日本の歴史の根幹の縄文時代
- カテゴリ:日記
- 2024/07/06 03:48:54
縄文時代は日本の歴史の根幹だと思っている。
============
縄文時代は、今から13000年くらい前から2300年くらい前まで(注1)、約1万年間続いた時代です。縄文時代の次は、お米作りが各地に広がっていったり金属器が大陸から伝わってきた弥生時代で、その次が古墳時代、そして飛鳥、奈良、平安、鎌倉 と続いていきます。
略
縄文時代を特徴づける際立ったもののひとつに、立体装飾が発達した土器があげられます。縄文時代の人々の生活は、上記したようにおもに狩り、木の実などを集める、漁で成り立っていたと考えられます。しかし、立体装飾が発達した土器の存在から、土器作りの技量にたけた人がいたこと、またそうした土器作りをするのに十分な時間があったことがわかります。
https://www.city.chino.lg.jp/site/jomon/1866.html#
============-
↑つまり約一万年間も日本で続いていたのが縄文時代なのです。
しかし此れは本州での話で北海道の縄文時代は違います。
北海道では本州の鎌倉時代まで縄文時代で続き、其の後にアイヌ文化時代となります。
其れだけ長い間北海道で在った縄文人を無視してアイヌが北海道の先住民族と言う説は成り立たないと思うのですけどね。
北海道にとって更に日本人のルーツにとって縄文人のDNAは欠かせない物となっています。
同じ様に日本の歴史にとっても同様です。
所が此の日本の歴史にとって約一万年も続いた縄文時代が歴史の教科書から消えると異常な行為が起きました。
==============
一度、教科書から消えた縄文時代
略
なぜ、縄文時代は教科書からはねられてしまったのだろう。その理由の一つに、「日本人の歴史は大陸や半島から稲作が伝えられて、ようやく発展の糸口を摑んだ」という、漠然とした常識が支配していたからではなかろうか。野蛮で未開な縄文時代を学んでも、何も意味を持たないと、信じられていたからにちがいない。
しかし、縄文時代がわからなければ、日本史や日本人の正体は、わからないままだ。大袈裟に言っているのではない。縄文人が1万年の歳月をかけて作り上げてきた文化と習俗と文明が、「民族の三つ子の魂」となって現代まで継承されている。日本人がなぜ「世界でも稀な文化を形成したのか」といえば、日本列島が東海の孤島で、縄文人が他の世界にはない独自の文化を編み出したからにほかならない。
https://rekishikaido.php.co.jp/detail/6143
============
↑日本の歴史から縄文時代を消した事は日本の歴史への冒涜にしかならない。
正に日本人の歴史の根幹なのだから。
其れと同じ様に北海道の歴史から縄文人、滋養門時代を消す事は北海道の歴史への冒涜だと思う。
北海道の歴史の事実はアイヌより先に縄文人がいて縄文文化が其れこそ約一万年も渡って史実として北海道に在ったと言う事だろう。
北海道の先住民族と言うのなら縄文人である事は科学的にも化学的にも証明されているのである。
この頃海外から来た人たちも日本のウナギを食べる事を楽しみにしているとの事。
ぽちっ♪をありがとうございます。(^^)
梅雨が明けたのですね。これから其方は一掃暑くなりますね。お体に気を付けて。
ぽちっ♪をありがとうございます。(^^)
赤旗が別名で売られているのではありません。
そうかと思う様な内容が書いてある地方紙だったので私が勘違いして其う言ってしまったのです。
所がそうではなかったらしく其の場は非常に険悪な雰囲気に・・・。
私は書いてある内容からそうかと思いましたのでと言ったので尚更酷い雰囲気に・・・。
其の後の其の場の人の態度が酷かったですよ。
勿論後を付けられて「要注意人物」としてマークされましたけど。
私が「誰」とどんな内容の話をしたのかが知る必要が在った様です。
普通に沖縄を観光したかったのですが沖縄の異常な現状を知って驚きました。
私は70年代安保後に北朝鮮系活動家が大挙して沖縄に渡った事はすっかり忘れて沖縄は基地の町でジャズ喫茶と言うか本場の黒人のジャズが感じられる店が在ってすれたニューオリンズの雰囲気が味わえると期待して行ったのですが、何とそれらの店も潰されて細々とやっていて探して行った其の店はやくざの様な人の嫌がらせを受けていて客は私達だけ。
其れでも私達の期待をして来た理由をしると電話をして一人のアメリカ人のお爺さんを呼んでくれて其れは凄いジャズピアノを聞かせてくれて思わず涙目になりました。
僅かに残っていた元ジャズ専門のお店で閉店予定でした。
沖縄では少し深く入り込むとえぐられた傷が哀しく胸に刺さる異常な場所でした。
更に酷い態度の店の対応に注意をしたら自分は働かなくて良いけど体がなまるからお店やってるだけで客が来なくてもよいと言ってました。
何と自分の土地を基地に貸していて其の賃料で遊んで暮らしていける人だった様です。
