八幡平の小蝶
- カテゴリ:日記
- 2024/09/24 09:16:57
空は澄み渡り、彼方まで広がる。小蝶は、枯木クヌギに止まり、紺碧の空に魅入っていた。岩手山の姿が、くっきりと浮かび上がっている。
ここは、岩手山の北側、八幡平の南端である。ここからは、青森秋田の県境に掛けて、高原が続く。既に秋の気配。老人が、庭仕事をしている様だ。下にある、ログハウスの住人である。
彼の名前は、S.T.。長年、教職に携わる。一介の研究者を自認し、研鑽を重ねてきた。土壌の学者で、若くして、博士号を取得。世間との付き合いは、不得手。が、その学識は、深く広い。
老人が、(あまり見かけない顔だが)と、語り掛けてきた。隣の、愛犬コロも、(そうですね)と、相槌を打つ。突然の問い掛けに、戸惑っていた様子の、小蝶だったが、徐ろに、言葉を返した。
⊕私は、アサギマダラの小蝶と申します。旅をするのが、宿命。左はオオクワガタのクワオ、右は、オニヤンマのヤマオです。ふたりとも、旅の途中から加わった、仲間⊕
老人が、(そこで何をしているのか?)と、問いかけてきた。
小蝶は、改めて、丁寧に返答する。
⊕私は、千葉県の南房総で、生まれました。そこから、母の足跡を訪ね、旅に出たのです。
先ず最初は、母の生誕地、沖縄県宮古島に行きました。そして、沖縄読谷村、大分県日田、瀬戸小豆島、岐阜県郡上、静岡県浜名、日本橋浜町、都西高松山、都下田浜山、房総小多喜、それから、南房総に戻り、少し羽を休めました。
それから、尾瀬、奥会津、会津へと進み、枯木桜さんのAdviceもあり、見聞を深める為に、アメリカのワシントンD.C.に行きました。日本に戻り、宮城県亘理を経由して、先ほどこちらにお邪魔したのです⊕
老人は、小蝶の説明を聴いて、(何と言う長い
旅なのだろうか!)と、呟き、驚いている。そして、次の様に、語り掛けた。
⊕貴方がたは、Breakfastは未だと思うけど、お勧めしたい場所がある。ここから北へと、山道を辿ると、地熱で有名な、ふけの湯温泉です。その手前にある、ロッジを兼ねた、CafeがBest。コーヒーが、絶品ですよ⊕
老人は、愛犬のコロに、(この方々を、案内しなさい)と、指示する。
小蝶たちは、コロに従い、起伏のある山道を、周りの僅かに色付いた紅葉を、楽しみながら登ってゆく。暫く歩くと、森の中にオアシスの様な、ログハウスが浮かび上がった。玄関の右側に、(森のCafe)と言う看板が、貼ってある。
コロがDoorを開け、小蝶たちを、中に招き入れる。店内には、程よい音量の、BGMが響いている。それは、タンゴ、ジャズ、シャンソン、いや、ひょっとしたら、昭和歌謡であろうか?。
内から、(いらっしゃい)と、Madamが迎えた。
全員、行儀よく、カウンターに座ると、コロがこの店に案内した理由を、Madamに説明する。
彼女は、それを聞きながら、心のなかで、(ひょっとしたら、この子、お蝶の子供で無いのかしら?)と、呟き始めている。そして、暫く考えていたが、小蝶に対して、(貴女は、お蝶の子供ですよね?。間違いないわ!)と、言葉を発した。
小蝶は、(母を、ご存知なんですか?)と、驚きの表情を隠さない。Madamは、(知っていると言うレベルではありません。深い心からの友ですよ)と、親しみを込めた表情で、小蝶を見つめる。
そして、(積もる話は、後にしましょう。先ず、Breakfastですよね。目玉は、卵料理、バナナ、コーヒー)と言いながら、調理と抽出を始めた。
常連客のコロは、知っているが、小蝶達は、(こんな美味なのは、生まれてはじめてだ!)と、大満足の様子である。Madamは説明する。
⊕この卵は、裏の農園で、健康な地鶏たちからの頂き物です。又、コーヒーとバナナは、主人が、岡山の発明家が開発した、凍結解凍覚醒法の手法で栽培している頂き物です。共に南国の作物ですが、地熱の恵みを受けての栽培なの⊕
しばし、料理に纏わる話で盛り上がった。そんな中、小蝶が、Madamに、(母は、こちらでは
どの様な感じだったのですか?)と、尋ねる。
Madamは、(とても楽しそうでした。このCafeの庭に息衝いている、樹齢五百年の、古樹ミズナラさんとは、馬があったみたいで、親しく話を。是非この後、彼を訪ねて、話を聞くと良いわ)と、勧める。
今、小蝶達は、古樹ミズナラの枝上にいる。丁寧に、挨拶をした。
小 (古樹ミズナラさん。こんにちは。初めて
お目にかかります。私は、アサギマダラの
小蝶と申します。お蝶は、私の母なんです)
ミ (今、なんと言った!。お蝶の子供だって?)
