ヒップホップ部が中学生に必要か?
- カテゴリ:ニコットガーデン
- 2024/07/09 21:27:01
麴町中ヒップホップ問題 学校説明に保護者から異論「実態と異なる」(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/add0df5aff830d0cf169f773b9e98586c19a6742
7/9(火) 16:00配信
の記事に関連して
(参考記事)
ヒップホップとは何か、その定義とは【#HIPHOP50】 (udiscovermusic.jp)
https://www.udiscovermusic.jp/columns/what-is-hip-hop-and-what-is-its-definition も踏まえて
・結論から先に言えば 私は 中学校の部活としてヒップホップ部は望ましくないと考える。
創作ダンス部の基礎的部門として フォークダンスもバレー・モダンダンスやヒップホップ・エアロビ・ソーシャルダンスも練習するというのはまだわかるのだけど
その理由は・・
①私は 日本でブレイクンが初公開された1984年から、自宅でひそかにブレイクダンスを踊り出した。
もっぱら 関節可動域等々 肉体パフォーマンスとしての斬新さにひかれて、エアロビが心肺機能と持久力の強化なら、ブレイクンは身体機能の向上につながるダンスだ!という意識で(笑)
息子は その母の胎内にいるときからブレイクンを聞いて育ったせいか 大学生になるとちゃっかりストリートダンスにのめりこんだ、一方では福祉ボランティアなどをやりながら。
なので当然ヒップホップもたしなみ、そこで知り合った年長者に誘われビリヤードその他盛り場に行って、しっかりとキューを買わされたり。。飲酒だけは 自分の体をもっと成長させたいからという理由で就職するまでの手を出さなかったようだが(中高時代に アメリカドラマを見ながら薬とアルコール・喫煙の害だけはしっかりと学んでいてよかったわ)、親の目からみて 結構ハラハラする付き合いに発展していた、よろしくない誘惑に取り囲まれたヒップホップ仲間。
そういう実体験からしても ヒップホップは 子供の社会経験としては 危険がいっぱいと私は考えている。
もちろん かなりしっかりとした指導者(国際大会優勝を狙るような人達)に率いられた高校のダンス部があるのも承知の上で。まあ ああいうところは プロフェッショナルな先輩が後輩を厳しくしつけ・指導しているからこその世界なんだけど
体育教師や 適当に校長裁量で雇った外部講師に中学の部活としてやらせるには、ヒップホップ部は 子供たちの健全な成長を損なう(社会的にも肉体的にも 精神的にも)危険性がかなり大きいと思う
やはり 12才と15歳では、社会性の伸長具合がかなりちがう、体の成熟度もかなり違う。そういう意味で中学生には外面にあこがれて形だけ真似するようなヒップホップもどきになりがちでハイリスクと考える。
②ヒップホップは本来、アメリカの反社集団、貧困層の中でも正規の教育を受けることを拒否した落伍者集団に対して、教育的指導を行うYMCA活動等により育まれたものである。
早い話が、「落書き」(公共物や他人の個人財産への破損行為、その根底にあるのは 嫉妬心に基づく破壊願望、それも あからさまにものを壊せば即賠償責任が生じるけど、落書きなら子供のいたずらで許せよという傲慢姑息な発想)そして 「歌って踊って仲間とたむろしたい、人と違うことをやって目立ちたい」
(=正規の教育を受けたやつとは違うことをやって 優越感を持ちたいという劣等感の裏返しの承認欲求)、
日常的欲求不満に基づく悪態をつきたい思い、
その四つの要素を 昇華させる存在として、落書きをアートに 破壊衝動・闘争本能を歌と踊りのラップとブレイクンと レコード盤を損傷するDJ音楽にとつくりあげたのが ヒップホップである。
あの レコ―ド版をこすってキュッキュッと言わせるDJの活動は 既存の音楽(きちんと教育を受けた音楽家・商業的に成功したミュージシャン)への嫉妬とあいつらをぶっ殺したいという本音に基づく 憎たらしい奴らが作った音楽とレコードをぶっこわしてやるという思いの昇華活動なのである。
いってみれば 既存の秩序を全否定してぶっ壊したい輩が
それでも 社会的に許容されるギリをついた行動により 仲間からの称賛と 自分達が拒否られているという思い込んでいる正規の社会から認められて名声をえることにより、既存の社会の一員に加わったという経験を得て、何とか 既存の社会の中に溶け込めるようにという、
貧困層から既存社会に何とか居場所を見つけた先達や
貧困層を既存の社会の一員として育てたいと思う篤志家の思いが入り混じって 広がった教育活動の結果、それがアメリカのヒップホップだ。
それでも 結局 ヒップホップで名声を得た多くの連中が
反社的行動を商業活動としてのパフォーマンスに組み込んでしまったのが ヒップホップの成れの果てであったのだけど。
(そこには 真の反社活動=政治的プロパガンダの後押しもあるのだが)