そう言う人達もいて基地の恩恵をしっかり受けているのに基地の反対運動をしている人達を排除しようとせずに賃料が上がるし本当に変換されないと。
何だか沖縄は病んでましたよ。
辺野古も出来上がるまでに大量にお金をむさぼり取ろうとしている様で反対運動も「反対屋」とか「所謂政治屋」とかで地元の産業の様な物ですからね。
長引けば長引くほど彼らは金を得るわけです。工事関係者もそうですよ。辺野古は永遠に作られなくて日本国民の税金が彼らに垂れ流しが現状です。
元々そう言う目的で大量に沖縄に移住して行った人達が居るのですから。
その通りなのです。
ですから縄文人の国際的科学研究も必要ですし、アイヌのDNA研究も国際的科学研究も必要だと思うのです。
そしてあのアイヌのお爺さんが命を懸けて守ろうとして「血の伝承」の事も検証が必要だと思うのです。
此れは国際歴史的にも非常に興味があると思うのです。
そして「血の伝承」とはなにか、其れが守れなかったとしての結果が今のアイヌなら「血の伝承」の中に出て来る「混ぜては行けな血即ち『神をうらぎる悪魔の血』」とは何を意味しているのかもDNAを検証する事で出てくるのです。
旧約聖書の予言書で出て来る事が国際的に色々研究されている中で「アイヌに伝わる数々の伝承」の検証も必要だと思います。
更に付け足せば「沖縄に伝わる「海を越えて『悪?』がやって来るので騙されてはいけない」と言う様な伝承があると沖縄に旅行した人に石垣島だったか、どこかで「神聖な場所」と呼ばれている所を訪問した時にきいたのですが、其の「沖縄の古くから伝わる伝承」にも興味があります。
其れが中国をさしているのか?今沖縄には中国の工作員が大量に入っていると思われます。
中国は公式に「沖縄は中国領」だと宣言してました。
或いは70年代安保闘争が収束した後に北朝鮮系活動家が退去して政治活動をする為に沖縄に移住をして行きました。
其の彼らの事をさしているのか?
何せ沖縄に旅行した時に「読売新聞」を読みたくてホテルのロビーにおいてなくてたまたま入ってお店で「読売新聞は置いてないのですか?」と聞いた時のあの反応rと其の後に付けられて国際通りをお土産を買うために酔ったお店の人と店に置いて在る品物について色々聞いたのですが其の都度其の後に其の店に後を付けていた人が何を話したのかを脅して聞いていて私が再度戻ってもう一度商品の説明を聞こうとしたら迷惑そうにして無視されました。
所謂私が「赤旗」が「地元では『琉球新聞』」と変えて売っているのかと思って其れを其のままそうなのかと聞いた時の異様な反応もそうでしたがあの独特の雰囲気は異常でしたね。
何のために数千年に渡って「伝承」を伝えて其れを今にまで伝わっているのでしょう。
不思議な事で其の懸賞も化学的研究も必要だと思うのです。
旧約聖書の「予言書」が地球規模ならアイヌ、沖縄に伝わる「伝承」は日本規模でしょうか。
日本人と旧ユダヤ人の遺伝子と「失われた10支族」についての本を読んだ事が在りますか?
=============
失われたイスラエル10支族は日本に来ていたことが、科学的な遺伝子調査で判明した。イスラエルの調査機関アミシャーブの最新情報を紹介するとともに、シルクロードからやってきた景教徒、秦氏の秘密に迫る。
https://www.hmv.co.jp/artist_%E4%B9%85%E4%BF%9D%E6%9C%89%E6%94%BF_000000000255794/item_
============
↑(失われた10支族、日本、運命の遺伝子)
其の辺りでググると色々出て来るでしょう。
更にシュメール人と縄文人でも色々出て来ると思います。
シュメール文化と日本をしらべてみると年代的にも更に神に対しての考え方も含めて色々出て来ると思います。
其の後に「失われた10士族と日本」に関して遺伝子も含めて其の文献を読めば色々と出て来るでしょう。
私はアイヌは遅くに日本に北方ルートでたどりつた人々だと思っています。
其れは遺伝子の科学的研究で更に詳しく解って来るでしょう。
其れが北海道と本州の間が離れてしまったのと何らかのアクシデントで其れまで本州に渡っていた道を見失ってしまって北海道に留まらざるえなかった人達だと推測しています。
其のまま本州にそれ以前に北方ルートで渡っていれば「コロポックル」の様な神話も「銀の雨ふるふる、金の雨ふるふる」の伝承も無かったと思われます。
「だからこそ、此の地に留まって守らなければならなかった「物」」が在ったはず。
其れをしていればよかったのです。
今の「自称アイヌが 『所謂アイヌ民族』となり『差別』と言葉を悪用する『所謂アイヌ屋』」と呼ばれる様な人達にはなっていなかったはず。
ぐれいす様の年代なら「同和」と言う人達を覚えていますよね。
それと全く同じ手口で「差別」と言う言葉を悪用して何らかの日本国民の税金から優遇措置を得て暮らそうとしている所謂「政治プロ」と言った連中です。
