『光る君へ 第21回』最近、一筋縄ではなかなか・
- カテゴリ:テレビ
- 2024/05/26 22:29:22
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今年の大河ドラマは、史実定点もわかんないし、出演者少数での「会話劇」なので、会話文言を額面どおりに聞いてちゃダメだし、裏を常に読まなきゃなんないし、なかなか録画も消せないよね。
では「光る君へ 第21回」の即考察です。
- ・定子出家はストレートに兄の処遇の抗議の意、でお終い?
- ・伊周はとことん無様にするのでしょう。ママ同伴まで落ちるのか。どれが史実かわからないけど、勝者の記録でしょうから、イタイなあ。それにしても道隆没からたった一年のことなんだ。
- ・またまた二条第不審火。実は悲劇のヒロインはお騒がせ者で、経済損失でかい。
・先週、あんなにあたまを絞った「呪詛騒動」も吉田羊自作自演であっさり回収。姑に罪隠蔽でおしまい。
・また今回も天皇家の懐妊が下々に漏れてしまった・・・。
・さて、今回の大きま柱「枕草子」は紫式部のヒントで生まれたってことで確定!!??。ナレーションも当たり前に言っちゃってたし。
・もう松下洸平=戦人 決まり。
・蔵之介の妾伏線のやり取りは先週から継続中か?けど、まだまだまわり道がありそう。
・そういえば過去の大河ドラマでキスシーンの記憶って無いなあー。忘れてるのかなあ。
・このお話しは新生の「タカラヅカ」が使うんじゃない?
・各所でのNHKのCGの精度アップにはビックリ。家康の時と比べて格段の進歩だあー。
松下洸平と吉高由里子の組み合わせは、TBSドラマ「最愛」と全くおんなじじゃん。新鮮味全然無し。いま放映中の「9ボーダー」の結末が出たから、こっちに出てんのか??
かな?
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藤原宣孝と紫式部の結婚は998年ですので、あともう少しです。
式部の越前滞在は約一年半ですので、その間に文でアプローチをかけるのでしょう。
ただ、紫式部が宣孝との結婚を決意した経緯は分かっていません。とにかく資料がありませんので。
そのあたりは、脚本の大石氏に期待です。
大河ドラマは、そもそもラブシーン自体があまりありませんので、今回の「光る君へ」はそのあたりが今までとは違っています。
好みは分かれるかもしれませんが、個人的には大いに有り、です。
むしろ切った張ったより好き。
NHKの泥臭いある意味リアルな殺陣も嫌いではないですが、どちらかといえば民放の綺麗な魅せる殺陣(暴れん坊将軍や水戸黄門が代表格)の方が好みですし。
新キャラの周明は、戦人かどうかは別として単なる見習い医師ではないでしょうね。
一応宋人ということにはなってますが、本当に宋人かどうかもわかりません。
宋人のふりをした女真族(の中の刀伊族)だとしても個人的には驚きません。刀伊の入寇の前フリの可能性も無くはないかも、と思っています。
時期に20年以上のタイムラグがありますが、大陸人は気が長いですし。
侵攻されるのは壱岐対馬で越前ではありませんが。
基本的にドラマを殆ど見ないので(特に現代劇は嫌いです)、松下洸平氏も今回初めて見る方です。
TBSドラマ「最愛」というのも全く観た事が無いので、その実力の程はこれからの越前編で見せていただく所存。
予告を見る限り、為時の治療を切欠にまひろと親しくなるっぽいですが、どうなるんでしょうか?
