富士吉田の火祭り
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2024/08/26 00:31:11
こんばんは!26日(月)は、
西日本の太平洋側から東海や北日本では曇りや雨となり、
雷を伴った非常に激しい雨の降る所もあるでしょう。
その他の地域も雲が広がりやすく、所によりにわか雨や雷雨がありそうです。
【あなたの暑さ対策は?】
A、辛いスープ等を食すことです。
【富士吉田の火祭り】 ふじよしだのひまつり
☆毎年8月26日、27日に行われる北口本宮富士浅間神社と、
諏訪神社の両者のお祭りです。
■北口本宮富士浅間神社 さん
住所 :山梨県富士吉田市上吉田5558番地
電話番号:0555-22-0221
(電話受付時間:9:00~17:00まで)
◇由緒
景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊様ご東征の折、
足柄の坂本(相模国)より酒折宮(甲斐国)へ向かう途中で、
当地の「大塚丘」にお立ち寄りになられまして、
そこから富士の神霊を親しく仰ぎ拝されます。
「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」
このように仰せになられました。
これに従い、大塚丘に鳥居が建てられまして、
加えて後の景行天皇50年には祠を建てまして、
浅間大神様と日本武尊様をお祀りしまして創建となりました。
天応元年(781年)、富士山の噴火がありまして、
甲斐国主の紀豊庭朝臣公がト占しまして、
延暦7年(788年)、大塚丘の北方に社殿を建立しました。
これが現在社殿のある地で、ここに浅間大神をお移ししまして、
大塚丘には日本武尊様をお祀りしました。
古代、富士のような高い山、
美しい山は神のおわす山として、人が入ることは禁忌(きんき)でした。
よって当地は、ご神体の富士山を遥かに拝み祭祀を行う場でありました。
現在拝殿を囲んでいる巨木はその神域を物語っています。
次代は下りまして、平安時代の頃に山岳信仰が普及しまして、
登山を実践して修行する修験道が各地で広まるとともに、
富士講が出現し、発展するにつれ、
御山に登ること即ち祈りとする「登拝」によりまして、
人々は山頂を目指すようになりました。
初めて富士登山を行いましたのは、
大宝元年(701年)役小角様という行者様であるとされ、
後に富士講の開祖と仰がれる藤原角行師は、
天正5年(1577年)に登山しています。
富士講は「江戸の八百八町に八百八講あり」と言われる程に、
繁盛し強大になりまして、
甲州街道(現:国道20号線)と富士みち(現:国道137号線)、
この2つの道を通りまして、
吉田口(北口)登山道から入山する関東一円、
更に北陸や東北、関西にまでも拡大しました。
中でも大きな団体でありました村上講の村上光清師は、
藤原角行師の6世の弟子にあたりまして、
享保18年から元史年までの6年間(1733年~1738年)で、
境内社殿の大造営を行いました。
現存する社殿と境内構成のほとんどはこの時に定まりまして、
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により損失しつつも噴火の被害は受けずに、
現在も当時のままの荘厳な趣を伝えています。
主な社殿は仁和3年(887年)より・・・
・藤原当興様 ・北条(左京太夫)義時様
・武田信玄公 ・浅野(左衛門左)氏重様
・鳥居(土佐守)成次様 ・秋元(摂津守・但馬守)喬朝様
これらの方々らによりまして、造営が重ねられました。
貞応2年(1233年)北条義時様造営ののち、
永禄4年(1561年)に武田信玄公が再建した社殿が、
現存する中では最も古く「東宮本殿」として現本殿の東側に、
又、文禄3年(1594年)浅野氏重様殿造営の社殿は、
「西宮本殿」として現本殿の西側にお移しされています。
現在の本殿は元和元年(1615年)鳥居土佐守成次様殿の創建で、
いずれも国指定重要文化財です。
■摂社 諏訪神社 さん
住所 :山梨県富士吉田市上吉田5558
