沖縄慰霊の日・ふみの日
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- 2024/06/23 15:37:56
ニコットおみくじ(2024-06-23の運勢)
こんにちは!梅雨前線等の影響で九州から東北南部は雨や雷雨。
局地的に大雨の恐れも。
東北北部と北海道は雲が広がり、所々で雨。
沖縄は晴れ。
【沖縄慰霊の日・ふみの日】 Okinawa Memorial Day
Culture Day
Letter Writing Day
☆沖縄慰霊の日は、太平洋戦争末期に沖縄でありました、
地上戦で犠牲になられた人々を悼(いた)む日です。
★1975年度から毎月23日を「ふみの日」として、
各地方別に手紙を書く運動を展開していましたが、
1979年から国民的運動にする為に、
全国的な規模でキャンペーンを展開するようになりました。
尚、23日は「ふみ」の語呂合わせに因みましたものです。
「ふみの日」とは「手紙の楽しさや手紙を受け取る嬉しさ」を、
多くの人に知っていただくことを目的としまして、
1979年(昭和54年)に毎月23日を、
「ふみの日」として制定しました。
<概要>
〇沖縄慰霊の日
@沖縄戦の犠牲者を追悼する日
「異例の日」は、沖縄犠牲者の霊を悼め世界の恒久平和を願う日です。
この日は沖縄県が条例で記念日として定めました。
☆沖縄戦
太平洋戦争の末期である1945年に、
日本軍と沖縄諸島を上陸したアメリカ軍を主体とする連合国軍との間で
行われました戦いです。
日本軍は沖縄を本土防衛の最後の拠点としまして、
連合国軍は日本本土に攻め入る為の基地として、
沖縄諸島を攻略しようと試みました。
沖縄戦では連合国軍と日本軍を合わせて、
20万人以上の犠牲者が出たといわれています。
そのうち・・・
一般の犠牲者は推計で約10万人です。
実に沖縄県民の4人に1人が命を落とした壮絶な戦いで、
甚大な被害がありました。
@慰霊の日の6月23日は沖縄県のみ休日です
沖縄県では「慰霊の日」の6月23日は休日です。
日本の休日ではなく、沖縄県独自の休日です。
これには歴史的背景が深く関わっています。
第二次世界大戦で敗れた日本は、
連合国軍の占領下に置かれることになりました。
その後・・・
1952年のサンフランシスコ講和条約によりまして、
日本の主権は承認されました。
しかし・・・
沖縄県だけは引き続きアメリカの統治下に置かれました。
その為・・・
日本の休日とは別に沖縄県独自の休日が定められました。
★サンフランシスコ講和条約
第二次世界大戦後に連合国と結びました条約です。
これによりまして、日本は国際社会に復帰した訳ですが、
現在に残る様々な問題があるのも事実です。
1951年に第二次世界大戦の終結として結ばれた条約です。
◇ポツダム宣言
日本の無条件降伏をアメリカ、イギリス、中華民国(現:中国)が、
単に求めたものです。
サンフランシスコ講和条約は第二次世界大戦に参加した連合国と、
日本の49カ国間で結ばれました戦争の終結を意味する条約です。
この条約によりまして・・・
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の支配下を離れまして、
日本は主権を取り戻し、国際社会に復帰することになりました。
★冷戦で対立するアメリカとソ連、日本を資本主義陣営へ
第二次世界大戦で日本が降伏をした後、
アメリカとソビエト連邦(ソ連)は対立していきます。
これが冷戦といわれるものです。
国々はアメリカを中心とした資本主義陣営、
ソ連を中心とした社会主義陣営に分かれていきました。
◇資本主義陣営
西ヨーロッパ、つまり「西側」に集中します。
◆社会主義陣営
東ヨーロッパ、つまり「東側」に集中しています。
このように東西に分かれまして、東西冷戦とも呼ばれています。
アメリカとソ連が直接戦争を起こすことはなかったですので、
冷戦という呼び名が付けられました。
又、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、
争いました朝鮮戦争はこの冷戦によりもたらされたものです。
こうして社会主義勢力の拡大を警戒しましたアメリカは、
資本主義陣営に日本を組み入れる必要性を感じまして、
サンフランシスコ講和条約の締結を結ぶ準備を急ぎました。
☆「単独講和」と「全面講和」の意見対立
世界情勢はアメリカとソ連を中心とする西側と東側の対立状態です。
そのような中・・・
第二次世界大戦終結の講和条約を、
西側陣営も東側陣営も全ての国々と結ぶのは難しいようでした。
そこで出てきた意見が、単独講和と全面講和と相対するものです。
◆単独講和
資本主義陣営のアメリカとの条約を結ぶものです。
資本主義陣営の他の国々とも実際は条約を結ぶことになりますので、
片面講和ともいわれています。
◇全面講和
社会主義諸国も含めて条約を結ぶというものです。
主に日本共産党の方々等が全面講和を主張しましたが、
時の総理大臣である吉田茂さんが押し切る形で条約を締結しました。
《吉田茂》さん
1978年(明治11年)9月22日ー
1967年(昭和42年)10月20日
吉田茂さん「日本は軍費ではなく経済発展にお金を使うべき」
このように考えまして、このサンフランシスコ講和条約を締結しました。
又、1960年には日米安保闘争が起きました。
<主な出来事>
1947年 教育基本法、学校教育法、労働基準法の公布
1949年 労働組合法の公布
1950年 公職選挙法、生活保護法、住宅金融公庫法、
地方公務員法の公布
1951年 結核予防法、覚醒剤取締法の公布
1952年 破壊活動防止法の公布
1953年 麻薬及び向精神薬取締法の公布
1954年 厚生年金保険法、警察法、自衛隊法&防衛庁設置法の公布
〇ふみの日にちなむ郵便切手
発行日 :2024年7月23日(火)
発行数 :600万枚(60万シート)
料額 :63円(シール式)
販売価格:630円(シート単位で販売)
問題 本日6月23日(日)の沖縄全戦没者追悼式で、
沖縄県立みやこ高校3年の仲間友佑さん(18)が、
自作の平和の詩を朗読しました。
その平和の詩の主題を教えてください。
1、これから
2、それから
3、ここから
ヒント・・・〇自作の平和の詩 戦争を知らないことを自らの境遇を表現した作品
@意味
今からのことです。
@正解の主題
副詞的な用法で・・・
・時間的な視点(現時点から)
・位置的な始点(現地点から)
このような意味もあります。
さらにヒント・・・
〇具体的
「正解の主題の総会の議題にしたいと思います」
この「正解の主題」を「今後」に置き換えすることも可能です。
どちらも・・・
今現在以降に開催されるであろう総会の場で議題にするという意味があります。
つまり・・・
未来の総会を指しています。
お分かりの方は数字もしくは仲間友佑さんが作りました、
自作の平和の詩をよろしくお願いします。
ミオティカさん、お忙しいところ、コメントをありがとうございます。
そうですか、日付が分かりますか。
お役に立てることが出来まして嬉しいです。
はい、問題ですが、1番のこれからが正解です。
素晴らしいですね、おめでとうございます(祝)
ミオティカさんの所も夜になりましても、蒸し暑くありませんか?
こちらは現在気温は24℃ですが湿度があるので暑いです。
どうか体調を崩さないようにお過ごしください。
今週も大変お世話になりました。
来週もどうぞよろしくお願いします。
ヒントから
これから!