そばの日
- カテゴリ:占い
- 2024/10/31 16:53:32
ニコットおみくじ(2024-10-31の運勢)
こんにちは!高気圧に覆われ、日中は九州から北海道まで広く晴れる。
夜は九州、四国の所々で雨。
沖縄は曇り。
最高気温は全国的に平年より高い。
【そばの日】 蕎麦の日 Buckweat noodles Day
☆日本そばの日は毎月末日で、
江戸時代の商人達が月末に食したという風習に由来しています。
<概要>
〇2024年出石(いずし)そばまつり
長野県の上田藩に由来して蕎麦が有名になりました兵庫県豊岡市出石地区で、
新そばまつりが開催されました。
出石は「但馬(たじま)の小京都と呼ばれまして、古い町並みが残っています。
@出石そばの歴史は殿様が連れてきた、信州上田のそば職人から
兵庫県では「揖保乃糸(いぼのいと)」で知られる、
播州(ばんしゅう)のそうめんとともに、
豊岡市の名物である、出石そばがご当地麺類の代表格となっています。
★揖保乃糸
播磨(はりま)の小京都、龍野(たつの)で生まれました。
手延べそうめん「揖保乃糸」は厳選した小麦と赤穂(あこう)の塩を原料に、
そうめん作りに適した豊かな気候風土に育まれてきました。
およそ600年受け継がれる伝統の手延べ製法で、
幾度も熟成を重ねながら、職人が丹精込めて作り上げた播州地方の名物です。
[兵庫県手延素麺協同組合]さん
住所 :兵庫県たつの市龍野町富永219番地の2
電話番号:0791-62-0826(代)
〔播州のそうめんづくりの始まり〕
播州地区でのそうめんの生産の歴史は古く、
斑鳩寺『いかるがでら「揖保郡太子町(いぼぐんたいしちょう)」』の
古文書「鵤庄引付(いかるがのしょうひきつけ)」(1418年)に、
サウメンの記述が伊和(いわ)神社さん、
宍粟郡一宮町(しそうぐんいちのみやちょう)社殿造営の祝言に、
そうめんを使用する(1461年)等に記録が見られます。
≪鵤荘引付≫
播磨國にある法隆寺領の荘園(しょうえん)である鵤庄を支配する上で、
執務の便宜の為に政所(まんどころ)が代々書き継いだ記録です。
本書は天文10年(1541年)の寺焼亡の難を逃れた、
記録類と取り集めて一冊にしたもので、
応永5年(1398年)から天文14年(1545年)までの、
中世後期における百姓逃散、勧進猿楽等の記事がみえまして、
村落生活の実態を知る上で、貴重な史料です。
播州でそうめんづくりが本格的になったのは、
江戸時代の安永頃(1771年~1780年)だと考えられていまして、
当時は龍野藩の「許可業種」として奨励されていたようです。
又、伝統の「揖保乃糸」の産地化は、
龍野藩が著名な産物の保護育成を始めた、
文化年間頃(1904年~1818年)からだと考えられています。
麺類といえば専(もっぱ)ら関東ではそば、関西ではうどんが人気です。
実は出石のそば打ちは信濃(現:長野県)の上だから伝わったものです。
江戸時代中期の1706年、
それまで出石城主を努めていました松平氏に代わりまして、
上だから仙石政明(せんごくまさあきら)公が赴任しました。
そば好きの政明さんは、わざわざ地元のそば職人を連れてきたのです。
出石でも現在も続く40数軒の店舗のそば店の中には、
上田出身者の子孫もいます。
《仙石政明》公
万治2年3月1日(1659年4月22日)ー
享保2年6月6日(1717年7月14日)
信濃上田藩主仙石氏の一族である、
仙石忠俊(ただとし)公の長男としてご誕生されました。
父の忠俊公は2代藩主の仙石政俊(まさとし)公の世嗣(せいし)です。
寛文7年(1667年)2月に政俊公は早世なされた為、
政明公が祖父の政俊公の養世嗣になりまして、
寛文9年(1669年)2月25日に政俊公が隠居すると家督を継ぎました。
しかし・・・
幼少の為、実験は政俊公が握っていました。
藩主就任の時、政俊公の弟君である仙石政勝(まさかつ)さんに、
