Nicotto Town



顔など見てきた

亡くなってしまった若い知人。

亡くなったのは先週木曜日ですが、焼き場の予定が取れなかったのか、正式な通夜はあしたとなっています。いまはどこも焼き場が足らなくて大混雑らしいですね。
それでその間、近所の小さな斎条に奴は寝ているので、斎条の都合の良いタイミングで連日訪ねることが出来るようになっていました。

今日は急ぎの用事もあまりなかったので、夕方に出向いてきました。

彼は役者でしたが、所属のタレント事務所とは別に所属していた劇団があって、そこの人たちが常駐して対応をしているようです。

そしてご対面。
なんだか痩せたような雰囲気です。
そっと頬に触ると、もちろん冷たいのですが、しっかりと柔らかい。
こんな鼻の形だったかなとか、今更ながら思ってみたり。

2,3分の対面でしたが、気が済みました。
忘れはしないけど、もう忘れます。
奴の家の前を通れば、それは頭に色々と浮かぶかもしれないけれど、まあそれも思い出という事で。


ということで、泳ぎに行きたいのですが、眠くて仕方がありません。
どうしようかな。。。


ではでは。

アバター
2024/09/11 11:23
そうですね。。。
私は未だに家族というものが良くわからず、10年近く前に亡くなった母については、その死に涙したことは一度も書く、既に齢88となる父が死んでも、おそらく大した感情も動かないのかと想定しています。

生物学的な定義ではなく、生物とは何んぞや。ぐるっと回って、何でもない、と私は思う事にしています。人も犬もミミズも虫も微生物もバクテリアもウィルスも、等しく絶対体な価値はないので(生物の関連性として相対価値はあるけど)、どうなん?と考える意味もなかろうと。
わたくしは(似非)クリスチャンなので、そのあたりは神様にお任せいたしますw
アバター
2024/09/11 05:08
おはようございます^^。

昨夏(?)、父の存在が現時空【あくまでヒトという種の一個体のオイラの保持(?)している概念(?)としての】から消失したのですが、その前後の顛末から、未だ呆気にとられていて、悲しいという感情に辿り着いておりません。

また、職業柄、ヒトとして、と同時に敵である「ウイルス」も生物とカウントして、彼我の生死(戦争というか生存競争?)を考えたりする数年間があったばかりでもありまして、「ヒトとして」は勿論なのですが、そもそも「生物」ってどうなん(何ぞや【定義】ではなく)?、といった視点(?)から「下手な考え、休むに似たり」に終始しております。

まぁ、真正面からではなく、また、物理学で言われるところの「人間原理」の生齧りの曲解も少々と、思考の軸(?)が斜視に罹患している上に、某チュウ華製のような(←ジョークです)ヤバげな色眼鏡までかけているので、どうなのでしょうね・・・、今まで程「ヒトの叡智」や「その集積」に畏怖を感じない、ワケデハナイコトニ、とりま、させておいて下さい^^。

アバター
2024/09/10 13:36
人が生まれることに、理由や意味などありません。
人は、ただ生まれ、死ぬだけです。

自分探しなどしたところで自分などありません。強いて言うならば、自分探しなどに右往左往するその姿ご自分なんだと思います。

人間に、生まれ持っての生きる意味など欠片ほどもありません。

生きる意味を欲するなら、等しく人は、自らの意思と力でそれを作り出すしかありません。
そこに向けて生きることが出来たのであれば、短い人生も輝かしい。
そこに向かう意味も分からず、垂れ流すように生きるなら、それはみじめかもしれません。

ただそれだけですよ。
そう思うけど、垂れ流がすように生きてしまわないようにと思うだけで精一杯かな。
アバター
2024/09/10 02:34
深夜に失礼します。

読み逃げさせて頂いた方が、礼に適っている(いた?)という事になってしまいそうですが、妄言を。

生、生物、生きる、ヒトという種に「生まれ(つき)」生きる、「ヒトとして(まっとうに?)生きる」・・・。

そして、「死ぬ」。

「言葉遊び」ではなく、その辺りのコト、「みんな」、どこまで「理解」出来ているのでしょうか、「理解」すべきだとしたら、大雑把にどちらの方向で?

スミマセン、アタマが回っていない、さらにアルコールも(多分、適量以下?)入っているのですが、「オイラは何も分かっていない」んだな、と思ってしまいまして。

知らぬが仏




月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.