Nicotto Town



10/27 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2024/10/27
キラキラ
集めた場所 個数
ニコット山 3
教会広場 5

4択  「ココア


キラキラ  「ニコット山」茂み

     「教会広場」バス停 道路

4択  コタツで飲みたい温かい飲み物は? → ココア



コタツにみかん。
コタツにアイス。
コタツーー!!!
喉が乾くものだからな。
そして移動を禁止するものだ。
「誰か代わりにトイレいってきてーー!」って言いたくなるアイテムだ。

部屋全部を暖かくする欧州に比べて、コタツで暖をとっていた日本人、地球に優しい!
江戸の将軍様は火鉢で暖。
コタツの唯一の欠点は「見た目が間抜け」だからな。
将軍様は使えないのだ。
見栄を張るって大変だ。
武士は喰わねど高楊枝のTOPは、寒くてもコタツ禁止!

コタツはいつできたのか?
わからないのだが、600年前の室町時代に原型があったらしい。
火鉢や、囲炉裏などの上にやぐらを組み、その上に衣服を乗せて足を温めていたらしいのだ。
「徒然草」に「家の作りは夏をむねとするべし」とあるように、夏のあっつーーーーい季節を少しでも居心地よくするように建てられていた。

愚弟によると弥生時代に大陸・半島由来の冬をむねとした家が少数みられるらしい。
が。
すぐに消える。
うん、きっと耐えられなかった。

ゆえに日本では風がすーーすーーとおる家がいいとされた。
冬にその風は冷たい・・・もう凍えるぐらい冷たい。

なのでなんとか少ない燃料が消えるまでに少しでも暖かく過ごせるようにと工夫したのがコタツの原型らしい。
それがじわじわと広がり、一般庶民まで使えるようになったのは江戸時代。
一般人でも家に畳を入れることができるようになったのだ。

忍藩(現在の埼玉県)の下級武士、尾崎石城が記した「石城日記」には当時の武士の暮らしが文字と簡易な絵で描かれているのだが、そこにはこたつに当たる彼らの様子が描かれている。
1人の人は、コタツに下半身を埋めてごろんと寝ている。
現代と一緒かーーー!!

幕末に描かれたこの日記では、こたつの上にはちゃんと1枚布が置かれている。
幕末には綿産業が発達していて、町民の間にも綿布団がひろがっていた。
といっても、当時の綿布団は現在のお金で600~900万円したと言われているオール手作りの超高級品。
素材まで日記には記されていないらしいが、たぶん一般人が寝起きに使ったという藁布団ではないだろうか?ということであった。
藁布団もオール手作りなのだが、いくらぐらいだったんだろうなぁ。

しかし藁布団は叩いた藁や葉を入れるもので、作りたては子どもの背丈ぐらいの高さになるらしい。
その上に寝て、掛け布団は着物かナシで。
マットレスの役割をしたその布団は、使うごとにペッシャンコになっていく。
そしてそこに、また新しい藁や葉っぱをいれて使うのだそうだ。

日記のコタツ布団になっている布はぺっしゃんこのペラペラな感じだ。
ペッシャンコになってお役御免になった藁布団を、新しく中身をいれることなく使ったのだろうか?
藁布団の寿命は3年らしいから、3年を超えたものを使ったのかもしれない。
藁布団は1つの家族誰もが使えるものではなく(だってたためないんだよ!!置きっぱなしだよ!場所がーーぁ)一家で一番偉い人のものだったらしいので、寿命を迎えたペラペラになった藁布団は、他の家族が使ったりしていたのかも?

色々再利用したり、使えるものを工夫して使っていたご先祖様、ありがとう!
今ではコタツは電気でぬっくぬくだよ。

まだ暑いのか寒いのかわからない気候だけど、寒い季節がそーーろそろやってくる。
夏って終わるものだったんだなぁ・・・・・。

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2024/10/27 13:18
子供の頃実家には掘りごたつがあって、最初の頃は炭火だったよ。
こたつむりになるの、気持ちいいよねえ。




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