ジュンチャンと世界を巡る 第67回はエクアドル
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2024/09/24 09:59:20
エクアドルは南アメリカ北西部に位置する共和制国家で、北にコロンビア、東と南にペルーと国境を接し、西は太平洋に面していて、本土から西に1,000キロメートルほど離れたところに「ダーウィンの進化論」で有名になったガラパゴス諸島(スペイン語ではコロン諸島)を領有しています。
首都はキトで、最大の都市はグアヤキルで、国名のエクアドルはスペイン語で「赤道」を意味します。
本土は標高によって三地域に分かれていて、中央のアンデス山脈が縦断している地域をシエラ、太平洋岸の亜熱帯低地をコスタ、東部のアマゾン川上流熱帯雨林が広がる地域をオリエンテと呼んでいます。
現在のエクアドル共和国に相当する地域には紀元前1万年頃の人類の生存が確認されており、その後、様々な古代文明が栄えました。
紀元700年から16世紀半ばまでを統合期と呼び、身分制、首長制を基盤とし、祭祀センターを備えた社会構造が存在したことが明らかになっています。
このような諸文化は最終的に、15世紀半ばにクスコを拠点に急速に拡大していたインカ帝国によって征服され、キトはクスコに次ぐ帝国第二の都市として栄えました。
その後インカ帝国には内戦が起こって疲弊し、1531年にスペイン出身のコンキスタドールの一群を率いてインカ帝国に上陸したフランシスコ・ピサロによって帝国は滅ぼされるのです。
スペイン人による征服後、現在のエクアドルに相当する地域はペルー副王領に編入され、リマの統治を受けることになりました。
征服と植民地化による疫病などにより、インディオ人口は植民地時代に大きく減少し、ここも労働力を補填するためにアフリカから黒人奴隷が連れて来られたのです。
その一方でスペイン系のクリオージョが社会の寡頭支配層となり、メスティーソ(混血者)や、故郷の土地を離れて流浪するインディオなどの境界的な階層も出現するようになり、住人のカトリック化も進んだのです。
19世紀初頭、ラテンアメリカの独立の動きの中で大コロンビアに属して独立しましたが、1830年に分離して単独国として独立しました。
国名をエクアドルとした理由ですが、この国は他のラテンアメリカ諸国と同じようにスペイン系のクリオージョが主導権を握っていて、彼らは主要な港で最大の都市であるグアヤキルでのカカオ輸出で富裕層を形成していました。
一方植民地行政の中心地キトを中心とした山岳地方ではメスティーソが次第に力を付けていき、キトとグアヤキルの地域対立があったために、国の名を決めるときにどちらでもない、ただの赤道を意味する「エクアドル」が選ばれたのです。
ここからはエクアドル観光の紹介となります。
赤道直下で、太陽と緑そして水に恵まれた美しい自然を持つエクアドルは、高低差のある国土に多様な動植物が溢れ、自然美の宝庫となっています。
まず、赤道記念碑公園(ミッター・デル・ムンド)です。
ミッター・デル・ムンドとはスペイン語で「地球の真ん中」という意味で、キトは赤道直下の街としても有名で、公園の中の赤道記念碑は定番観光として知られています。
実は赤道記念碑の前に引かれた線は本当の赤道と少しずれていて、近くのレストランに本当に赤道が通っている場所があるのだそうで、建てられた18世紀から技術が進んで正確なことがわかったのです。
次に、ガラパゴス諸島のサンタ・クルス島 です。
世界的に有名なガラパゴス諸島は、どの大陸にも接したことがなく外敵も少ないことから希少な動植物の宝庫とも言われています。
その中でも観光客が多く訪れる島が「サンタ・クルス島」、この島はチャールズ・ダーウィンのダーウィン研究所がある島として有名です。
サンタクルス島のトルトゥーガ・ベイというビーチでは、ウミイグアナが岩場と砂浜を行き来している様子を見ることができます。
トルトゥーガとはウミガメのことで、このビーチはウミガメの産卵地でもあります。
最後にキト旧市街です。
エクアドルの首都キトの旧市街は世界で1番最初に世界遺産に認定された場所の1つで、旧市街地全体が世界遺産となっていて、保存状態の良さが評価されている歴史地区です。
深い歴史を感じさせられる石造りの町並みは、どこかヨーロッパのようなコロニアルな雰囲気を感じます。
キト旧市街にはサン・フランシスコ修道院もあり、16世紀には南米大陸のキリスト教布教の地だったことでも有名です。
オリンピックもパラリンピックも無事終了しましたが、まだまだコロナの時代は続きそうで、「ジュンチャンの世界一周の旅」も当分続きそうです!(^^)!
適当に、お付き合いください。