なので 私は ヒップホップという商業ジャンルが大嫌いだ。
表現活動としてのラップの可能性とか、
人工物をキャンバスとする手法の芸術的可能性は認めているけれど。
ちょうど 身体表現の可能性を広げる動き(ダンス)としてブレイクンを若い頃から自分なりにひそかにたしなんできたように
(当時は ディスコダンスの一部として日本ではブレイクンが扱われていたので 外では踊りませんでした 絶対に。日本ではあっという間にディスコも新種の発展場になってしまいましたしね><)
・なので 部活としてヒップホップをやるなら、それは教育活動の一貫として アメリカの貧困層の置かれた状況の歴史的変遷・思想的背景と 福祉活動(セツルメントやYMCAなど)の歴史と抱き合わせて、ひいては アメリカ黒人の公民権運動の歴史もきっちりと学びつつ ヒップホップをやるべきだと私は考えている。
ただ 現状 今の日本の大人(成人)ですら、アメリカのブラックパワーも歴史的変遷も知らない人がほとんどなのに
私自身 英語でそれらの歴史を学ぶのに大学時代の4年間では不十分でした(日本語に翻訳された文献があまりにも少ないので自力で 英語でアメリカの書籍を読んだり 英語のインタビューを聞いたり(有名人の発言の録画を見たり)して学ぶよりしかたなかったのだもの。
それでも 昔は、音楽やニュースポーツなどのカルチャーを紹介する人たちは かなり真面目に歴史を研究して現状(最新情報)と合わせて歴史的経緯も 中継や紹介番組で語ってくれたので、それらを手掛かりに 自分でも学ぶことができましたが。
(夜11時以後のTV番組に多かったですね。 それにNHKも積極的にそれらの大会・最新情報を中継・特集してくれていた。
NHKが 議員どもにより壊滅状態に追い込まれてからは ユーチューブで情報集めてました。大会や有名なダンサーのインタビュー等)
・なので 私個人としたら 日本の高校のダンス部のヒップホップやら 今や社会人活動としてやってるヒップホップ倶楽部などは 身体的技能ダンスとしての動きに特化した、日本らしいヒップホップで アメリカのヒップホップとは一味違うなぁと思ってます。
それがまた アメリカの大会では、日本発のヒップホップとして評価されてもいるらしいですが。
(※欄に続く)
子供の頃は 自然に思いついて「わんにゃん合唱」してましたが
のちに それがオノマトペと呼ばれるものであることを知りました
子供の自然発生的な遊びを 学者さんは 偉くむつかしく解説するのですねー
それをいえば 「あがりめ さがりめ クルっと回ってニャンコの眼」や「あっかんべー」も
環太平洋諸島文化の流れをくむ子供の遊びともいえるのですから・・
案外 昔の習俗のなごりが 昔話などの中にのこり(たとえば つるの恩返しでは チンカラバッタンと機織りが繰り返され それが 子供の眠りを誘うetc) そこから 子供たちが ごく自然に 自分達の発想で遊び歌を思いついていくように 記憶がなくなっても 伝承が追憶とまじりあって かなり最後の世代にまで影響していくのかもしれません
私の場合 祖父母の家に泊まりに行くと 必ず 祖母が枕もとで昔話をしてくれたのですが
いつも「寿限無寿限無・・」で眠くなってその続きを覚えずに子供時代が終わりました。
30年くらい前は NHKの子供番組で 派手に寿限無寿限無を取り上げたので あの長ーい名前を覚えた子が多かったようですが・・。私の場合は 何十回も物語を聞かせてもらったはずですが、あの長い名前の出だしで眠り込んだので その先の展開を知ったのは 大人になって絵本を読んでからでしたw
モーツァルトのキラキラ星変奏曲第二番を使って ダンスの振付をして4人で踊って、
ひそかに職員室で話題になっていたらしいです。
ちなみに キラキラ星変奏曲の楽譜は 音楽の教科担任がたまたまクラス担任だったのをいいことに
先生のお手伝いをしてその楽譜借りて、自分で演奏してカセットに録音しましたw
(あの担任は 結構女子生徒に甘いおじさんで いつも女の子たちがむらがってたので
私も その中に混じりこんでは楽譜を借りてました。授業で鑑賞した交響曲のスコアとかオペラの歌詞付き楽譜とか)
そう言う私の趣味に付き合ってくれた3人のクラスメートには檄感謝です(今も中学時代も)
小学校の時の創作ダンスの時は アメリカンホップスを数曲つなぎ合わせて編曲した曲を自分でピアノで演奏した曲を使った記憶がある。肝心の振付は覚えていないが、踊りやすいように拍数を数えながら編曲に腐心した記憶は残ってるw ちなみに 振り付けは私の案をもとに仲間がいろいろアレンジしてすごく発展させていた。
その頃 下校時には 仲間数人で 「わんにゃん合唱(今でいるアカペラのようなもの)』をしながらいつも一緒に帰る仲間が居たのだ。 それこそ 「わんわん」「にゃんにゃん」「トントン」と言った単純な言葉を各自自分で選んで自分なりの節をつけて 繰り返しながら歌い歩くのが すごく楽しかったのだ。
ヒップホップを 専門的に習いたいなら、身銭を切って おけいこ事として習いに行け!
