Nicotto Town



8/25 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2024/08/25
キラキラ
集めた場所 個数
ビーチ広場1 5
ニコット山 3

4択  「麦茶


キラキラ  「ビーチ広場」海の家 ネオンサイン

     「ニコット山」左道奥の 階段 横

4択  入浴後にがぶ飲みしたいものは? → 麦茶



麦茶の原料は、国内産の小粒大麦、大粒大麦、はだか麦らしい。

海外で麦茶ができなかったのは全部ビールにつっこんでたからかな?
そもそも飲める水貴重だし。

西日本では二条大麦、関東では六条大麦、関西では裸麦が好まれるなど地域によって違う麦が好かれていたらしい。
二条大麦は、明治初期にビール醸造を目的に導入され、焼酎の原料にもなっていて、 六条大麦は、精麦され「押し麦」「丸麦」「米粒麦(白麦)」として麦飯や麦味噌の原料に利用されているものらしい。
押し麦をひとり暮らしの時に白米に少し混ぜて炊いていたから、それはしっているーー。
ビールに使う大麦もビール工場に見学にいったから知っている。
そう古い種類ではないのだな。

麦茶は平安貴族が飲用していたらしい。
その後室町まで貴族が飲んでいたが、戦国武将などにも飲まれるようになり、江戸時代では屋台で麦茶を売っていたらしい。
江戸時代の屋台って色々あるなぁ。
鰻に、寿司に天ぷらに。

江戸時代では15歳程度の女の子が、他に売るものはなにもなく、麦湯のみを4文程度で売っていたらしい。

麦茶がなぜ夏の飲み物かというと、初夏に収穫できる麦で作るので採れたての新鮮な麦を炒ると香り香ばしく、美味しかったので次第に夏の風物詩になっていったらしい。

昭和40年代には日本全国で麦茶の名称が一般的に浸透した。
なお、名称は太平洋戦争前には東日本は六条大麦を使用した麦湯、西日本は裸麦使用の麦茶となっていたという。
冷蔵庫なんてない時代、麦茶は温かい飲み物だったんだな。

昭和20年代までは麦茶を素焼きの壺に入れて、蒸発熱によって生ずる冷却を利用して麦茶を冷やし飲んでいたそうだ。
昭和30年代になり冷蔵庫が普及してからは冷蔵庫で冷やして飲むのが一般的になったそうだ。
やはり夏は冷たい飲み物が欲しいもんね。

子供の時「麦茶のむねーー」といって冷蔵庫をあけて、その冷気にあたってすずしーーー!となっていた人は多い筈だ。

アバター
2024/08/25 13:38
子供の頃の麦茶は、砂糖を入れて甘くした飲み物だった。
甘くない麦茶を飲むくらいなら水を飲むって感じだったな。
麦茶に砂糖を入れる文化って、限られた地域だけなんだなあ。
大人になってからは、作ったことも飲んだこともないけど。




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