70年代も終わり学生運動もすっかり下火になった時に多くの北朝鮮系活動家が「政治プロ屋」として生活する為に沖縄に渡って「基地反対運動」を始め色々な「反対運動」で生活する為に渡って行きました。
アイヌにも目を付けたのでしょう。
現存しているかいないかは関係ないと考えています。
北海道の歴史的史実を問題にしているのです。
だから同じ様な事を言えば「琉球文化」も「琉球先住民族」となりうるのです。
其れ以外に地方独特の文化を持っていて現存していれば「○○ぶんか」となり「○○先住民族」となってしまいますよ。
更に言えばアイヌは他から北海道に日本で言えば鎌倉時代に北海道に移住してきてきた人達です。
其処にもともと住んで居なかったのです。
基準が可笑しすぎます。
私は貴方は言う様に日本全体の話としてアイヌは日本人だと思います。
更に今のアイヌは「民族」と言うには「民族」の定義が可笑しいと思います。
自称「アイヌ」と言えば「なんの根拠も無くあいぬになれる民族」等可笑しいでしょう。
其れなら根拠を示せと言っている。
アメリカの先住民族の考え方は州によって違います。
更にサモア人、エスキモー人。ハワイ人も先住民族になっていると思います。
アメリカにはアメリカの歴史があります。
北海道の場合は科学的史実に基づくとアイヌ人以前に其処に北海道縄文人が「北海道」に住んでいた事が歴史科学的に証明されています。
明治時代になって或いはそれ以前に江戸時代後半になって本州の人が住みついたからそれ以前にアイヌが北海道にいたからと言う思考は本州目線に思えます。
北海道の史実をきちんと検証すれば北海道の歴史から見てアイヌ文化時代は余りにも短いです。
鎌倉時代からの歴史でありそれ以前にオホーツク文化時代があり其のオホーツク文化時代とアイヌ文化時代はかぶっています。それ以前の縄文時代は非常に貴重で一万5000年も続いていて其処に一つの縄文人縄文文化時代があります。
つまり北海道には弥生時代も飛鳥時代も平安時代も無かったのです。
その間は北海道独自の縄文時代が在ったのです。
更に明らかにアイヌは北方ルートで其の縄文人のいる場所にオホーツク文化時代とかぶりますが外から北海道に来た人達です。
北海道の科学的史実から言って北海道の先住民族と言うには余りにも北海道の歴史を無視した思考だと思います。
日本の本州の歴史を検証すると縄文時代、弥生時代、其の後の時代もきちんと存在して江戸時代から、明治時代からの歴史だけを取り上げてそれ以前の歴史を無かった事にはしないでしょう。
其れと同じ事です。
すみません。此れは北海道の歴史を紐解いての事ですので北海道のみの縄文時代としても私はどうしてもアイヌ文化が日本で言えば鎌倉時代から出て来たので其れに拘りさせていただきます。
やはり私には「アイヌは先住民族」とはしたくないです。
先住民族だからと言う事で優遇されると言う事に疑問を感じる事は何度も言いましたが同意です。
私はアイヌ文化時代が日本の鎌倉時代から始まっている事からも日本人のルーツに北方ルートと縄文文化時代縄文(じょうもん)時代が紀元前13,000年ころから約1万年以上もの長い間続いた事から北海道には其れだけ長く北方ルートから来た縄文人が住んでいた事を考えると北海道の縄文文化時代と縄文人を無視する事は科学的に無理があると思われます。
ですのでアイヌが北海道の先住民族とするのは科学的にあり得ないと思います。
きちんと科学的に検証をして其処ははっきりさせるべきだと思います。
此の今の技術できちんとDNAも含めて科学的に検証できる時代に何故其れをしないのかと思います。
北海道の縄文文化時代を無視する等はあり得ないでしょう。
アイヌ文化と尊厳を守ると言う事と科学的歴史的検証は別物です。
北海道には縄文文化が在ってアイヌ人以前に厳然と存在していた史実があるのですからアイヌは「北海楼の先住民族」ではありません。此れが私の見解です。
こういった科学的検証を無視するから日本には冤罪が多く発生し、日本の裁判は黒時代の前近代的裁判と国際的に揶揄されるのです。
そのくせマスコミの作った工作的世論に流されやすいのでコロッと騙されて国会で可笑しな制度が出来たり科学的検証もせずに「アイヌが先住民族」と決めたりするのです。
日本国民として怒り心頭ですよ。
北朝鮮系の工作員は学生運動時代に色々なセクトに沢山は言ってました。
其の一部はべ平連にもいましたし。中国語?で試す様に話しかけられた事もありましたから中国の工作員も沢山入っていたのでしょう。
日本人学生は就職して殆どが去って行きました。
公務員になったり、医者になったり、東京の企業に就職したりと色々でしたが北電にも入った人がいて私の顔を覚えていたのでしょう。
電気代を私が勤めていた会社から北電本社が近かった物ですから延滞料金を払いに行った時に警備員に慌てて言いつけたらしくて一度荷物検査をされる所でした。
拒否した物ですからそれ以来私を一階の色々な展示物を見学したりすると警戒されました。
今は電気料金を銀行引き落としにしたので延滞する事も無くなったのですが。
