洋服記念日
- カテゴリ:ファッション
- 2024/11/12 00:18:01
こんにちは!12日(火)は、西日本から東日本は概ね晴れるでしょう。
北日本は昼前頃から雲が広がり、
午後は日本海側を中心に雨が降り雷を伴ったり雪の混じる所がある見込みです。
南西諸島は雲が広がりやすく、所によりにわか雨や雷雨がありそうです。
【忘れられない先生】
A、小学校の先生で怒らずに理由を聞いてくれる人です。
【洋服記念日】 ようふくきねんび Clothing Day
☆世界に対して日本の礼服は、
和服から洋服へと変更したことを告げた日となりました。
2022年は日本で洋服が誕生してから150年を迎えました。
つまり、2024年11月12日で152年目になります。
明治5年(1872年)11月12日に・・・
「洋服二ハ洋服ヲ採用ス」
このような太政官布告が出されました。
「大礼服及通常礼服ヲ定メ衣冠ヲ祭服ト為ス等ノ件」
明治5年太政官布告
国家の官僚が従来の衣冠(いかん)や狩衣(かりぎぬ)といいました、
日本古来の装束ではなく、
西洋の王室で用いられるのと同じような礼服へと改めました。
◆衣冠
・平安時代以降の貴族や官人の宮中の勤務服です。
・束帯(そくたい)の着方を変えただけのものです。
束帯の下着類を大幅に省いています。
又、石帯(黒皮製の帯)は用いません。
・宮中での正装としても使用されるようになりました。
・「宿直(とのい)装束」と呼ばれています。
◇狩衣
・平安時代以降の公家の普段着で、元々は狩り用の衣です。
・烏帽子(えぼし)を被(かぶ)ります。
『烏帽子』
平安時代の貴族は寝る時にも帽子を被っていました。
・男性:男性貴族は「烏帽子」と呼ばれる、
黒い布製の帽子を被ることが一般的でした。
烏帽子は公家や武士が室内外を問わず着用していたもので、
寝る時にもこれを被っていたとされています。
・女性:「夜具(よぐ)」と呼ばれる、頭を覆う布を使用していました。
この習慣は当時の貴族社会において、
身だしなみを整えることが重要視されていた為であり、
寝る時でもその規範が守られていたことを示しています。
●平安時代の貴族が烏帽子を脱ぐ時
1、入浴時 :入浴や洗髪の時は、烏帽子を脱いでいました。
2、就寝時 :烏帽子を被ったまま寝ることが一般的でしたが、
(特定の状況) 特定の儀式や体調不良等の場合には、
外すこともありました。
3、病気や怪我の時:体調が悪い時や怪我をした時には、
看病や治癒の為に烏帽子を外すことがありました。
4、正式な儀式や :葬儀や特別な宗教儀式、
特別な場面 神事等で場合によりまして、
頭を覆うものを外すことがありました。
これらの状況以外では、
貴族達は基本的に烏帽子を着用し続けていました。
烏帽子は彼らの身分や社会的地位を示すものであり、
常に整った姿勢を保つ為の重要なアイテムでした。
●平安時代の貴族が烏帽子を重宝した理由
1、身分と :烏帽子は貴族の身分や、
地位の象徴 地位を象徴する重要なアイテムでした。
2、礼儀とマナー :当時の貴族社会では、
身だしなみを整えることが、
非常に重視されていました。
烏帽子を着用することは、
礼儀やマナーの一環として捉えられていて、
公式の場や他者と対面する際は、
必須とされていました。
3、外見の整え :烏帽子を着用することで、
髪型や外見を整えることが出来ました。
特に貴族の男性は、
長い髪を結い上げる習慣がありまして、
烏帽子はその髪を固定しまして、
整った外見を保つ為の重要な役割を果たしました。
4、宗教的・ :烏帽子は単なるファッションアイテムではなく、
儀式的意味 宗教的・儀式的な意味を持っていました。
神事や祭礼等の宗教的儀式においても、
烏帽子は重要なアイテムとされていまして、
神聖な場での礼儀として、
重んじられました。
5、習慣と伝統 :長い間に渡る習慣と伝統も、
烏帽子が重宝された理由の一つです。
貴族社会において、
代々受け継がれてきた風習として、
烏帽子の着用は自然と尊重されまして、
維持されてきました。
これらの理由から平安時代の貴族にとりまして、
烏帽子は非常に重宝されまして、
日常生活や特別な場面において、欠かせないアイテムとなっていました。
・冠を被って宮中に上がることが出来ない。
・束帯の下襲(したがさね)の生地を使用した、
帯を替帯として使用します。
・次第に神官の正装にもなっていきました。
昭和4年(1929年)に、現在の東京都洋服商工協同組合さん。
昭和47年(1972年)に全日本洋服協同組合連合会さんが、
11月12日を「洋服記念日」と制定しました。
問題 最初に洋服を着用した日本人名を教えてください。
日本人で最初に洋服を着用した人物は、
土佐高知藩の漁民です。
伝蔵さん、五右衛門らさんといわれています。
この方は天保12年(1841年)1月に漁に出航しましたが、
強風により、遭難します。
伊豆諸島の鳥島(とりしま)に漂着します。
植物採取に鳥島に寄りましたアメリカの捕鯨船、
ジョン・ハウランド号により、救助されまして、
ハワイを経て、この方はアメリカへ向かいます。
1、坂本龍馬 さん
2、板垣退助 さん
3、中浜万次郎 さん
ヒント・・・〇この方
1827年1月27日(文政10年1月1日)-
1898年(明治31年)11月12日
弘化3年(1846年)にこの方は、
伝蔵さんと五右衛門さんに再会しまして、
嘉永4年(1851年)に3名は日本へ帰国します。
3名は長崎奉行から尋問を受けまして、所持品の検査を受けます。
@この方の所持品
・木綿筒袖襦袢(もめんつつそでじゅばん)
・天鵞絨(ビロード)
・木綿刷合胴着(どうぎ)
@伝蔵さんと五右衛門さんの所持品
・羅紗(らしゃ)筒着物
・毛織羅紗袖着物
お分かりの方は数字もしくは最初に洋服を着用した日本人名を、
よろしくお願いします。
本日もお忙しいなか、こうしてコメントとお答えをありがとうございます。
なるほど~、昔の日本人の慣習に精通しておいでで勉強になります。
どうもありがとうございます。
そうですか、お香が定着しませんでしたか。
あはは、そうですね、定着しましたね。
少し現在は足の病気(外反母趾)等による弊害で悩んでいる方がおられませんか?
時々、TV等、ニュースで報道されたりしています。
最悪は、頭痛が起きたり、骨が変形して手術ですね。
そうなると、せっかくのハイヒールも台無しなので、どうか?ですよね?
そうした問題を解決した、幅広のハイヒール等であればどうか?ですが。
今度は見栄えでしょうか?
問題は3番の中浜万次郎さんですね。
どちらかというと?こちらの方が有名なのではありませんか?
ジョン万次郎さん。
陽射しが無くなり、冷えてきてはいないでしょうか?
該当の場合は冷えるとお身体に影響が出ないとも限らないですので、
暖かくしてお過ごしくださいませ。
お香や椿油が発達して、当時はお洒落として日常で使われていたのは、
ヨーロッパのハイヒールに似てるなと思ったけど、
洋服のお陰で、髪をカットして、洗髪が普通になり、
お香が定着しませんでしたね。
その代わりヒールが定着して複雑な気分になりました(笑)
答え 3