ウガンダの性差別殺人事件
- カテゴリ:ニコットガーデン
- 2024/09/06 18:02:33
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ウガンダのパリ五輪女子マラソン選手、交際相手に火をつけられ死亡 (msn.com)
パリ五輪の女子マラソンに出場したアフリカのウガンダの選手が5日、交際相手に火をつけられて亡くなった。ロイター通信などが報じた。
亡くなったのは、レベッカ・チェプテゲイ選手(33)。1日、交際相手にガソリンをかけられ、火をつけられた。全身の約8割にやけどを負い病院で治療していたが、臓器不全で亡くなった。交際相手もやけどしており、治療を受けているという。
チェプテゲイ選手は8月11日に行われた女子マラソンの競技に出場し、44位だった。ウガンダ・オリンピック委員会のドナルド・ルカレ会長は「卑劣で無分別な行為で、偉大なアスリートを失った。彼女のレガシーはこれからも変わらない」と、自身のX(旧ツイッター)に投稿した。
ロイター通信などによると、チェプテゲイ選手はトレーニングセンターの近くに自身が購入した自宅の土地をめぐり、交際相手とトラブルになっていたという。
◇ ◇
ウガンダの国民性を如実に表す事件だ。
ウガンダから密出国して 最終的にアメリカ人の養子になった男子の手記をよんだことがある。
あるいは類似の手記も。
そこに共通して述べられているのは、なにかあれば女は殺され奪われレイプされるのが当たり前の価値観
男達は 自分の境遇が改善することのみをもとめて
女達の犠牲の上に息子は国外脱出して人道を求めて裕福な白人一家の養子になっても、アフリカ居た時の自分の行ない(出会った女性達から強奪した金品や食料を使って生き延び国外に出たこと)を悪かったとは一切思っていない
むしろ生き延びた自分は偉い、今は もうそんなことをする必要が無いからやらないとしか言っていないこと。
平和だった時ですら 父親は 複数の女性と「結婚」し女達の稼ぎを奪い 自分の母は夫から捨てられたから自分は生活に苦労したとしか言わない
そんな父の子である自分を養ってくれた母への感謝の言葉は一切なし
だから、レベッカ選手の交際相手(と本人が主張しているだけかも)とやらの男も、彼女が自分の稼ぎで購入した家や土地に勝手にすみつき、彼女がパリ五輪から帰ってきて明け渡しを求めたら 逆上して彼女にガソリンを焼き殺した殺したのだろう、
これは 痴話げんかなんてレベルではない。そのように読者に印象づけるミスリード記事に騙されてはいけない
痴話げんかごときで ウガンダ五輪会長が「卑劣」というはずがないのである。
そして 文明国の国際世論の観点からすれば、
これは「卑劣で無分別な行為」以前の問題である。
女性の尊厳を全く認めない屑でしかない♂が跋扈している国情であることこそが問題なのだ。
そんな♂の治療などする必要ないだろうに
その男が私欲のために彼女に対した行なった行為を
そのままその男に体験させる、つまりガソリンをかけて焼き殺すことこそが、 ウガンダ国民の啓蒙のために必要なことであり、ひいては全女性の為であると私は主張したい
私たち日本人は、
体格的に自分が勝てる相手や 女の稼ぎを奪うことが正しく それに逆らう女を焼き殺すことを良しとする男がのさばる国ウガンダであることを
しっかりと認識しておく必要がある
今も 日本には 多くのウガンダ出身男子が スポーツ留学に来て そのまま居ついているのだから。
それも中学・高校段階から!!
個人個人がどうこうではない
そういう風潮の中で育ち そういう価値観を刷り込まれて育った人たちだということ
だから うわべはともかく なにかあれば、三つ子の魂百までの本性が牙をむく危険性があることをしっかりと認識しておかねばならないというだけのことだ。
何もない時は 適切な距離感で礼儀正しく接すればよい
しかし、少し親しくなったら 特にが異性の同僚・級友レベル~家族ぐるみのつきあいとなれば 相手が祖国で身に着けた価値観に要注意なのだ。(男子生徒間の部活でも問題が多発しているのに!)
これが国際交流の基本である
戦後日本のTV取材番組、特にNHKさんは 基本的に、日本人から見てもっとも心象の良い価値観に合致する部分を、取材対象のもつ文化として紹介してきた
遠い異国の方との友好・親善のためには そういう心象をも持って遠来の客に対して親しみを込めた敬意を持って接するのは良いことだと思う
だがしかし 現実は もっと醜い。
日本国民の中に入ってくる外国人に対しては
その国の実情を醜さ・酷さも込みで直視したうえで
もしその人が日本生まれ日本育ちの人なら許容できる価値観・言動の持ち主かを 心の中で黙って判定してから 付き合い方を決めたほうが良いと考える
それが 自分の身ならず 自分の家族・友人を守るためにも
必要な自衛手段である。
蔑む必要はないが、礼儀正しく敬して遠ざけることは、自衛しつつ円滑な社会生活を行なうためには必須の技量である。