北朝鮮系活動家の多くの人達は集団で沖縄に移住してプロ市民として生活する為に行ったのですが
北海道に残ったのも居たのですね。
私は其の後に家事育児仕事に忙殺されていたけど。
私が知っているアイヌはアイヌの神を信じて信仰深く伝承伝統を重んじて炭酸の知恵を持った人達です。
アイヌの神話「コロポックル」によると此の地にたどり着いた時から4本の柱が在って屋根が着いた家を建てたのですから釘が無くても家を建てられる技術を持っていたと思われます。
アイヌ文化時代にオホーツク文化時代がありますのでアイヌは北方ルートで北海道にたどり着いたのでしょう。
大昔はサハリンと北海道は繋がっていましたので陸伝いに人が渡ってきて本州に渡ってきて縄文人と交配して日本人と呼ばれる人達が出来たのですが次第にサハリンと北海道の間には簡単な小舟を使わないと行けなくなって次第に其れも困難になり南方から人が渡ってきて本州を目指した様です。
そう言った歴史の中でか日本では鎌倉時代にオホーツク文化からアイヌ文化時代に変わりますので恐らく小舟を使って北海道に渡って来た人達なのでしょう。
日本人が持っている特殊なDNAの中でチベットに持っている人達がいるとの事ですから北方ルートは在ったと思います。
縄文人時代つまり縄文文化時代は現在の科学的に解明の中では世界的にも古くシュメール文明の辺りです。
===============
シュメール人とは?その文明と「日本人のルーツ」の謎に迫る
略
シュメール人はチグリス・ユーフラテス川流域に世界最古の都市国家を築き、それがメソポタミア文明の先駆けとなった。
シュメールの民族と言語がどこから来てどこへ消えたのかは、いまだ解明されていない。アッカド、バビロニアに支配され、その後バビロニアがペルシャ帝国に併合された頃に、シュメール人は忽然と歴史から姿を消している。
略
https://newsphere.jp/national/sumerian-japanese/
==============
↑シュメール文化の事は世界最古の文明とされているので宇宙人説が出てきたりと面白いですよ。
シュメール文化が色々な其の後の文明との繋がりが在ったり日本の神道との類似点が在ったりと近年指摘されています。
縄文人文化とのかかわりもあったとされてますので其のつながりは今後さらにDNA研究や出土品研究も含めて更に「北海道の『手宮洞窟の謎』」も含めて解明されて行くでしょう。
キリスト教でしたか。すると何かあった時にとっさに頭に浮かぶ神様はイエス様かもしれませんねぇ。
私も長い事協会には通いました。
知人にキリスト教の人が居て其の方の葬儀も教会で行われました。
下からの続きです。
私は助けてやったのに例も言わずに不快な態度を露骨に出す其の男子学生の顔は「こいつの事はゆるせねぇ。」としっかりと覚えた。
其の後学生運動は潮が引く様に下火になって行った。
「まだ、そんな事やっているの?」とか昔の同じ隊列に居た人達が就職して其の集団から白い目で見られる様になっておとなしく女子学生をする様になって行った。
其れから結婚して子供もできてどの位経った頃だろう「道新」にアイヌの儀式を復活させて其れをやるイベントがある事が書かれていた。
私は懐かしさもあって其のイベントに駆け付けた。
何と其の場を仕切っていたのがあの態度が悪いセクトの男子学生だった奴だった。
儀式に使った鮭を彼はバーベキューセットの様な物で焼いていた。
(何でよりによってお前が仕切っているんだ!?)と思った私は簡単でしかもアイヌなら必ず家にある物の名前をアイヌ語で言って其れは持っているかと聞いた。
彼は何度も聞きなおしてきたが「何を言っているのかわからん」と言ったので「お前はアイヌ語も知らないのか!なのに何で此処で仕切っているんだ!本当の目的はなんだ?」と言う様な事を言った。
其処で彼は私の顔をまじまじと見て思い出した様だ。
自分達が何者かを私が知っているのを解った様だ。
其の場を「叩きだされた」と言う言葉が当てはまるだろう。
正に暴力的に其の場を追い出された。何と私が暴力的に出されているのに周りにいる人達は見て見ぬふりをしていた。
全員知っているのだと私は思った。
此れが「混じっては行けない『悪魔の血』」が混じった結果なのだろう。
私は帰り道に其れを実感した。こうなるのをアイヌのお爺さん、叔父さん、お婆さん達は恐れていたのだろう。
私はアイヌのお爺さんの事を思い出すと悔しかった。
アイヌ新法が出来て「自称あいぬと言えば優遇措置」が得られる事を知った。そんな制度を誰がつくらせたのかと憤った。
一体『民族』とは何なんだ。『アイヌ民族』とは何に変化してしてしまったのか!?
この時代になって何のためにDNA検査をしないのか?其れこそ自分達のルーツをはっきりさせれば良いだろう。
北朝鮮系の過激派組織の連中だった彼らの血がもともとのアイヌの血が完全に混じって解らなくなるまで時を稼いでいるのか?
「血の伝承の『悪魔の血」」が何かを解られるのを阻止する為の時間稼ぎか?
