壊れたものは取り除いた方が良いという事らしい。
- カテゴリ:日記
- 2024/10/13 17:47:09
人間だから、壊れたものと表現されるのは、どうかと思うけど、
例えば、毎日生活する中で、普段着みたいなものしか着ないでいます。
なぜかといえば、家の中にいるからです。
そしてスーツのようなものは、お出かけの時に着ると思っています。
ちょっと、親戚のところで、食事に行く時も、電車に乗っていかなければいけない。
遠いです。
母親の誕生日だという事で、「少しオシャレしてきてください。写真を撮ります。」という事でした。
スーツを着て行こうかと思っている。
だけど、今の私はそのスーツを着るようなことは無かった。
だいぶ前の服なんです。
そのだいぶ前の服と言うのはその頃の私の生活の気と言うものを含んでいるそうで、今の気は含んでいないそうです。
なのでいってみれば、壊れた機械みたいなものなのだそうです。
そうはいってもいつも家にいるときのような普段着で行くってことは無い。
やはり写真撮るんだったら少しオシャレして行ったらいいと思う。
スーツを着ている私のような気は
今の私にはないのかもしれないけど。
壊れていると思うけど。
機能不足になっていると思うけど。
なので、オシャレして電車に乗って行ったときに、みんなに切られてしまうのだろうなと思う。
それでもいいか…
別に切られてしまっても、何か自分に問題がないと思えるし。
私は全体のある部品のようなものになっているのだろうか?
そんな風に考えたことは無かった。
独身の頃の私。
結婚して子供も産み孫もできた今の私。
ぜんぜん違う人になったと言っても過言ではないと思います。
ゲームする時だけ、若かったときと同じように過激にやってしまうってだけ。
機能不足の壊れた部品みたいな私です。
食事会に行く日、写真撮りに行く日は、今日ではないですよ。
やはり、全体の中の部品として生きるというのは難しいなと思える。
切られちゃった方が、楽なんじゃないかな?
自分の都合ってもんがあるじゃないの。