あるいは 本格的なダンスクラブに入会しろ(審査・規約が厳しいけどw)
中学校の部活というのは あくまでも 限られた予算の中で 全校生徒の心身の健全育成のために
広く薄く配分されるものなのだから、その分を超えた要求をするのは わがまま・身勝手な親子の言い分でしかない!!
創作ダンスのイメージが一般的には良くないらしいのは知ってるけど
実際には 創作ダンス部でも 生徒たちが自主的にヒップホップを研究実践したければできるんだよ
ネット上には 山ほど 初心者~中級車向けの講座が 多数アップされているのだから
発表の場ってのは 自分で仲間を募って 自分達でチャレンジする者だよ
ヒップホップってのは 大会に出ようと思えば 自分でバイトしてエントリー料を稼ぐことから始まるのです!!もちろん 交通費その他も自前で稼ぐのが基本
それを 部活の経費として学校側に押し付けようという発想そのものがおかしい
ヒップホップ部として発表の場がないってのは つまりはそういうことでしょ。
学校教育の一貫として カリキュラム化されたものには 各種大会中学校ノ部ってのがありますが
ヒップホップ本来の意味としたら そういう既存の枠に安住しない チャレンジ精神・自主独立の気概こそが 必要でしょうに!!
そういう意味でも 義務教育校の部活になじまないのが ヒップホップ部だと思う
だから 創作ダンス部として ヒップホップを引っ提げて 日本中学校体育連盟の大会にしゅつじょうすればいいだけじゃない!
ほんとあほらしい朝日新聞と 一部の親子のたわごとだこと
でも そういう 日本的ヒップホップ(特技化)と 巷にあふれるアンダーグランドのヒップホップ(反射的要素が濃い)の違いを 果たして中学の教師たち、そして朝日の記者や議員たちがどれくらい知っているのかなと思う。ごねている保護者も含めて。
それに中学生なんて 反射的臭いのするカッコよさ・表面的な部分に惹かれやすい年ごろ(まさに中二廟が食いつくヒップホップ)で 危うくてしょうがない。
やっすい時給の中学の部活顧問を引き受けるのは、
自分達が高校時代 有志でヒップホップを研究して名を挙げた 一部の先達的卒業生が 母校への恩返し的に引き受けるのでなければ、
本格的に日本的ヒップホップをやっている集団に入れないアンダー(=反射的要素で自分を脚色して売りだしている)人達程度でしょう。
本格的な人を雇うには かなりの経費がいるし、そんなの中学の予算で賄える範囲でもない!!
本格的にやっている人たちは 自分達の練習の場を借りたり
遠征費用を賄った理で いつだって時間に追われ、しかも金欠なんだよ。
だから ダンスで稼ぐことに関してはシビアです。
自分で ガッツをもって踊っている人間を見守る目はあっても
そんな やすやす指導を引き受けたりしません。
まして 部活の指導者がいないと 自主練だけではやっていけませんなんて泣き言をいう中学生の相手をするはずがない。
(一応 息子を通して 名のある日本人ダンサーの生活ぶりも聴いてます。息子は その人たちに会いに行ったりしてましたから
私も 名のある高校ダンス部の指導者たちの生活・思いを間接的にだけど いろいろ聞いてるし)
・というわけで 子供が泣いてます、だからヒップホップ倶楽部の存続を(=身銭を切らずに優秀な指導者を学校側で用意して)という甘えた一部の親子の主張を前面に押し出した朝日新聞の記事は 相変らずの政治的偏向報道のプロパガンダだなと思う
・体育科の一貫として身体表現としてのダンスをやるなら
それは「創作ダンス」という名目になるでしょ。
それは 文科省の立場として 中庸を維持するために、フォークダンスその他なんでもありのダンスを教育の場で展開するための方便としての「創作ダンス」という名目なんだからw
(学習指導要領をちゃんと読めば わかることだけど)