ミニ母の一生⑤
- カテゴリ:タウン
- 2024/10/27 17:46:57
仮想タウンでキラキラを集めました。
2024/10/27
集めた場所 | 個数 |
---|---|
ニコット山 | 3 |
教会広場 | 3 |
私の知っている限りではデパートに勤務する父の収入がほぼ中心だった。
母が結婚した時はどうだったのか、…ともかくその頃は生涯独身ですごした父の姉、私たちがおばちゃんと呼んでいたーーが家計を握っていた。
このおばちゃん母には意地悪と言うか冷たかった。
そのおばちゃんが家計がにっちもさっちもいかなくなり母へバトンタッチした。
渡されて母、吃驚ーー米粒の一つまでもなくなっていたと言う。
母は、負けず嫌いの精力家、また誰でもなんとかうまく付き合っていく心の広い人だった。
そこで泣き言をいう母でない、ーー自分の実家から米、野菜を援助してもらい工面を乗り越えてきた。それは私が少し大きくなっても続いていたのでわかる。
苦労を苦ともしない人だった。覚えているが夜電灯に布をかけ雑巾作りの内職をしていた母… おりしも共働きが出始め、当時かぎっ子と言う言葉が生まれ、親が家にいない子供は、不良になるとか…そんな風評が起きた時代だ。
子供に手をかからなくなったし、働きに出ると母、仕事探しに取りかかったが…
そこで一大騒ぎが…周囲のもう反対が起こった。
特に反対したのはおばちゃんだ。「子供の面倒なんてできない」と。
おばちゃん、私もそうだが少し意固地のある人、そして偏見と…まあ人はいいのだが…
仕事を持ってきた、ここに母を世話した人が「とんでもないところに世話したな」と母にわびたとか…
ともかく周囲の反対にめげず母は働きに出た。昼休み家に戻りお昼の用意をし、もうがむしゃらと言う言葉そのものだ。
私は今悔やむ。なんで私が家事の手伝いをするから働いて、と言えなかったのか…。貧しいければ普通そう言うよね。そんなことちっともともわかろうともしない甘えん坊だった。