Nicotto Town


モリバランノスケ


亘理の小蝶

今、小蝶は、樹齢5百年は超える、古樹クスノキの、樹上にいる。側には、彼女をガードするかの様に、寄り添う、クワオの姿が、見受けられた。又、見聞を広めたいと、同行を懇願した、オニヤンマのヤマオの姿も、認められた。

ここは、宮城県亘理町にある、曹洞宗の寺。萬松山大雄寺の境内である。今朝、滞在していた、アメリカの首都ワシントンD.C.から、到着した。勿論、交通手段は、銀河Expressである。
所要時間は、JALなら、ΟΟ時間だが、瞬時に
こちらに着いた。時間と空間と言う概念を超越。正に、宮沢賢治の、銀河鉄道風である。

歴史を感じさせる、落ち着いた雰囲気の境内。
背景に広がる、深い森にも、何処か趣がある。
言葉を発すること無く、景色に、魅入る小蝶。
深い意味合いの風景と、一体と成っている彼女に、古クスノキが、優しく語り掛けてきた。

ク (お早う。貴女の事は、ポトマック桜子さん
  から、伝言が有りました。待ってましたよ)
小 (おはようございます。お世話になります。
  ここは、とても歴史を感じさせる寺ですね)
ク (そうなんですよ。雰囲気も良いでしょう!)

古樹クスノキは、そう言うと、次の様に語り始めた。

⊕私は、五百年と言う永い年月、この寺に纏わる様々な事柄を通して、この人間(生命)社会の姿を、眺めて来た。

この地は、伊達政宗の興した伊達藩の支藩に当たる、亘理藩であった。ここから西側に、小さな建屋が、見える。あれは、初代藩主伊達成実
の霊屋である。彼は、伊達政宗の従兄弟で、戦いの名手、と言われた人物。しかし、疑心ありと目され、妻子を惨殺された。一時は疎遠になったが、その後復縁、この地を正宗から与えられた。

成実には、先の事情から子が無く、2代城主は、正宗の九男、宗実が。未だ幼い為、教育係に取立てられたのは、佐是常佑。この人物は、それまで、数奇な運命を辿る。佐是氏は、会津の雄
蘆名氏四天王の一角。然しながら、東の関ヶ原と言われた戦で、伊達政宗に敗れ浪人に。本人は京に、長男は江戸に、次男は米沢に逃れる。

常佑が、京でどの様な生活をしていたかは、定かでは無い。しかし、豊臣秀吉の時代。世間には、浪人で溢れていた。かの、宮本武蔵もその一人。佐是氏は、和歌の流派である、古今伝授の末裔。ひょっとしたら、歌道に研鑽?。

秀吉は、桃山城の周辺に、諸国の覇者を住まわせていた。人質の意味もあったのだろう。ある時、常佑は、正宗の重鎮、白石若狭宅で、政宗と碁の手合わせをする。武芸では無く、碁芸が身を助けてくれ。⊕

古樹クスノキは、ここ迄話すと、少し疲れたのか、暫し、押し黙った。

ここ迄、興味深げに耳を傾けていた小蝶は、古クスノキの様子を、慮りながら、質問を。

小 (その後、江戸の長男、どうなりましたか?)

古樹クスノキは、それを受け、話し始めた。

⊕長男の俊常が、江戸でどの様な生活をしていたかは、定かでは無い。例えば、長屋でその日暮らしをしながら思索に耽っていたか、又は、道場で武芸に励んでいたか、或は、歌道を極めていたか、何れにしても興味深い所だ。

つつが無く、教育係を務めていた常佑は、自分の後継に、江戸から俊常を連れ戻して据えた。
後になり、俊常には子供が出来なかった。そこで、米沢に逃れた、弟、常直の娘を、養女に迎えた。尚、常直が仕えた保科正之は、その後、会津の城主となり、常直は会津に帯同していた。養女の夫となるのは、他家からの常之。⊕

古樹クスノキは、ここ迄話すと、しばし沈黙。
そして、徐ろに、小蝶に指し示す、

⊕この寺の境内には、江戸時代末迄の、佐是氏歴代の墓がある。特に、私の葉隠、樹木下を見るが良い。あそこに、大きな石柱とその裏側に石の墓標が、在るだろう。あれは、常之と妻の墓である。常之は、釣りをこよなく愛する趣味人だった。雅号を、釣竿と称したほどだ。妻は
、会津小町と云われた、才色兼備な麗人⊕

小蝶は、会津から養女に来た娘に、興味を抱いたようである。古樹クスノキに、質問する。

小 (会津から来た養女は、どのな人柄でした?)

古樹クスノキは、暫く過ぎ去りし日々に、想いを巡らせていた。そして、言葉を返す。

⊕彼女の名前は、はからずも、貴女の母と同じ(お蝶)と言った。会津から来た当初は、私の側に来て、(寂しい)と、泣いていた。というのも、こちらに来る際、会津若松の枯木桜から、私とは旧友であり親しく接する様に、言われていた。

彼女は、時間を作っては、毎日のように、散歩がてら、私と話をする様になった。最初は、軽く挨拶程度だった。しかし、其の内、彼女からの質問をきっかけに、人間(生命)について、広く深く議論する様になって行った。⊕

小蝶が、(二人は、どの様な話をしたのでしよう)
と、言葉を投げ掛ける。

古樹クスノキは、(私も、まだ若くアツい、青年だったから、議論が白熱したよ)と、前置きして
、次の様に話を続けた。

[それは、多岐に渡った。が、今から、何百年も前の事だ。その詳細は、忘れてしまった。けれども、記憶に刻まれた、幾つかの事を話そう。

*自分について

私達は、朝起きてから寝るまで、いや、寝ている間も、常に自分と一緒にいる。普段は、その事を、意識してはいない。しかし、その自分とは、一体何者なんだろう。生きる事は、役割、身分、職業等の衣を着て演じている役者の様。

更に、不思議なのは、演じている自分を見ている自分が居ることである。その、奥の自分とは
、一体何者なんだろう。 

大いなる、不思議である。

*死について

私達は、死という事について、全く何も知らない、と、言って良い。何故ならば、誰も、死んだ事がないからだ。知っているのは、親、兄弟
、知人等が亡くなるのを、看取るという事のみ
である。死の理由を、真には分かっていない。

*生について

死について、本当の所は、分かっていないのだから、生について、真の意味は分からないのは
当然かもしれない。

*幸福について

金銭を蓄えたり、社会的権力を得たり、名声を得たり、社会的に成功したりすることが、幸福をもたらすのではなさそう。死ねば無となる。

*失意について

時の権力層が、民衆を束ね、掌握する為に、様々な規則、言わばハ―ドルを設ける。それを超えることに失敗して失意に至る。意味が無い。

*後悔について

時の社会が、設けたハ―ドルを越えることが出来なかったとして、どうして、悔やむ必要があろう。意味が無い。成功時の天狗も、同様だ。

*世界について

どうやら、我々が接している物理的世界とは、異なる、異界と思わる世界が、ある様である。
例えば、アニメ界の巨匠、宮崎駿監督の作品、
(君たちはどう生きるか)で、少年が不思議な鳥、サギに導かれて、迷い込んだ世界のように。

この世界で、異界に接触した人間は、聖人と言われてきた。キリスト、マホメッド、釈迦、等などである。実は、無名なる聖人は、我々が目を背けたくなる、世の片隅に、無数にいるのだ。その事こそ、忘れてはならない。

*存在について

異界は何処にある?。色即是空のなかに、常に存在している。

古樹は、(脈絡の無い話しだった)と言い、小蝶を優しく見つめた。




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