鮮度
- カテゴリ:その他
- 2024/10/04 11:04:21
例えばね、40を超えて、仕事にも慣れて、教える方の立場になったりして、あるいは、人によっては部長とか、なんらかの責任者になって、家庭もあって、若い頃にある程度の失敗や恥もかいて、そうやって大人になっていくと、ほとんどのことは経験済みになってたり、見たことや聞いたことがあったりして、いつの間にか、「当たり前」が多くなっていって、自分の生活の中でも、仕事して、たまに帰りに同僚と飲んで、家帰る日は好きなバラエティ番組見て、週末は家でゴロゴロするか、ランニングしたり、ジムに行ったり、家族でどこかへ行ったり、年に1〜2回くらい温泉旅行に行ったり、台湾かハワイに行ったりして、正月はいつも通り紅白見て、なんというか、「生きることが当たり前になって慣れてしまってる状態」になってしまうことも多いと思うの。
それは、日本でもアメリカでも、大人になると「当たり前状態」になるような気がする。
すると、家族連れのご近所さんが歩いてきてね、幼い女の子と男の子の二人の子供とお父さんお母さん。
カフェと隣のバーの間には、たぶん、バーの人が置いたと思われるちょっとしたオブジェみたいなのがあってさ、小さなちょっとローマ時代っぽい甕(かめ)から水が出てくるちょっとした噴水なのね。
まあ、安っぽい、ちょっとした飾りね。
すると、その女の子と男の子はそれに近づいてさ、興味津々で、のぞきこんでるのね。
んで、お父さんとお母さんに、「さっさと行くよ〜。」みたいなことを言われてるの。
その光景をぼーっと見ててさ、思ったのは、その甕のオブジェは大人が見ると、本当にどうってことない、安物の、仕組みも想像できるし、珍しくもないし、立ち止まって見るほどのものではないのね。
ところが、そんなチープなものにも、その子供たちは興味を持って、楽しんで眺めてたのね。
ここで言いたいことは、「大人は純真な子供心を失ってて、そうゆう安物だろうが何だろうが、興味を失ってはいけない。」なんてことじゃないの。
だって、おおよその大人は、いろんな経験を積んでてさ、もう、知ってるもん。その甕のオブジェを見たことがなくても、大体、どんな仕組みか、安物かどうか、もわかっちゃうもの。
そりゃ、さほど興味をそそられないのが当然じゃない?
だけど、子供たちにとっては、それが新鮮でさ、目新しく、美しい噴水で、水がどうやって出てくるのかも不思議だし、いろんなファンタジーを想像できたりもするんだよね。
つまり、多様な経験があればあるほど、その「もの」の新鮮味や衝撃はそれほど感じなくなるんだよ。
それは、大人になって感受性が摩耗するだの、感覚の鈍るだの、そんな原因ではなくて、ただ単に、「もう知ってる」からなの。
例えば、10代の頃、憧れてキラキラ輝いて見えていたアイドルだけど、いつの間にか彼らよりも年上になって、今のアイドルを見ても、「がんばってるなあ、偉いなあ。」くらいの感想しか持たず、そんなに偶像的には見ることは無くなっていくと思うのね。
それが経験の鮮度だと思うの。
個人的には、だから、自分で動く必要があると思うんだ。
だって、子供の頃は、全てが見たことも聞いたこともない新しいものだったけどさ、大人になればそうじゃないじゃない。
それが経験の鮮度だと思うの。
個人的には、だから、自分で動く必要があると思うんだ。
だって、子供の頃は、全てが見たことも聞いたこともない新しいものだったけどさ、大人になればそうじゃないじゃない。
特に身の回りのものは。
だから、その場にとどまらず、動く必要があると思うの。
動く、というのは、物理的に新しい土地や物事を探すということも、そうかも知れないし、知的にも動くことが大切かなって思う。
ずーっと同じ範囲内にいるのはラクだけど、それではどんどん経験の鮮度は落ちていって、結果的に自分の感覚の鋭敏さも失われていくような気もする。
