Nicotto Town


ぴのぴののなんでも日記


『光る君へ 第26回』の不明点??


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 高橋一生の「ブラックジャック」のスペシャルドラマが続いてますが、風呂にしました。ブラックジャックは最低でも1年間以上での連ドラじゃないと、あの物語感を後世に残すことは無礼でしょ。
 では今夜2回、観終わったので大河の不明点を残します。
  
 では、「光る君へ 第25回」を即考察します。

  • ・「天文密奏」は安倍晴明の書きたい放題。凶事をすべて一条天皇のせいにし、彰子入内承諾に持って行く、闇落ち道長が書いた絵なのでは?

  • ・円融院系ともう1つの??系は交替で天皇になる決めは無かったっけ?

  • ・また「呪詛」をチラつかせるのはほんとに不快。

  • ・ロバートが日記かきながら、「ない、ない!」とあえて言っている意味がわからない。不賛成?

・彰子がうつけな娘となっているのは、道綱が✖✖と言われているのと同様に史実なんだろうか?

・定子の皇子誕生と彰子入内の日を重ねることが、なぜ効果大なのか??

・「裳着の儀」の儀式の説明がなあい。入内前に衣装を見せるだけ?

・蔵之介のやり取りはもういーや。史実はパパ活してんじゃん。多淫ワイロ大県知事の連チャンしてるしな。

・さらに、いとの説教もいらなあい。

・石山寺って、さわさんのあの寺だったっけ。また夜這いは道綱かと思ったら・・・。はいはい。

 予告では、まひろも出産かあー。
 あっ、彰子をいまはうつけにしておいて、まひろにかしこくしてもらうってことなのか??うんうん、ありそう。

                     かな?
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2024/07/10 14:47
呪詛をちらつかせるのは不快と言われましても…ねぇ。
実際に横行していたみたいですし、仕方がないのでは?
平安の闇を象徴するエッセンスのようなものでしょう。

実資が日記を書きながら「無い」を連発していたシーンは、少々謎です。
不賛成という意味では無いと思うんですが。
実資にも娘はいるので、自分の娘の入内を想像して「それは無いな」と否定したのかな、と思わなくはないですが。

彰子ですが、うつけなどどとんでもない。
定子の様な華やかさや即位即妙の受け答えは無かったようですが、ある意味レディ・パーフェクトと言って良い聡明な人物です。
慎重に構えて決して失敗しない、そんなタイプ。
もしかしたら、父道長の政治力を最も受け継いでいるかもしれません。
後に一条の中宮となり国母となり後宮を束ね君臨しますから。

彰子の入内と定子の皇子出産が重なったのは、個人的には偶然では?と思ってますが(入内日は陰陽師に占わせて吉日を選ぶでしょうし、出産は予定日に生まれるとは限りませんので)、出産に入内と言う華やかな行事をぶつけて皇子誕生のインパクトを薄れさせよう、という目論見ではないでしょうか?

「裳着の儀」は女子の成人の儀式です。入内前の衣裳見せではありません。
「裳」とは正装した貴族女性が着物の一番上に付けて後ろにひらひらと付けている薄い布の事。
2話あたりで、まひろも「裳着の儀」をやってました。
まぁ、左大臣家の姫である彰子の「裳着の儀」はまひろとは比べ物にならない豪華さではありましたけど。
ドラマでは女院の詮子が裳の帯を締めていましたが、史実では詮子は出席していません。
儀式で頭に付ける飾りを贈ったそうですが。
ちなみに、居貞親王や定子も贈り物をしたそうです。
左大臣の一の姫の「裳着の儀」ですから、素知らぬ顔は出来なかったのでしょうね。

藤原宣孝とまひろの喧嘩で、まひろが宣孝に灰をぶちまけたシーンは源氏物語のオマージュですね。
玉鬘の章(?)だったような?
まひろの色々な経験が後に書く「源氏物語」に生かされる、ということでしょう。

石山寺は、以前さわと一生に詣でた寺です。
石山詣では平安貴族の間でブームになってましたので、詣でる貴族がとても多かったと言います。
紫式部が「源氏物語」の着想を得たところ、とも伝えられています。本堂の一角には「紫式部源氏の間」が作られてますし。


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2024/07/10 14:10
こんにちは^^

「天文密奏」が安倍晴明の書きたい放題というのは穿ちすぎの見方でしょう。
晴明は賀茂保憲から天門道を継いでいますから天文に関しては第一人者ではありますが、だからといって書きたい放題は無いですねぇ。
というか、それらしき描写はドラマ内に一切無かったですし。
別に彰子入内の承認を一条天皇に凶事の責任をおしつけなければ貰えない訳でもないですし。
既に中宮定子の他に女御が二人入内していて、ドラマではスルーされてますがその内の一人は結構寵愛されたらしいですし。
出産の為に内裏を出てもいます。ただ想像妊娠だったらしく「水を産んだ」と記録にありますが。

円融系と冷泉系の天皇が交互に、という両統迭立(りょうとうてつりつ)ですが、こういう状況は何度かあります。
平安前期の嵯峨流と淳和流、平安中期が冷泉流と円融流、鎌倉時代の持明院統と大覚寺統ですね。
冷泉流と円融流ですが、発端は村上天皇を継いで即位した冷泉天皇がかなり問題のある人物で(非常にお下劣な絵を父である村上天皇に献上した、という逸話有り。キノコの絵だったそうですけどね)、即位はしたものの2年で退位し弟の守平親王が円融帝として即位。
ただし当初円融はあくまでも中継ぎの天皇であり嫡流は冷泉流と認識されており、円融即位時に子供が無かったこともあって皇太子は冷泉の子である師貞親王(後の花山天皇)とされます。
その後円融にも皇子【後の一条天皇)が生まれ、円融も自分の血統が天皇になる事を望むようになります。
結局円融退位後に即位した花山も父と同じく短期の天皇で終わり、天皇は円融の子一条となり皇太子は冷泉の子で花山の弟である居貞親王【後の三条天皇)となっているのがドラマの現時点。

古代においては天皇は兄弟相続が主でしたが、官僚制度が整うにしたがって父子相続が主となってきており、両統迭立は特別な事情がある時だけですね。

ちなみに三条天皇(居貞親王)にはドラマにも出てきた敦明親王の他にも子供がいますがいずれも即位する事はなく、冷泉流は三条天皇が最後の天皇となります。
三条の后になった道長の娘妍子(けんし/きよこ)が男子を産んでいたら違う展開になったでしょうが、生憎妍子は女子しか生まなかったので、一条の中宮になった彰子が産んだ皇子を嫡流としてしまうんですね、道長が。




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