やまのなか
- カテゴリ:日記
- 2024/06/04 09:41:05
もう亡くなってしまったが母親の実家が長野県の伊那盆地にあった、家自体はまだあるけど住んでいるのは母親の弟一人だ。古い時代を映したビデオがある、1960年代、みんなが若い、祖父も祖母もいる、母親も父親も若々しい、僕などは小学生だ。少し記憶に残っている。初めて車で帰省したころ、中央高速道はなく甲州街道国道20号線を行った。途中笹子トンネルというなが~いトンネルがある。あのころはトンネルに入るとどの車もなぜか方向指示器を出して走っていた。 諏訪湖が見えてくれば行程も半分を過ぎる、杖突峠を越えて伊那路に入る、杖突峠・・むかしの人の歩く姿が想像される。あのころ車に積んである電子装備といえばラジオくらいだ、行先はロードマップなる本を本を見ながらの走行だ。エアコンなんかついてない三角窓から強烈な走行風が入ってくる。ここまでくればあと1時間,辰野、伊那市、駒ケ根、飯島と過ぎていく。伊那大島駅おばあちゃん家の最寄り駅、見慣れた道を走っていく、終点にあるのはおばあちゃんの笑顔だ。
窓の景色は山、山、山ばかりこれでもかっていうほど山ばかり、今回この日記を書いたのは、こんな山ばかりのところに青崩れ峠というところがあって細菌になってやっとトンネルが開通した。
あまり馴染みはないのですが思い出はいっぱいある土地です
青崩れ峠のトンネル工事 検索してみたら
すっごいたいへんだったって書いてありました
工事に携わってこられた皆様のおよろこびもひとしおだったことでしょう
我が家には車はなかったので
時々叔父の軽自動車にちょこっと乗せてもらうくらいで
ロングドライブは私が免許を取ってからでした^^;
だから 子供のころにお父さんの運転する車で
田舎に行ったという話を聞くとうらやましかったです
昔の車って三角窓ありました
窓の開け閉めはハンドルで
車体は四角っぽいデザインでフェンダーミラーでした
なつかしいですね^^
たきさんの文章って
光景が目に浮かぶようでホントに素敵ですね^^
それまでの長い道のり、少しは時間も距離も短縮されたかな。。。
おばあちゃんの笑顔が待ってる…
そう思うと遠かった道のりのことも忘れてしまいそうですね。
私も昔、祖父母の家に行くまで、海岸沿いの一本道を飛行機を降りてから1時間ちょっと
同じ風景の道を走る感じで、子供だったから「まだまだ」とか思っていました。
でも待ってる笑顔を見たら・・・嬉しくて忘れちゃうんですよね。