パンの日
- カテゴリ:占い
- 2024/09/12 14:57:46
ニコットおみくじ(2024-09-12の運勢)
こんにちは!高気圧に覆われ、九州から東北は晴れるが、
午後はにわか雨や雷雨に注意。
北海道は青空が広がる。
沖縄は雨のち晴れ。
残暑が厳しい一日に。
【パンの日】 Bread Day
☆日本では4月12日が「パンの日」とされています。
これは1842年に江戸時代の軍医であります、
伊藤幻朴さんが日本で初めてパンを焼いた日を記念して制定されました。
■伊藤玄朴(いようげんぼく)さん
寛政12年12月28日(1801年2月11日)ー
明治4年1月2日(1871年2月20日)
江戸時代末期(幕末)から明治にかけての蘭方医です。
江戸幕府奥医師まで登りつめました。
名は淵さんで、近代医学の祖です。
又、官医界における蘭方の地位を確立しました。
◇近代医学の祖ー伊藤玄朴さんと種痘(しゅとう)所
東京都千代田区岩本町にお玉稲荷大明神さんという小さな社があります。
この辺りには江戸時代、お玉が池という池がありました。
現在ではお玉が池は埋め立てられまして、
お玉稲荷さんにその名前を残すのみとなっています。
『繁栄お玉稲荷大明神の概要』
社号:繁栄お玉稲荷大明神 さん
住所:東京都千代田区岩本町2-5-13
繫栄お玉稲荷大明神さんは、
近隣にありましたお玉が池の畔(ほとり)に勧請した稲荷神社です。
太田道灌(おおたどうかん)さんの崇敬をはじめ、
寛正元年足利義政(足利8代将軍)公の祈願、
さらには文禄4年伊達政宗公の参拝等、多くの崇敬を集めました。
安政2年の大震火災で焼失しまして、
文社のありました葛飾区新小岩於玉稲荷神社さんへ、
本社を遷座しました。
●境内掲示による繫栄お玉稲荷大明神さんの縁起
この辺りに昔、お玉が池という池がありました。
江戸の初めには不忍池よりも大きかったといわれますが、
徐々に埋め立てられ姿を消したといいます。
最初、桜が池と呼ばれましたが、
ほとりにあった茶店のお玉という女性が身を投げたという故事から、
お玉が池と呼ばれるようになったといいます。(境内掲示より)
『於玉稲荷神社の概要』
於玉稲荷神社さんは、葛飾区新小岩にある神社です。
於玉稲荷神社さんは、
東京都千代田区岩本町繫栄お玉稲荷大明神さんを勧請して創建されました。
本社の繫栄お玉稲荷大明神さんが安政2年の大震火災で焼失した為、
明治4年に本社を当地へ鎮座しました。
社号 :於玉稲荷神社さん
祭神 :倉稲魂命様
例祭日:5月3日
住所:東京都葛飾区新小岩4-21-6
●於玉稲荷神社さんの由緒
御祭神は稲荷大明神様と例えられる倉稲魂命様で、
伊勢の外宮(とようけのかみ)様と御同神です。
「稲荷」とは天地の霊を象徴しまして、
古代より食物の神、即ち五穀豊穣の神として広く崇敬されてきました。
現代とともに・・・
・産業興隆 ・商売繁盛
・家内安全 ・交通安全
・芸能上達
これら等の御利益もあるとされていまして、
広く人々の信仰をあつめています。
当地「小松の里」は、昔は将軍様の鷹狩りの地と知られています。
古地図で見ると、この地に「おたまいなり」の所在が記されていますが、
古くは御分社でありました。
お玉が池の稲荷神社の沿革につきましては、
「新撰東京名所図会」神田之歩所引の於玉稲荷大神の、
由来に述べられているように長禄元年太田道灌さんの崇敬をはじめ、
寛正元年足利義政公の祈願、
さらには文禄4年伊達政宗公の参詣等が記されています。
お玉稲荷大明神さんのすぐそばに、
