Nicotto Town



なぜ今、アナログへ回帰するのか?

※AIによる画像生成も絡む話なのですが、それを入れてしまうと
 長くなりすぎるので今回の話からは除外します

古来より人類は芸術を慰めとして来ていましたが

近年はメディアの進歩により、

ものすごく身近な存在になって来た気がします。

特にデジタルによる作画は、時短、コストカットの面からすると

革命と言ってもいいかもしれません。

しかしながら現在、この動きとは逆行するムーブが起こっている

のをご存じでしょうか?

つまりデジタルからアナログへと移行する人が増えてきているのです。

デジタルから入った人がってよりは

アナログからデジタルに移行した人が再びアナログに戻す動きが顕著です。

一度手に入れた便利を手放す。 一体界隈では何が起こっているのでしょうか?



デジタルアートの問題は数々あれど一番の問題は

容易に複製、修正できてしまうことでした。

パクリ、無断盗用、無断改変が横行する世界では、正当な評価はし難く

デ-タそのものの価値は、アナログに比べて低く抑えられてきました。

そうした問題点をクリアすると期待されて登場したのがNFTです。

NFTはデジタルデーターにオリジナルのお墨付きを与え

その所有権を売買できるという、

アナログの絵画と同じような仕組みを作り上げたのです。

このことはテジタルアートのバブル状態を急速に作り出し

市場は一気にヒートアップ、データである絵は飛ぶように売れました。

最初は、恐らくは話題を作るために資金投入されていたのでしょう。

子供が1分で描いた絵などが数百万で取引されたりしていました。

我先にと、投資目的の人が買いあさる姿が見て取りましたが。

明らかに無理やりつくられたバブルは一瞬で崩壊。

現状NFT認定を受け市場に出回っているデジタルデータの95%以上は

無価値であるとの査定を受けています。

また認定を受けた物の80%は一度も売買成立していない

動きのない死蔵品と言われています。

このことで、デジタルアートは芸術になりえなかった

という人もいますが、果たしてそうなのでしょうか?

これは半分は正しいような気がします。



そもそも芸術とは何なのか?

そんなの人によって違うだろう! とか思われるかもしれませんが

きちんとした定義はあります。

それは世界に還元しないもの ということです。

生物でも、有機物でも、無機物であっても

いずれバラバラになって、根源的なものへと還ることになります。

その輪廻の輪から外すことが芸術です。

当然それには、保管、修復等々のコストが付いて回ります

そのため、それらのコストを掛けても残しておきたい

という人が居るモノだけが、

輪廻の輪から外すことを許されるわけです。

この話を簡単にまとめると

富士山そのものは芸術にはなりえないのですが

これをモチーフにした絵や写真は芸術になりえます

例え対外的な価値はなかったとしても

本人が飾って、愛でているうちは芸術と言えるでしょうし

ある日外されて処分されてしまえば、役目を終えたということで

その時点で芸術ではなくなります。

先ほどデジタルアートが芸術であることは半分正しいと言ったのはこの点で

デジタルデータという信号に過ぎないものは

生まれた時からすでに、いずれ世界に還元される存在でありません

しかし価値を持ち、コストを掛けて残すという部分では

芸術と足りえるのではないかと思います。



ここまで読んでくれた皆さんは

ああ、なるほどデジタルアートの価値が下がったからアナログへ回帰したのか

と思われたかもしれません

しかしながらそう単純な話ではないとおもうのです。

なぜNFTのほとんどが無価値になってしまったのか?

それには需要供給などの経済的なものもあるとは思いますが

一番の問題は、『神の宿る余地がないこと』 な気がしています。

そしてこのことこそが、デジタルからアナログへと回帰している

一番の理由ではないかと思います。


では、神の宿る余地とは何なのか、について解説していきます。

少し前に

『年々、失敗を味として許容できる領域が広がってきてる気がする』

というつぶやきをしていたと思いますが。

これこそが、実は神の宿る余地に他なりません。

もう少し詳しくいきます。

アナログに回帰してきた人たちが口をそろえて言うことに

『デジタルは自分の思った通りのものが仕上がる』

と言ったものがあります。

一見すると当たり前のことだし、それは良いことのように思えます。

エスキースの通り仕上げてゆくことは、デジタル、アナログの区別なく

正しい作品の仕上げ方です。

しかしながら両者の間には決定的な違いがあります。

それはデジタルには失敗がないということです。

いやいや失敗はあるだろうと思う人もいると思います。

そりゃまあ失敗もするんですけど

重要なのは、すぐに戻せるという部分です。

デジタルな作画では、画面に変更があれば、オートセーブをし

多数のセーブポイントを作り、いつでも任意の場所へ立ち戻ることができます。

あ、線が撚れたな ちょっと思ってた色と違うな

などというミスが起こったとしても瞬時にやりなおすことが可能です。

ところがアナログにおいてはそうはいきません

塗ってしまった色が、白っぽ過ぎたなと思っても

消して立ち戻ることも、塗った色から白だけを抜き出すことも出来ません。

何かしらの手段を用いて修正することになります。

その辺の技術はデジタルには不要なものでしょう。

ちょっと話はずれるのですけど、料理するようになって

この辺の作業って料理に似てるな~って思うんですよね

塩入れ過ぎても、塩だけ抜くことは出来ないから

何かを加えていくことで調整する。

引き算が出来るデジタルと 足し算しか出来ないアナログ

この辺りが2つを分けるポイントだと思います。

長々とうまく説明できてない気もするので

言いたいことを簡略に書きますと



デジタルは自分の想定を超える作品にはならないけど

アナログは自分の想定を超える可能性がある

それは失敗の修正という、エスキースからは外れた部分で起こり

これこそが『神の宿る余地』と考えます。

これがデジタルからアナログへと回帰する人たちの

求める部分であるとすると

これからもこのムーブは続くかもしれませんね。

最も、偶然の産物をデジタル上で表現できるようになれば

また違ったアプローチが生まれるかもしれませんが…。




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