90歳で父親が逝きました…。
- カテゴリ:日記
- 2024/07/05 14:31:24
85歳を過ぎた頃、
ベッドから立ち上がり布団に毛躓いて
左大腿骨頸部骨折。
緊急の知らせを聞いて実家に行くと、
義弟が父親の痛みを阻止し持ち上げようとしている。
主人が、待ったをかけ
救急車を呼んだ。
最初にたどり着いた病院で発熱37.5度→コロナ軽症で別の病院へ搬送
搬送先はPL花火で有名な…病院とは思えぬホテル?な病棟に父の様子を見舞い、
左大腿骨頸部骨折という痛みを我慢させられて、あちらこちらの病院へ
やっとこ最初の病院へ、かなり時間が経過しているため、手術の痛みより、
リハビリが痛かったみたい、担当の先生に向かって素早い蹴りが入ったw
家で父親の世話をすることを拒んだ母親は
「どこでもいいから、お父さんはいらない!」
おかげで、タクシーのごとく走らされ、こんなところあんねんな・・・
あれ?バスあるじゃん大阪駅~井高野まで1時間数分ごとに発車。
そんなこんなで、糖尿病・高血圧・高脂血症など、
まさかのいつ火傷したん、そのお尻から黴菌が入り危篤状態へ
そして7月2日午後0時38分、息を引き取りました。
その場にいた母親はギリギリ間に合い、
私は顔にかぶせられた姿の父親を冷ややかに見ていた。
涙も出ない、そのうち、出るのだろうか。
早朝、母親に呼ばれて、実家にいるのだけど、どこへ行くとも書いて無くて、
お腹は空くし、主人は家で待機。
高齢であっても、病気にはならないほうがいい。
病院ってさ、お尻の火傷を片方だけ確認して、もう片方を違う担当の医師が視て、
これは・・・大騒ぎになった。あのね、お尻って二つあってお尻なのよ片方だけ見てたらアカンよ。
ご家族の方は見ない方がいいと言われたが、お尻の黴菌が足の血管に詰りを起こし、ま紫に変化していた。もう少し、腕の立つ医師はいないんかいw
透析患者でもあるから、透析が通らないと思いきや、10日前に預かった手紙を先生に渡した。そんな前から、この人たちはなにをしとるねん><
他の親戚には、母親は「まだ生きている」と伝えてるらしい。
「まだ」っていう?
そして今日、私と主人は母親と葬儀会場へ泊りに行く用意をしたんだけど、
母ちゃんがいない、どこへ行った?連絡もない…3階建ての家を買った妹んちに行っているであろう。
私たちは何も聞いてないから、悪いけど、引っ越し祝いは出さない。
周囲に吹聴しまくっては、リハビリをサボり、遊びに行ってます。
私も30代半ばに坐骨神経痛に悩まされ痛い想いをしました。
そんな母親も85歳。
二の腕がぷらぷらと誤魔化しては、妹んちに遊びに行き、私達には黙っている。
そんなことをしているから私達姉妹は仲良くないのかもしれない。
いつも励ましの言葉を頂き有難き幸せ^^
5年、あっという間でした。
「家に帰りたい」と切望する父親の言葉を無視し口もきかず他人の前では…。
デイサービスに通っていた頃に作った風鈴が玄関脇に無造作に置かれている。
「第2弾の家に帰りたい」
葬式の際に突然、話をこっちに振る母親と花代の支払いをしていないことを追求しまくる妹。
いや、そんな話、聞いてないし…クレカでの支払いを拒み、近くのコンビニに行こうものなら、
更に、止めにいれられ…穏やかで終わりたい葬儀に妹の言葉が突き刺さったまま。
頭金100万円で35年ローン、、考えただけでも眩暈がしそう@@
毎月16万円が支払えるのかはさておき、自分たちの住む新居は此処だと自慢したいのだろうけど、
玄関も間口も狭い!
まぁ、今の団地が狭い=ちらかっているから=広くなれば=散らからないと思っている。
私は主人の運転する車で母の荷物を軽々と運び、
「二人家族なのになんでこんな大きい車が必要なの?」
食い下がる妹に主人と私は黙秘w
あて=他人だと思い流そうかとw
義弟の会社からの弔電と此方の弔電を読み上げ
香典は、通常は3000円~10000円の処、
10万円を送って来た弊社、社葬じゃあるまいし「思わず桁を間違えてるがな」と口に出た。
次週、お返しに上がろうか^^;
長くお家を離れていらっしゃったのですよね。
お尻の火傷の理由が気になってしまいますが、
色々な苦痛から解放され空の上からmalonyさんを見守っていらっしゃるでしょう。
こちらでご両親や妹さんとのやり取りを色々拝見しておりましたが、
お母様も妹さんも困ったなぁ・・・です。
これから先もきっとあてにされるのでしょうけれど、
ご自身を守りつつご主人とお過ごしになられますように!