第58歩兵旅団附参謀
  ・レンベルクの第11歩兵師団附参謀
  ・マロシュヴァ―シャールヘイの第62歩兵旅団第5分遺中隊附
  これらを経て・・・
  1900年インスブルックの第14軍司令部附参謀になりました。
  この山岳地帯の同地で、
  ビルケリー大尉が行っていたスキー訓練に興味を持つようになります。
  1902年11月に戦争大臣の交代とともに、
  戦争省参謀本部作戦行動反附に抜擢されます。
  1902年12月にアルペンスキーの創始者である、
  マティアス・ツダルスキーさんに師事します。
  ≪リリエンフェルト・スキー術 急峻なアルプスの山地に適した滑り≫
   1896年(明治26年)にマティアス・ツダルスキーさんんが、
   「リリエンフェルト・スキー滑降術(山岳スキー術)を公表します。
   《マティアス・ツダルスキー》さん
    Mathias Zdarsky
   1856年ー1940年
   2~5日で実用レベルが上がると、技法にも確信を持ちます。
   ツダルスキーさんが最初の金属締具のリエンフェルト式締具を考案します。
   1893年(明治26年)又は1895年(明治28年)、
   フリッツ・フィットフェルトさんによる、
   フィットフェルト式締具の説もあります。
   ・短めのスキー
   ・溝無しの滑走面
   ・2本杖から1本
   このように改良し、
   それまでの2本杖のノルウェー流の格好技術には無かった、
   シュテムによる技術体系を確立します。
   急峻なアルプスに適した低い姿勢と回転技術は・・・
   ・ブルーク・ボーゲン
   ・シュテム・ボーゲン
   このように呼びます。
   転倒は山岳地の滑降では生命の危険をもたらすものとして・・・
   ・低速度
   ・多回転
   ・用杖技術
   このように固執します。
   1911年(明治44年)に高田歩兵連隊(新潟県)に配属された、
   レルヒ少佐がスキー専修員(青年将校10名、或いは14名の説もある)に
   教授したのも、ツダルスキー方式による、
   「リリエンフェルト・テクニック」です。
   このスキーの特徴は長大なノルウェー式と比べて全長が短く、
   締具が頑丈で山岳地の急斜面の滑降に適していることです。
   *全長が短く・・・手を伸ばして先が握れるくらい
   そして、ストックが一本の杖であることが挙げられます。
   ストックはスキーよりも少し短めで、
   鉄製の石突きが付いていますが、ストックリングはありません。
   1922年出版のある書籍によりますと、
   ツダルスキーの一本杖は竹製で長さが約180cmの記載があります。
   レルヒさんはツダルスキーから直に、
   リエンフェルト・スキー術を学んだ高弟です。
問題 次の文章の中の〇〇〇の中に入る山名を教えてください。
   1911年(明治44年)1月12日に歩兵第58連隊の営庭を利用し、
   鶴見宣信(つるみよしのぶ)大尉ら、
   14名のスキー専修員に技術を伝えたことが、 
   日本での本格的なスキー普及の第一歩とされています。
   これに因み、毎年1月12日が「スキーの日」とされています。
   4月にはエゴン・フォン・クラッツァーとともに、
   〇〇〇でスキー滑降を行っています。
   *エゴン・フォン・クラッツァー:
    (Egon Edler von Kretzer)・・・別名:クラッセル
1、富士山
2、栗駒山
3、苗場山
ヒント・・・〇〇〇〇8合目からのスキー滑降を行う
      エゴン・フォンドラー・フォン・クラッツアーさんと、
      レルヒさんは1910年(明治43年)4月に、
      〇〇〇の8合目からスキー滑降を行いました。
      @〇〇〇8合目  標高3100mに太子館(たいこかん)さん
       夕食には山小屋の定番メニューであるカレーライスだけではなく、
       おかずも用意されています。
お分かりの方は数字もしくは〇〇〇に入る山名をよろしくお願いします。


 
		































そうですね、CS放送「J SPORTS」のスキー番組でも、
解説者が今年は各地の積雪量が多いと述べておいででした。
あまり多すぎるのも滑りにくいのですけどね(苦笑)
あとは視界が良好で、気温ですね。
気温が高すぎても危険ですし、低すぎると肺をやられることもあります。
ただ、確かに積雪が多いはスキー関係は活性化することが多いですね。
スズラン☆さんもスキーはお好きなのですか?
ジャンプW杯は札幌と蔵王で開催予定なので、
宜しければご視聴をいかがでしょうか!?
スキー客で活性化するでしょうね♪
かげねこちゃん、疲労のあるなか、コメントとお答えをありがとうございます。
そうですか、調べてくださりましたか。
感謝ばかりです。
おおお~、問題ですが素晴らしいですね。
1番の富士山が大正解です。
どうもおめでとうございます(祝)
やっぱり富士山、スキーでも富士山とは私も敬服ばかりです。
流石は富士山、日本一の山ですね。
現在、だいぶ冷えていませんか?
該当の場合は体調を崩しやすいですので、しっかり防寒をしておやすみください。
今週もお世話になりました。
来週もどうぞよろしくお願いします。
今回は、太子館のヒントを付け足してくれたので調べられました。
1.富士山
では如何でしょうか?