2000石を分与した為、上田藩は5万8000石となりました。
寛文12年(1672年)12月28日、従五位下・越前守に叙任します。
延宝2年(1674年)7月に政俊公が死去しますと、
仙石政勝さんや松平光勗(みつひろ)公らの補佐を受けました。
藩の財政がこの頃から行き詰まりました為、
延宝3年(1675年)7月に上米・倹約令等を出しています。
元和元年(1681年)には酒井忠能(ただよし)公の改易によりまして、
駿河田中城受け取り役を努めました。
又、元和元年に上野沼田藩のお家騒動と改易に伴いまして、
真田信利(のぶとし)公の三男である、栗本直堅(栗本外記)さんと、
四男の真田辰之助さんを預かりまして、上田城内の空き屋敷に軟禁します。
*元禄元年(1688年)に赦免(しゃめん)
貞享元年(1684年)には越後高田城在番を努めています。
貞享3年(1686年)と元禄15年(1702年)の2度に渡りまして、
上田城の修築工事を行っています。
宝永3年(1706年)1月28日、
上田藩から但馬出石藩へ移封(いほう)されました。
享保2年(1717年)6月6日に死去します。
男子6人が全て早生しました為、
分家の政房(まさふさ)公を養子にして跡を継がせました。
〔出石城は2つ〕
仙石政明公が居を構えた出石城は明治期に取り壊されまして、
稲荷台、本丸、二の丸等の石垣のみが出石町に残っています。
この地に城が築かれたのは1604年のことで、
実は戦国時代まで南東の山頂にあります、
有子山城が出石城と呼ばれていまして、出石城は2つありました。
@出石新そばまつり(令和6年)開催概要
期間 :2024年10月30日(水)~31日(木)
時間 :10:00~16:00
*最終日は売り切れ次第終了
会場 :兵庫県豊岡市役所出石振興局前イベント広場
場所 :兵庫県豊岡市出石町内町1-1
☆新そばの提供
内容 :地元産の新そば粉を使用した・・・
・採りたて ・挽きたて
・打ちたて ・茹がきたて
これらの「4たて新そば」を味わうことが出来ます。
価格 :1人前:700円(5皿+薬味)
その他:お土産用の新そば販売
問題 出石そばの特徴と食し方についてですが、
次の文章の???に含まれる薬味を教えてください。
出石そばは蕎麦の実を外側の殻ごと石臼で挽いた風味の、
強い挽きぐるみの蕎麦粉を使用しまして、
薬味にはとろろ、ネギ、山葵(わさび)、大根おろし、
???が含まれます。
現在ですが、盛りつけは白磁の出石焼の、
小皿5枚に分けた状態で提供されています。
1、卵
2、魚粉
3、山椒
ヒント・・・〇???
1皿目:お皿に盛った蕎麦の上にネギと山葵を載せて、
直接汁をかけて食します。
2皿目:猪口に???を溶きまして、汁と蕎麦を入れて食します。
3皿目:とろろの半分を猪口に入れまして、
蕎麦を入れて、掻き混ぜて食します。
お分かりの方は数字もしくは〇に含まれる薬味をよろしくお願いします。
11月月初の日をお疲れ様です。
ああ~、そうですよね?関西は確かに「うどん」文化の方がですよね。
あはは、はい、我が家も「揖保乃糸」です。
いつもお世話になっています(礼)
やっぱりコシがありませんか?
そのまま、ずるずるずるっと今年も食で助かりました。
問題ですが1番の卵ですね。
おお~、なるほど~、うずらですか?
うずらとは、美味しいでしょうね。
そうですか、見かけなくなりましたか。
こちらは東なのでお蕎麦に卵は見かけませんね。
素晴らしい文化で美味しそうですので、次回(来年!?)挑戦してみたいですね。
今夜はお天気が崩れる所もありそうですので、
該当の地域の場合は、気圧の変化で体調を崩さないようにお過ごしくださいませ。
そうめんと言えば、揖保乃糸です。
他の三大地域のも食べますが、
一番好みです。
答え 1
卵はうずらですよね。
最近こちらでは見かけなくなったかも?