小 (そうですよ。母と同様に、旅をしてます。
その途中に、ここに立寄りました)
ミ (そうか。貴女は、お蝶の子供!。お蝶とは
多岐にわたり色々と話をした。懐しいよ!)
古樹ミズナラは、優しい眼差しで、小蝶を見詰めている。
小蝶は、遠慮がちに、(母と貴方様は、どの様な話をしたのでしょうか?)と、言葉を返した。
それに対し、古樹ミズナラは、暫し考えていたが、(お蝶が、一番関心を抱いたのは、あの事かもしれない)と、呟きながら、話し始めた。
[今から、約60年前の事だ。季節は、今より少し遡り、八月の下旬。15人程の、学生のグループ
が、ここ、ふけの湯温泉で、合宿した。丁度、台風か熱帯低気圧が通過していた。降りしきる雨の中、秋田玉川温泉から、強行軍だった。
普段は、なんの変哲もない山路。しかし、風雨の為に、泥濘んだ道を、やっとの思いで、到着したふけの湯温泉。地熱部屋が、冷え切った心と体を、真から温めてくれた。翌日は晴天。夜
は、篝火を囲み、キャンプファイヤー]
古樹ミズナラは、少し、押し黙る。
ここ迄、聴いていた小蝶が、(母は、何処に感銘を受けたのでしょう。学生の普通の合宿の様ですけれど)、と呟く。
古樹ミズナラは、再び、話し始める。
[引率していたのは、来日15年。フランス人の哲学者でカソリックの神父、G.N.さん。
東京の、幾つかの大学で、フランス語を教授。
神学の分野で著作多く、その道では、評価される世界的権威。平易な文章も多数。(我思うゆえに我あり)との言葉を残した、デカルト。(デカルトの再来である)との説もあるが、私も同感だ。
第二次世界大戦(ノルマンディー)に従軍。考える所あり、神父の道に。作家遠藤周作は、盟友。
小説、おばかさんは、彼がモデル。万葉集、古今和歌集、源氏物語から現代迄、文学に造詣。
日本語の細やかなニュアンスに精通していた。
余談だが、三島由紀夫の小説、金閣寺等を仏語に翻訳。三島が、ノーべル文学賞の候補にノミネートされたのは、彼の一助もある。
複雑な日本語を深く理解しての、優れた文章。何故、闊達な日本文が書けたのか。意味の世界は万人共通、そこに祈りと神扉在りと警鐘。
後年、人間の様々な欲望のルツボ、東京の新宿歌舞伎町にスナックを開く。そして、人々の悩みに、耳を傾ける。
今は、東京府中にあるカソリック墓地に眠る]
小蝶が、遠慮がちに質問する。
(結局、学生達に何を伝えたかったのでしょう)
古樹ミズナラは、言葉を返す。
⊕自分の中に、幸福の源泉がある。そこを丁寧に掘りなさい⊕
昨日の夜中、読んでしれたんだね!。
実は、その後、文章を追加したので、
再度、読み直してね!。
又、(亘理の小蝶)も、読んでください。
古き時代に、興味のある貴方なら、
楽しんでもらえると考えます。