立憲民主党の元党首枝野が革マル派から金を貰っていた事が何故国会で問題になるのかと言う事は『革マル派』とはどんな組織なのかと言う事と関係があります。
革マル派とは
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革マル派は、正式名称を「日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派」といい、昭和38年2月、中核派と分裂して組織されました。思想的には、マルクス、レーニン、トロツキーの革命理論を基礎としており、「帝国主義打倒、スターリン主義打倒」、いわゆる「反帝・反スタ」を掲げ、東西冷戦終えん後もプロレタリア世界革命及びその一環としての日本革命を目指している団体です。
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革マル派は、昭和50年代ごろまで陰湿なゲリラ事件を次々と引き起こしていましたが、最近は、表面上暴力性を隠して、組織拡大に重点を置き、各界各層への浸透を図る戦術をとっています。しかし、機関紙紙上では依然として「ブルジョア国家の転覆をめざす革命党」であることを繰り返し主張し、組織内の結束を図っています。
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また、革マル派は、街頭での集会、デモの際にも、セクト名は出さず実行委員会名等でカムフラージュしたり、参加者同士がペンネームを使用するなど閉鎖性、秘匿性が強いほか、他党派と共闘することもなく排他性が強いのも特徴です。
同派は、東京都内早稲田に構えている「解放社本社」のほか全国6道府県に設置している支社等を表向きの拠点として活動しています。しかし、非公然・非合法活動を伴う“裏の活動”は、全国に点在する、いわゆる非公然アジトを拠点として展開されていることが警察の摘発で判明しています。
https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten258/it2.htm
日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(にほんかくめいてききょうさんしゅぎしゃどうめいかくめいてきマルクスしゅぎは、略称:革共同・革マル派[1]、通称:革マル派)は、革共同系の日本の新左翼党派の一つ。
1962年の革共同第三次分裂により結成された。「反帝国主義・反スターリン主義」を掲げる。理論的指導者は黒田寛一。公然拠点は解放社。機関紙は月刊『解放』と隔月刊『新世紀』(旧『共産主義者』)。学生組織はマル学同革マル派。警察白書では「極左暴力集団」[2]、マスコミは「過激派」と呼んでいる[注釈 1]。
↑ウィキより
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次に革マル派の極悪殺人集団と呼ばれる理由を紹介します。
革マル派は過去に組織的に多くの殺人事件を起こしています。
其の一部です。
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革マル派は、対立する中核派などからの襲撃事件や、1990年代には神戸連続児童殺傷事件などでも、権力謀略論を主張した。警察側はこれらの陰謀論について、反権力意識の高揚や組織の引き締めなどが目的であるとの見方を示している。
↑ウィキより
昭和30年代後半から他党派との間で内ゲバを繰り広げ、多数の死傷者を出しています。内ゲバ等を行うための非公然部門が組織されており、これまでにも、「特別行動隊(特行)」という名称が使用された経緯があります。同派による特異な内ゲバ事件として、中核派書記長・本多延嘉殺人事件(50年3月14日発生)、革労協書記長・笠原正義殺人事件(52年2月11日発生)が挙げられます。
両事件は、ともに対立する中核派及び革労協の最高幹部をねらったものであり、両派に致命的な打撃を与えています。しかも、その犯行手口は、複数の者で襲撃し、相手の頭を斧や鉄パイプ等でめった打ちして確実に命をねらうという残忍極まりないものでした。
https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten258/it3.htm
川口大三郎事件(かわぐちだいさぶろうじけん)とは、1972年(昭和47年)11月8日に東京都の早稲田大学構内で発生した革マル派による早稲田大学第一文学部の男子学生へのリンチ殺人死体遺棄事件である[1]。
ウィキより
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↑これらは革マル派が組織的に行った殺人事件の極一部です。
革マル派の「極悪凶悪殺人集団」と更に其の思想と現在も活発に活動している事から全国の警察も其の行動を警戒しています。
其の一部を紹介します。
極左暴力集団(過激派)とは? - 北海道警察
北海道警察ホームページ
https://www.police.pref.hokkaido.lg.jp › keibi › kagekiha
革マル派は、警察や対立する団体、個人などに対して違法な手段、方法による調査活動を組織的に行っており、このような違法な調査活動は非公然アジトを拠点として行われてい ...
過激派とは? - 福岡県警察
福岡県警察 ホームページ
https://www.police.pref.fukuoka.jp › keibi › kosan
過激派は、その結成や信奉する理論等から、「中核派」、「革マル派」、「革労協」等様々の集団(セクト)に分かれており、その勢力は、昭和44年の約5万3,500人 .