私の大学時代は団塊の世代です。学生運動の真っ只中でした。
私も「べ平連」からノンセクトのメットをかぶってデモに出ました。
犬も歩けば棒にあたると言われる様な状態で校内は過激派学生が色々なメットをかぶって行動してました。
自然と顔を覚え合う様になってました。
当時も女子大生は目立っていました。特にワンレンの長い髪に黒ヘルをかぶる頃までには色々紆余曲折して色々なセクトの学生と交流もして顔なじみになってました。
で、とある場所での色々なセクトの全体集会の後にデモに移った時に一人の白ヘルの女の子に「トイレに行きたいのだけどどうしたらいい?」と相談されました。
丁度周りを見渡してもトイレなど見当たらい場所でした。
其れまで其の子も我慢をしていたのか緊急性があると直ぐに解りました。
私はとっさに近く居た男子学生のヨレヨレのロングコートを借りて「花を摘みに言って来る」と言って二人で隊列から離れました。
出来るだけ離れた所で其のコートを広げて隠してあげて彼女は用を足しました。
ちゃんと「花を摘んでくる」と言ったのに糞馬鹿男子の一部が隊列を放得る二人を問題視して付けてきました。特にしつこく付けて来た男子を急いで用を足して立ち上がったを確認すると其の男子を「変態」と言って蹴飛ばしてやったけど。「花を摘みに言って来る」と言って草むらをかき分けて行けば解るだろうに其れが解らない糞馬鹿男子達嫌がった。
で、問題は其の借りたコートを返さなければならないのだけどとっさに誰から借りたのかは解らなかった。
で、数日後に其のコートを持って色々なセクトのたまり場に行ってコートの持ち主を探した時に事情を話してもかなり怪しまれた。で態度の悪いセクトの面々の顔は覚えた。
でしばらくしてススキノで態度の悪いセクトが集まっている中にいた女の達がやくざが絡んでいると言われる店に時間があるので時間つぶしに入ろうと言った会話で入って行く所で其の後に男が付けているのに遭遇。とっさに私は其の女の子達に「ひさしぶり~」と声をかけて強引に店に入るのを阻止して引っ張って安全な道へ誘導した。チラッと後ろをみていると向こうもこっちを見ている(チッ、顔を見られた。この道は一年位は通れにな)と思った。安全な道まで来た時に偶然態度が悪い其のセクト男子学生に出くわした。
其の男子学生は私を睨みながら其の女子学生達を連れて行った。
もう少し後になって書こうと思いましたが個人的なアクシデントがあり万が一ご返答が遅れる事が在るかもしれませんので今書いておきます。
以前も書いたように一人のアイヌのお爺さんが私が小学校の時に無くなりました。
其れはアイヌの人達の15歳?以上の人達が集まって何かを決める大きな会議が在った後です。
当時のアイヌの人達は「此の地」を離れる事をアイヌの決め事として禁止してました。
其れはアイヌには「『血の伝承』即ち此の地を離れると混じっては行けない『悪魔の血』が混じり神を裏切るであろう」と言う物でした。
私は「血が混じる」と言う事が解らずお爺さんが言う「守らなければならない『血』」の意味も解らず「そんなに大事な物ならだれにも見つからない所にかくしておけばよい」とか「血をまじると言うのはお皿に入れた血を混ぜると言う事?」とか絵の具の別々の色を混ぜると言うイメージで何度も詳しく聞きました。
アイヌはお爺さんは何とか子供でも解る様に「結婚して子供が出来ると其の子供はお父さんとお母さんの二つの血が混じった子供が出来る事で其のどちらかが悪い血を持っていると其の子供に悪い血が混じる事だと」なんとか子供でも解る様に教えてくれました。
其の「此の地を離れる事」を認める事に「血を伝承」を守る為にお爺さんは命がけで反対してくると数日後の会議の事を私に教えてくれました。
数日後に行くと会議から知っているお爺さん、叔父さん、お婆さん達が暗い顔をして帰って来た所でした。
お爺さんは一言も話さず家に入って行って玄関のカギをかけてカーテンを閉めました。
私はアイヌの叔父さんに会議の結果を聞きました。
そしてお爺さんの家にとっさに行こうとしましたが、ガシッとアイヌの叔父さんに掴まれてもがいても動けませんでした。アイヌのお婆さんは泣いてました。私はアイヌのお爺さんの言った「命を懸ける」「必ず説得して見せる」と怖い顔をして言っていた事を其れをアイヌの叔父さん達、おばさん達、お婆さん達に言っていた事を思い出して不安になって何度もアイヌのお爺さんの家に入って何か怖い事が起きるのを止めようと思いましたが私の体はアイヌの叔父さんに止められました。
暫くしてアイヌの叔母さんが泣き始めたので私は何が起きたのかを察知してアイヌの叔父さんにしがみ付いてワンワンと泣きました。
謎が解けるのは大人になってからです。
貴方にとって例えば大切な人が事故に遭って病院に駆け付けたとします。
助かって欲しいと思って思わず「神様どうか○○を助けて下さい」と思わず思ったとして其の時に頭に中に現れたのは「ひとつ(ひとり)」の神様だと思いますか?「八百万の神様(沢山)」の神様が浮かぶと思いますか?