お玉が池種痘所跡を示す小さな案内板と碑があります。
『お玉が池種痘所』
伊藤玄朴さんをはじめとする蘭方医や、
斎藤源蔵さんといった商人らが私財を投じて造った施設です。
斎藤源蔵さんは、
日本橋堀留町で長崎屋さんと薬種商を営む商人です。
この神崎屋源蔵さんは大変義侠いに富みました人物で、
多くの蘭方医達を支援していました。
その代表が高野長英(たかのちょうえい)さんです。
神崎屋源蔵さんは高野長英さんと同じ奥州水沢の出身であったことから、
高野長英さんが江戸に出た時に最初に草履(ぞうり)を脱いだのが、
神崎屋源蔵さんの家でした。
その後も高野長英さんをことあるごとに支援をしてきました。
高野長英さんの他、大槻俊斎(おおつきとしなり)さんも、
神崎屋源蔵さんのお世話になっています。
お玉が池種痘所の解説が準備された時には、
神崎屋源蔵さんは2代目となっていましたが、
先代の教えを引き継いで2代目も蘭方医支援を惜しまず、
種痘所建設にも多大な貢献をしました。
『江戸の蘭方医学の礎、伊藤玄朴さん』
●伊藤玄朴さんとシーボルトさん
お玉が池種痘所を起こした伊藤玄朴さんは、
寛政12年(1800年)佐賀の貧農の家に生まれました。
そして、家督を弟に譲りまして、
佐賀藩医の養子となりまして、漢方医学を学びます。
文政6年(1823年)伊藤玄朴さんに、
転機をもたらす1人のオランダ人が来日します。
オランダ人医師、シーボルトさんです。
シーボルトさんはオランダの貿易拡大を目的とした調査の為の渡航に、
植物学研究及び軍医として参加、来日しました。
その後シーボルトさんは、日本側の慰霊の便宜によりまして、
蘭方医学を教える私塾の鳴滝塾を開設します。
そして、伊藤玄朴さんはその塾生として蘭方医学を学びます。
●伊藤玄朴さん、江戸へ
文政9年(1826年)、
伊藤玄朴さんは江戸に出まして、本所に開業を果たします。
開業間もなく、当時難病でありましたジフテリアの患者を治療します。
この名声が高まり、天保4年(1833年)には、
下谷和泉橋通り(台東一丁目)に象先堂と称する大邸宅を構えます
坪井信道さん、戸塚静海さんと並びまして、
江戸の三大蘭方医として称されるようになりました。
問題 順風満帆に見える伊藤玄朴さんと蘭方医学でありますが、
その台頭を快く思わない、従来の医師達との軋轢が見え始めます。
元々江戸には医学館という幕府お抱えの医師を養成する機関があり、
代々多紀氏が実験を握っていました。
次の文章の???に入る病名を教えてください。
苦しい立場に立った伊藤玄朴らはその頃、
海外で確率された種痘による???の予防法に目をつけ、
そこを突破口に、窮地を脱しようとします。
1、天然痘
2、梅毒
3、コレラ
ヒント・・・〇??? 感染力が強く、世界中で多くの死者を出した。
@原因
感染すると口の中や咽頭に皮疹(ひしん)ができ、
この皮疹から???ウイルスが排出され、唾液飛沫で体外へ。
お分かりの方は数字もしくは???に入る病名をよろしくお願いします。
スズラン☆さん、どうもお疲れ様です。
そうですね、天然痘予防開発を記念した日としては出ていませんね。
パンは、古代から人々の生命を育くんできた重要な食べ物ですね。
そして、奥ゆかしい、種類も豊富なものですね。
問題ですが、冒頭に出ました、1番の天然痘が正解になります。
流石ですね!どうもおめでとうございます(祝)
こちらは現在風もありますが、気温が33℃です。
同じように蒸し暑さを感じる場合は、どうか涼しくしてお過ごしくださいませ。
パンというのが不思議ですねー笑
答え 1