息子たちを急激に引き上げ過ぎた事もありますが(貴族には良くあることで、父兼家もやっていた事ですが)、公卿たちの大半の反感を買ったのは、中宮にした定子の母方の祖父である高階成忠(たかしなのなりただ/伊周に命じられて大元帥法を行った、とされている人)を従二位まで昇進させた事でしょうね。
成忠は本来なら良くて正五位上(越前守になった為時と同格)辺り相当の身分で、本来なら大臣級の従二位など上がれる人ではなかったんですよね。それが運良く孫娘が中宮になったおかげで出世したのですが、高階ごときが従二位などありえん、と他の上級貴族から総スカンを食らうくらい反感を買いました。
ちなみに女院の詮子が定子を嫌うのも、ほぼ同じ理由の様です。本来はさほど高い身分ではない高階の血を引く定子が、我が子一条天皇の寵愛を独占しているのが気に食わない、といったところ。
加えて、詮子は定子の母貴子個人を嫌ってもいたらしいです。
貴子は道隆と結婚する前は、掌侍(しょうじ)として円融帝の後宮で仕えていて、円融帝からかなり信頼されていたらしいのですが、そこが気に入らなかった様で。
詮子は円融帝から疎まれてましたからね。
二条第(にじょうてい)の火災は、落ち目の中関白家に盗みに入った盗賊が放火した事が原因ということです。まさかと思いますが、定子自身が火を点けた、とか思ってませんよね?
没落して人手が少なくなって盗賊にとって狙い目立ったのかもしれません。
まぁ、内裏にさえ盗賊が入っていた時代ですから。
ドラマでは清少納言ことききょうが、定子に向かって「生きなければなりません」と諫言して救い出していましたが、実際は二条大焼失時に清少納言は里に下がっていて、定子の元に駆け付けられた筈はありません。
ドラマならではの名シーンですが。
随筆「枕草子」がいつ書き始められたのかははっきりとはしませんが、おそらく二条第が焼失後、定子が別の邸宅に移り清少納言が再出仕し始めてからではないかと思います。
ですから概ねドラマ通りかと。
書き始める切欠も幾つか説があり、ドラマはその中の一つにまひろを絡めたアレンジで、上手い手だなぁ、と感心しました。
実際は出会った事はなかったであろう平安の二大女流作家の二人ですが、もし出会っていたとしたら案外ドラマの様に仲が良かったかも、と思わされますし、特に不自然さは無いです。
定子が髪を下した理由は、兄弟の処遇に対する抗議というより、兄弟の行い(及び母方の祖父を始めとした高階一族の所業/主に呪詛関連)に対する連帯責任をとった感じでしょうか。
極刑もありえたところ罪一等を減じての遠流であることは重々承知していると思うので。
ただこれはあくまでもドラマの場合であって、実際の定子は結構勢い(?)で髪を下した感じで、妊娠初期ンお不安定な時期に検非違使に踏み込まれたりして、頭に血が上ってカッとなってやった感じ(?)
ドラマの定子程には覚悟をきめていなかったのでは、と思える節があります。
伊周は実に無様でしたが、あれはドラマの演出で必要以上に彼を貶めた、と言いたいところですが、実資の小右記の記述にかなり忠実なので残念ながら史実です。
検非違使に踏み込まれた時に邸宅ぁら逃げ出し(本人曰く、父の墓参とかしていたそうですが)、出家したと偽って戻ってきて結局偽装を見破られて大宰府に送られる事になりました。
その際、途中まで母高階貴子が牛車に同乗していたのも史実です。
遠流に母親同伴など許さん、と怒った一条天皇の命令で親子が引き剥がされたのもまた史実。
このあたり、全部小右記に書かれています。
伊周らの処分は、徹頭徹尾一条天皇が主導し、道長はそれに追随しただけですね。
ちなみに、ドラマだと母と引き離された伊周はそのまま大宰府に送られた様に見えますが、事実はもう一捻りありまして…
伊周が病気を主張したので、一条天皇も温情をかけて大宰府に送るところを播磨(現在の兵庫県南部)に留める命令を下します。弟の隆家も出雲のところを但馬(兵庫県北部)に留め置かれる事に変更。
そこで大人しくしておけば良いのに、伊周はこっそり京に舞い戻ってしまうんですよね。
息子たちと引き離された母貴子が病気になって臥せってしまったので(ドラマではスルーされてます)、その見舞いの為ということですが、許される事ではないので密告されてあっさり再度捕まり、今度こそ大宰府に送られました。温情を無碍にされた一条天皇が激怒したとかなんとか…
ちなみ隆家は母が病気と聞いても「罪人の身である」と但馬から動かなかったそうです。
道隆没後の中関白家の雪崩を打ったような没落は、後の清盛没後の平家の没落を連想させます。
後者の方がより悲惨ではありますが。
道隆が存命中に打った手が全て裏目に