私はもや~とですが「ひとり」です。誰なのかは解りませんが多分一人だと思います。
神棚に置くお札も「天照大御神様」のお札を買ってきて納めます。
唯旅行先でたまたま神社をみつけて「せっかくだからみんなでお参りしていきましょう。」となった時は其の神社が何を祀っている神社かは解りませんが参拝致します。
そんなイメージですし「トイレの神様」もおしえられましたし「お米の一粒一粒に・・・」もしつこく教えられました。
イヨマンテはお爺さんに聞いた時は私が子供の頃に旧約聖書の説明の中で聞いたのと同じに何となく感じただけで両方とも子供時代の記憶ですので子供に教える為に両方とも解りやすくするために色々省いて説明したのでしょう。其のイメージでした。
でもどちらも似ているんですよね。
其れには両方の関係の科学的な研究が必要です。
実際北海道は本州より長く縄文時代が存在しました。その後にアイヌ文化時代が来ます。
アイヌ文化はどこから来たのでしょう?北方ルートの今のロシア経由だとしたら日本人文化のルーツとかぶる時が在ったのかもしれません。
日本に一度に大量に渡ってきて住み着いて「アイヌのお爺さんが言っていた『神話の伝承』」と似たようなものが日本にも在ったとしたら、反対に日本の神話と似たようなものが「アイヌの神話の伝承」に在ったとしたら其のルーツは同じかもしれません。
一度に渡って来たとしても何組かに数年にかかって渡ってきて其の一部が本州にたどり着けずに北海道に留まったとしたら「アイヌの聖地に在った鳥居」も「アイヌの家の様式」が「日本の神社」の様式に似ている事も頷けます。
其れにはDNAの研究が其の中の重要な一片を担ってくれる様に思うのです。
日本の今の「神道文化」の研究も「伊勢神社」の謎も「アイヌの聖地に鳥居」が在った事も神棚の謎もきちんと研究されればよいのですが。
ふとおもいだしたのですが「イヨマンテ」は自分の大切な物を神にささげると言う事で熊になってますが其れが旧約聖書に出て来る羊を神にささげると言うのと似ているとアイヌのお爺さんにイヨマンテの話をお爺さんに教えて貰った時に思った記憶があります。
当時は小学生で我が家は仏壇があり神棚があり日曜日には教会に行って居たのですが当時の教会で其れまでなかった旧約聖書の勉強会を大人の人達がやっていて其の人達の読み上げる旧約聖書を聞いて質問した中にそんなきおくがあってアイヌのお爺さんに「イヨマンテ」の話を聞いた時にどこかで聞いた事があるはなしだけど熊では無く羊だった様なと思ったのを思い出しました。
DNAによりますと日本人とアイヌの人達と旧ユダヤ人とつながりがある義号があるとか。
旧イスラエルの失われた10支族の一部が日本にたどり着いたと言う説もあります。
科学的にもっと調べて行くと色々解って来ると思います。
DNA解析で縄文人について詳しく調べている人達もいるようですが北海道は日本の鎌倉時代まで縄文文化時代が続いていて其の後にアイヌ文化時代が来ます。
其れだけ色濃く縄文人の血が残っていて更に縄文人が持っていた日本人特有の記号もあります。
神道の神は確かに「八百万の神」と言う考え方があります。
七福神にはヒンドゥー教、仏教、道教、神道の神様も含まれていますからね。
勿論トイレの神様もいますし、お米の一粒一粒にも神様がいると教えられました。
其れとは別にアマテラスが中心でその他に「八百万の神様」が居ると言う考え方があります。
私は其の考え方を持っています。
信仰の世界ですので私は「天照大御神」を唯一の神としてその他に「トイレの神様」も「お米一粒一粒」の神様も含めて「八百万の神様」が居ると言う解釈です。
ですのでお札は「天照大御神」の名前を書かれた物を購入致します。
ぐれいす様が書いた「カムイ(神)の似姿という旧約聖書創世記の描写」にとても興味があります。
其れをぐれいす様がどうやって知識をえたのを詳しく教えてください。
何と日本のルーツにも日本人が旧ユダヤ教、旧約聖書の時代と繋がっていると言う説があります。
「君が代の意味」と言うので
==============
国歌『君が代』の謎―ネットで噂のヘブライ語翻訳版
略
千代に チヨニ シオン※の民 ※イスラエルの歴史的地名・形容詞
八千代に ヤ・チヨニ 神の選民
さざれ石の ササレー・イシィノ 喜べ残された民よ 救われよ
巌となりて イワオト・ナリタ 神の印(預言)は成就した
苔のむすまで コ(ル)カノ・ムーシュマッテ 全地に語れ
略
ヘブライ語は20世紀に再生されるまで、約2千数百年の間、一部ユダヤ人の間だけで使用されていた言葉。そのため、歴史はあっても古代ヘブライ語と現代ヘブライ語では若干表現や発音が異なり、訳した人達は訛りなどを考慮し訳した部分もあるようです。ただし、紹介されるサイトではどこも基本このような感じで紹介されていました。
https://news.livedoor.com/article/detail/9490208/
=============
「日本神道」の儀式が「旧ユダヤ教」の儀式と似ている事はご存じだと思いますが
=======
伊勢神宮のデザインはイスラエルの神殿が原型?