というのは、やはり、前にも似たようなことを書いたけど、世の中は、「その人が思ってるより広い」からなの。
本当に知らないことや見たことのないこと、味わったことのない感覚、知恵、味、そんなものがたくさんあって、人一人が経験したことあることって例え大人であっても、この世界のほんのちょっぴり、数値に表せないほどの微々たるものなのではないかと思う。
だけど、物理的にも知的にも同じ範囲にずっと居続けると、そりゃその狭い範囲の中だけでは、同じことの繰り返しだから、もう知ってる状態になるかも知れないけど、それって、ただその特定の狭い範囲の中ってだけなんだと思うんだよ。
なので、個人的には、その動きは、大切に思うし、いつもワクワクして、ファンタジーを持って、体験の鮮度を保ちたいなあって思うのでごじゃる。
だから、その場にとどまらず、動く必要があると思うの。
動く、というのは、物理的に新しい土地や物事を探すということも、そうかも知れないし、知的にも動くことが大切かなって思う。
ずーっと同じ範囲内にいるのはラクだけど、それではどんどん経験の鮮度は落ちていって、結果的に自分の感覚の鋭敏さも失われていくような気もする。
というのは、やはり、前にも似たようなことを書いたけど、世の中は、「その人が思ってるより広い」からなの。
本当に知らないことや見たことのないこと、味わったことのない感覚、知恵、味、そんなものがたくさんあって、人一人が経験したことあることって例え大人であっても、この世界のほんのちょっぴり、数値に表せないほどの微々たるものなのではないかと思う。
だけど、物理的にも知的にも同じ範囲にずっと居続けると、そりゃその狭い範囲の中だけでは、同じことの繰り返しだから、もう知ってる状態になるかも知れないけど、それって、ただその特定の狭い範囲の中ってだけなんだと思うんだよ。
なので、個人的には、その動きは、大切に思うし、いつもワクワクして、ファンタジーを持って、体験の鮮度を保ちたいなあって思うのでごじゃる。
ということで、可愛すぎる生き物を発見したので、おすそわけ。
前から存在は知ってたけど、こんなにも可愛いのか。。。
う〜〜〜〜〜〜む、お腹もにもにしたい。。。
https://www.youtube.com/watch?v=UFtotviy6P8&t=104s
うん、おれも子供のお仕事してた時に、質問されても、「どうしてそうなると思う?」って出来るだけ自分で考えさせてたなり。
大人は答え教えちゃった方が、あるいは代わりにやってあげた方が手っ取り早いから、ついついやっちゃうけど、それってロワゾーさんの言う「経験を奪う」ことなんだよね。
個人的には、たくさん間違えて、たくさん失敗することが大事だと思うのでござる。
血行良くなるって、良いね^_^
なるほどでござる。
健康にも良いのか^_^
そうだね。
おっしゃる通り、今までの自分の、その狭い範囲内での経験と知識が、自らのアイデンティティのようになってしまって、「知らない。」「経験したことがない。」と言うのが、まるで自分のアイデンティティを否定するように感じるのかもね。
んで、せんちゃんの言うように、さも自分は全てをわかってるような振る舞いで若者に説教するのかもね。
個人的には、若い世代はそれもまたおれの世代からしたら、おれにはわからない新しいことを知ってる人たちで、本当はおれの世代からしたら、彼らもまた未知の新鮮な存在だと思うなあ。
おれ、よく職場のひとまわり下の人にいろいろ聞いて教えてもらうもん^_^
特にこっちに10代から来て大学とか行ってた子たちって、おれの知らないことをいっぱい知ってるんだよね。
寄り道も失敗も
最適解だけ常に教えて、いうことをきかせるのって、その人が体験する権利を奪うことになるって
そっかー 過保護や過干渉ってそこがよくないよねーと思った
それとも、、古池や蛙飛び込む、、かなぁ、、
わくわくどくどきするのって、、血行は良くなるし、、気持ち良いのにね