大聖堂
- カテゴリ:自作小説
- 2024/06/26 22:39:36
大聖堂は、ピアノの音色で溢れていた。
シャボーノ・スコワイスキという男が一人、真剣な眼差しでグランドピアノに向かっていた。
私はその当時、このヨーロッパの小さな町に研修に来ていたのだ。
そして、ふとその大聖堂に立ち寄ったのだ。
私がこの町に来て、1週間が経った頃だった。
いつも研修先のバイオリン工房へ行くときに前を通るこの巨大な大聖堂がずっと気になっていて、その日は研修が早く終わったので、入ってみたのだった。
入った途端に聞こえてきたのがそのピアノの音色で、キース・ジャレットと坂本龍一を思い出させたが、でも、どちらとも違う、もっと森の中で苔むしたような冷たく湿った憂いと、夜に輝く苔たちのような煌めきがあった。
私は祭壇に向かってたくさん並べられたベンチに座り、そのピアノを聴きながら、大聖堂の中を見渡していた。
やはり、この国を代表する大聖堂の一つなだけあって、中から見ても、すごい迫力だ。
天井はとても大きくて、アーチ状の石の柱が幾重にも規則的に重なり合って、それがまるで天国のような荘厳で優美な雰囲気を演出していた。
そして、両方の壁に10以上ずつ配置されているとても大きなステンドグラスは主に青と白、水色と、青系統の色のみで構成されており、その光は白い石の壁や天井に青い模様を描き出して、とても幻想的な、この世から乖離したような世界になっていた。
私がその見事な建築に目を奪われていると、ピアノの音は少しずつ大きくなってきていた。彼はずっと小さな音で、同じフレーズを繰り返していたのだけど、それが徐々に大きくなっていたのだ。
とても繊細だが、とても極端なクレッシェンドだ。
音は単調に続いているようで、しかしいつの間にか聴いてる者を引き込む波のような力を持っていた。
いつしか音は極端に強く大きくなって聖堂内に響き渡り、聖堂内の高い石の天井の大きな流れにそって渦巻くように昇華していった。
まるで聖堂を楽器として使っているような見事な演奏だった。
最後はとてもとても静かに、羽根が一枚土の上に降り立つように、彼は演奏を終えた。
私は拍手をしなかった。
この大聖堂の中に残されたピアノの残響を壊してしまうように思えたからだ。
私はただ、その残響に身を任せて、聖堂の中の静けさに身を任せていればよかった。
私は聖堂を出る時、ふと入り口横に貼られた小さな紙を見た。
その国の言葉はまだちゃんと読めないけど、たぶん、今月のこの聖堂での演奏スケジュールだ。
4/2/2001、今日のところを見ると、白紙だった。
つまり、彼は勝手にピアノを弾いていたのだろうか?
その後、私は無事に1年間の研修を終えて、研修先の工房のツテで今度は更にもっと大きな街の一流のバイオリン工房でも働くことが出来た。
その時はちゃんと正社員としてだった。
その国は芸術関係の外国人にはとても手厚い国で、ビザの面接でバイオリン職人だ。と言うと、面接官は大いに感激してくれて、すぐにビザも降りた。
結局、私はバイオリン職人として、その国には10年滞在してることになる。
そして、つい先週のこと、私はいつものように週末の楽しみとしてコンサートへ行った。
そして、ようやく彼の名前を知ったのだ。
あの大聖堂でピアノを弾いていた青年が、今、舞台にいた。
グランドピアノの前に座って。
あの時のように。
とても静かに。
シャボーノ・スコワイスキ、今でこそ、現代音楽家として、現代芸術家としても、名を馳せているが、私が見たあの大聖堂での演奏は今でも心に残る、本当に言い表し難いほどの素晴らしい演奏であったのだ。
しがないバイオリン職人の私の宝箱に入ってる自分だけの宝石のような思い出なのさ。
パイプオルガンってなんかすごいよね。
確か、めっちゃ巨大なやつとかもあるよね。
はい、自分のペースで無理なく焦らないでしっかり治療やリハビリに取り組んでくださいね!
元々礼拝用のパイプオルガンの為に作られてる曲なんですけど、右手と左手でそれぞれメロディーもリズムも違うので、難しいけど音の掛け合いが面白かったんですよね~。
今指が不調でピアノは絶対無理ですけどね(^^;
早く頚椎ヘルニア治さないとですねw
おれもヨーロッパを旅していた時、よくいろんな教会や聖堂に行ったんだよね。
クリスチャンではないけど、教会の特別な雰囲気や建築が面白くてさ。
ステンドグラスも好きだし。
今朝、地下鉄の中でとあるミュージシャンの音楽を聴いていたら、このストーリーが思い浮かんでさ、職場に行くまでの間、書いてみたんだ(^-^)