伊勢神宮の伝統やしきたり、宗教文化においては、イスラエルの文化と多くの共通点があることが指摘されています。例えば日本の神社の構造は、イスラエルの幕屋とエルサレム神殿のデザインと類似している点が多数あります。ソロモン王がエルサレム神殿を建造する以前の時代、イスラエルの民は荒野を旅しながら、モーゼを通じて語られた神の教えに従って、いつ、どこでも神を礼拝できるよう、移動式の神殿を旅の途中で設置していました。その簡易礼拝所は「幕屋」と呼ばれています。それは長方形の枠に囲まれた垂幕の中に小さな木造の至聖所を設置するというものでした。
略
https://www.historyjp.com/article/37/
=======
お詳しいのですね。
私はアイヌのお爺さんから教えて貰った知識が主です。
お爺さんの家には神棚があって一度神様にささげた物は時間が来ないと下ろしてはいけないので私を抱き上げてお供え物を見せて貰いました。
山から取れた物か川から取れた物か海から取れた物等をお供えするのだそうです。
私はお爺さんに我が家にある神棚について教えました。
そして私はおばあちゃんに教えて貰った「日本の神話」も言いました。
どっかから神様が来てうんこをかき混ぜて日本が出来たと私は解釈している訳の解らない言葉を暗唱させられていたので其れを言ったのです。
アイヌのお爺さんは同じ伝承をアイヌにも在ってアイヌの方がもっと詳しく正しいと言ってアイヌ語の其の神話を話してくれました。
似ている言葉が出てきて驚きましたが何とアイヌのお爺さんはアイヌ語の方が正しくアイヌに伝わっている伝承を教えてくれました。
だいたいの意味は似ていると言っていました。そしてアイヌのお爺さんは泣いてました。
明治以降にアイヌが神棚とか鳥居を信仰の一部に取り入れたのではないのです。
アイヌの家の建て方にも神社と同じ屋根の形が使われていて其れはアイヌの家の伝統です。
其処に不思議と共通している物が在って其れをアイヌの人達は「コロポックル」の中に出て来る此の地に住み着いた時からやっているのです。
其れだけではないのです。アイヌの家に門外不出の其々の家に伝わる物が在って其れが総て合わさると何かがあるのです。
其れは絶対に他の人に知られては行けない物なので其々の家で見聞きした物は他の家で言っては行けないとお爺さんにきつく言われました。
日本の神道が神棚を作ってお参りする神は唯一の神です。
ですが其れと同じに色々のな物に神が宿っていると言う信仰もあります。
其れは縄文人の信仰の名残りではないかと私は思っています。
アイヌも同じ様に縄文人の信仰と自分達が持ってきた物との融合がなされたと思います。
アイヌはどこから来たのでしょうか?
そして日本の神道はどこから来たのでしょう。もしかして其のルーツは同じかもしれません。
DNAの科学的解析が其れを証明してくれるでしょう。
其の鍵となるのが「縄文人」とそして「日本人にしかない記号」と「日本新党とアイヌの神」との関係だと言えるでは。
アイヌに対しての優遇措置を廃止するべきと言うご意見は同意致します。
其の為にアイヌに不信感を持っている私が現にいますから。
アイヌには「血の伝承」があり其れはアイヌの私が知っているお爺さん、お婆さん、叔父さん達にとって守るべき重要な物でした。
私が彼らから聞いたのは「此の地を離れると混じっては行けない「悪魔の血」が混じり神を裏切るであろう」と言う様な内容だったと思います。
私が小学校3年の時にアイヌの人達の15歳以上の人が集まる総会の様な場所で此の地(北海道?或いは国が用意してアイヌの人達に渡した土地?)を出たいと言う人達を認めるかの大きな全体会議の様な物がありました。
大きな会議でしたので今のアイヌで80歳以上の人達が居れば解るはずです。
私が知っているアイヌのお爺さん、お婆さん、叔父さん達は「血の伝承」のとうりになる事を危惧して外に出る人達が出る事に反対をしてました。
しかし多数決で出たい人は出ると言う事に決まりお爺さん、お婆さん、叔父さん達の落胆ぶりは口には出せません。
子供ながらに私に一番沢山の事を教えてくれたお爺さんが「抗議の自殺」をした事は更に其れを宣言して反対したような感じの雰囲気と其れを周りの人達は見守る事しか出来ないで私がお爺さんの家に入るのを止めた叔父さんの腕の感触もとても怖い事が起きている事も覚えています。
私は其のお爺さんの思いを大切にしたいと思っています。
「アイヌの血」を大切にしたいと思っています。
アイヌが先住民族で無い事は当時の国語の教科書に「コロポックル」と題名で「アイヌの神話」が載っていたので其れを読めば「自分達が此の地に住み着いた時にもともといた人達をコロポックルとアイヌの人達が呼んでいた事、自分達の家は柱が四方に在って家の作りが違う事、コロポックルは身長が自分達より小さかった事、神に対する考え方が違った事、彼らと闘いになり彼らをこの土地から追い出した事」が書かれていました。
アイヌの神の信仰は神道と同じで唯一の神で神団が家々にあります。
一日に2度神棚にお祈りをします。更にアイヌの聖地と呼んでいた場所には鳥居が在りました。
当時の縄文人の考え方が色々な所に神が宿っていると言う考え方でした。
やがて縄文人と混じって両方が神への考え方になったと思われます。
戸籍謄本に「アイヌ」と言うのを書いてある欄があるのは知りませんでした。
そうなっているのですか?
更に貴方は
~~~~~~~
ぐれいす
2024/07/10 11:06
自己申告で認められることなんて、未だにあるんですか? だとしたら制度(行政)の方にも問題があると思います。
~~~~~~~~~~~~
↑此処で自己申告を否定してますが、今度は 「かたち上、自己申告だとしても信じ込んでいるなら、自主的に検査しようとは思わないと思うのですけど。」と前言とは矛盾する事を言いだすんですね。
現在のアイヌが自分がアイヌだと信じていても2世代前の人間がアイヌなのでしょうか?
其の人が「自称アイヌだと優遇措置が貰えるのならアイヌと申告して優遇措置を受けたアイヌ」だとしたら、或いは「アイヌである事を利用して何らかの利益を得る為にアイヌと名乗ったとしたら」其の後の世代は「アイヌ民族」になるのだとしたら「アイヌ民族」とは何でしょう?
「所謂『アイヌ屋』」=「アイヌ民族」なのでは無いでしょうか?
今も親がアイヌと記載されればアイヌと言う事で優遇措置が受けれます。
更にそれ以前は自称アイヌと記載すれば其々の地方が設置した優遇措置が受けれます。
自己申告ですよ。
現実に科学的に「アイヌ民族」であると言う証明は何もありません。
其れこそ「日本民族」との違いは何でしょうか?