電話番号:0555-22-0221
アクセス:富士急行線大月線富士山駅下車 バスで約10分
拝観料 :無料
拝観時間:境内自由
◇ご由緒
勧請年代は不詳ですが古くから諏訪神社さん一帯の森を、
「諏訪の森」と呼ぶことや、
「甲斐國志」巻之七十一神社部十七上(諏訪明神)の記述からも、
相当の古社であることがうかがえます。
元々当地域の氏神でありましたが、
明治維新の際に北口本宮の摂社となりました。
例祭である「鎮火祭」は日本三奇祭に数えられる「吉田の火祭り」のことで、
勇壮な神輿の渡御の高さ3mに及ぶ大松明八十本余の炊き上げ等、
例年大勢の参拝客で賑わいます。
◆諏訪神社と火祭り
現在は北口本宮富士浅間神社さんと諏訪神社さんの両社の祭で、
浅間神社さんの大祭・特殊祭儀とされていますが、
元は諏訪神社さんの例祭であったといわれています。
伝承によりますと諏訪の神様が追われて逃げていた際のある夜、
当地住民が手に松明を持ってお迎えしたのを、
追手は援軍と見間違えて退却しましたので、
諏訪の神様は当地にしばらく滞在なさりました。
それでこの地を「諏訪の森」と呼びまして、
地主神として諏訪神社さんを祀ったとされています。
その故事を忘れないように住民が手に持った大松明として炊き上げまして、
諏訪の神様を讃えたのが火祭りの起こりとされていますが、
諏訪神社の起源とともに詳細は不明です。
<概要>
〇26日午後
本殿祭、諏訪神社祭が催行されまして、
大神輿、御影は参拝者で賑わう氏子中に神幸します。
暮れ方に御旅所に奉安されますと、
時同じくして、高さ3mの筒形に結い上げられた大松明100余本、
家毎に井桁に詰まれた松明に一斉に点火されますと、
夜空を赤く染め、街の温度は上がりまして、祭りは深夜までにぎわいます。
問題 次の文章に入る???の植物名を教えてください。
27日午後、二基の神輿は氏子中を渡御し、夕闇迫る頃、
浅間神社に環御します。
氏子崇敬者が「???の玉串」を持ちまして、
二基の神輿の後に従いまして、
高天原(たかまがはら)を廻りますと祭りは最高潮に達します。
27日を「???祭り」とも称します。
1、こむぎ
2、すすき
3、つばき
ヒント・・・〇??? イネ科の多年草
日本の秋を代表するような植物で、
中秋の名月にも???を飾るのが習わしとなっている他、
秋の七草の一つである雄花とは???のことを指します。
<日程>
8月26日(月)
14:30 北口本宮富士浅間神社、諏訪神社にて神事
17:00 神輿渡御
18:30 御旅所着興
22:00 大松明撤収開始
8月27日(火)
13:15 御旅所にて神事
14:00 神輿発興
15:30 金鳥居祭
18:00 御鞍石祭
19:00 北口本宮富士浅間神社にて神事
*御旅所・・・上吉田コミュニティセンター
浅間神社本殿にて本殿御神霊の諏訪神社奉遷を願う本殿祭を行います。
この神事には氏子総代、世話人、富士講、御師団等の人々が、
100人も出席します。
26日(月)15:00頃から始まります。
お分かりの方は数字もしくは???の植物名をよろしくお願いします。
どうもお疲れ様です。
河口湖の精霊流しはこの悪天候で中止になってしまいましたので、
何とかこのお祭りは成功してほしいですね。
おお~、そうですか、富士山にはお車で行ける範囲までご旅行されましたか。
おお~、浅間神社さんへお立ち寄りになられましたか。
そうですね、何せ天下の富士山の麓ですものね。
霊験あらたかな感じが、周辺しますよね?
問題ですが2番の「すすき」が正解になります。
もうすでに緯度の高い所や標高の高い地域で「すすき」が群生をみせている可能性です。
これからどんどんと秋にかけて、すすきが繁茂する所もあるでしょう。
もうしばらくお待ちすると、涼しくなってまいりますので、
何とかこの暑さを時には楽しく、時には耐えたりして、過ごしてまいりましょうね。
今夜もスズラン☆さんにとりまして、有意義な時間になることを心よりです。
今週もどうぞよろしくお願いします。
富士山は車で行ける範囲まで旅行したことがあります。
浅間神社はその時に寄りました。
雰囲気が別格だったのを覚えています。
答え 2