立証するには「アイヌ民族の科学的証明」をして其れにそった者でなければならないはずです。
此の時代に「DNA証明」は簡単にできます。
にも拘わらず其れをしないと言うのはどういうことなのでしょうか?
私も此の制度に問題があると思っております。
「民族」とするなら「血の繋がりの証明」が基本中の基本でしょう。
「アイヌ民族」と言う名の「カルト宗教もどき」で其れを系統しているなら「アイヌ民族」になると言うのが今の現状でしょう。
其の「自称アイヌ民族」と言うなの「カルト宗教もどき」に日本国民の税金があの失われた20年と言われた就職氷河期等があって多くの若者が苦しんだ時代も金銭的理由から進学をあきらめた時代の若者もいる時代に日本国民の税金から優遇措置を受けていたのです。
其れを知った時から此の制度に疑問を感じていたし「民族」とは何かという事にも不信感を持ってました。
ですから私は実際に幼少期にアイヌの人達の身近に居て色々な諸事情を傍で見て聞いて感じて来た者として私が実際に聞いた「アイヌの『血の伝承』」を大切にしたいのです。
つまり私が幼少期に身近に居たアイヌの人達こそ「『アイヌの血』に拘って『アイヌの血』にほこりを持っていた」のです。
DNAと言う言葉も知らなかった時代に何とアイヌには『血の伝承』が在ったのです。
それが崩れる事を一番恐れていたのは当時のアイヌの人達だったのです。
日本人でも「其々の家に『家紋』が在って先祖代々に其の家だけが受け継いできた『守らなければならない物』がある家」が所謂旧家とかにあるでしょう。
其れよりももっと厳しい『律』がアイヌの其々の家にあり更に当時のアイヌ全体には守らなけらならない『血の伝承』が在ったのです。
其れが今のアイヌには無いのです。あるなら「DNA]で今は科学的に証明できるのですからすれば良いでしょう。
確かに小学校時代は郷土の歴史的な形でしたが、中学、高校も縄文時代がきちんとありましたし、アイヌ文化時代は其の後でした。
更にアイヌが「北海道の先住民族」としての位置づけは在りませんでした。
アメリカは西部ワシントン州で1974年インディアンと呼ばれる先住民族がサケの捕獲権の回復を求めて州政府を相手取った裁判で勝訴しましたが西部ワシントン州のみです。
===============
一方、最近の動きでは、オーストラリアで去年10月、先住民族のアボリジニなどの声を国の政策に反映しやすくするための専門機関の創設を含む、憲法改正の是非を問う国民投票が行われました。
投票の結果、反対多数で否決され、先住民族をめぐる課題解決の難しさが浮き彫りになりました。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20240417/7000066355.html
===============
私は「自称アイヌと言えばアイヌ民族になる」今のアイヌが果たして民族と言えるのかさえ疑問を持っています。
まず民族として位置付けるのなら其れなりの科学的根拠を示すべきです。
其れは自分の実体験として「アイヌの権利」を主張する人達のイベントに何十年か前に自分も個人的にアイヌの人達と深くかかわって来た経緯から其のイベントに参加してみて在日朝鮮人の人達の所謂活動家と言う人達が多く居て其のイベントを仕切っていたのを目の辺りにして彼らが深くこれ等の運動にかかわっている事を目の辺りにした時に違和感を感じました。
もしアイヌが民族として主張するのならば今は実に簡単に出来る遺伝子で科学的根拠の一つでも示せばよいでしょう。
何故其れをしないのかと言う事です。
「自分がアイヌだと申告すればアイヌとして優遇措置が受けられる民族」が『民族』と言う事に疑問をかんじます。
其れならば何でも無制限に『民族』となり「日本文化継承民族」と言うのを作れば「自称日本文化を継承していく人達を一つの民族」として成り立ち其れに対しての優遇措置を得られる事は成り立ちます。
もっと他の事でも良いでしょう。九州地方の何でも良いですし、東北地方の「コロポックル」でも良いですし、独自の何か文化を継承している集団でも良いのです。
自称とか唯の自己申告を等と言う非化学的な事を止めて科学的根拠を何故示さないのかと思う。
私は北海道ですが、小中高の歴史は縄文時代がありました。
私の通っていた小学校では縄文土器がケース戸棚にかざってあったり階段の踊り場の窓の所にも縄文土器が置いて在りました。
更に土器を作る授業と言うのがありまして地元でとれた粘土質の土をこねて焼くと言う授業もありまして服が汚れてうんざりした記憶があります。
北海道にとって縄文時代はまさに其の辺から土器が出ていましたので身近でした。
しっかりと縄文時代の授業がながながとあり其の後にアイヌ文化です。
其の当時はアイヌは北海道の先住民族などと言う人達はいませんでした。
普通にアイヌ人はいましたし、近所に住んでいましたし、其れこそアイヌのおじいさん、おばあさん、叔父さん達は私に色々なアイヌの知識を教えてくれる人たちでした。
遊び友達にアイヌ人の子供もいてお祈りの時間が来ると親が呼びに来ていましたよ。
しっかりと縄文時代、縄文人がアイヌ文化時代より長く先だと言う事を郷土の歴史として学んでいたので当時はアイヌは北海道で「先住民族」等ではありませんでした。