Nicotto Town


どんぐりやボタンとか


ニューヨークってびっくり!(14)

ニューヨークに住んでだんだんわかってくることの一つに、意外と親切な人が多いということがある。

東京とかロンドンや上海とか他の大都会に住んだことないから比べるのは出来ないけど、けっこう親切な人は多いと思うのよ、NYC。


例えば、地下鉄などの公共の場所で席を譲る人がけっこう多い。
まあ、目の前におばあさんとかいても座り続ける人もいるけどね。

年配の人、障害のある人、赤ちゃんや小さい子連れてる親、とかに席を譲ることが多いんだけど、驚いたのは、男性が普通の若い女性にも譲る人がいるの。
もちろん、健康な若い女性はしっかり自分で立っていられるけどさ、文化なんだろうな〜。
半分以上の女性は断る人の方が多いけど。
まあ、若い女性に席譲るケースは稀だけどね。


あとはドアを開けてあげたり、次の人のために開けて待っていてくれるのはかなり多くて、ほぼ当たり前でマナーに近いかも。

んで、いつも素晴らしいなあと思うのは、地下鉄の階段とかで年配の方の荷物とか、お母さん一人で持ってるベビーカーとかを代わりに階段の上(もしくは下)まで持って行ってあげる人もけっこう多いんだよね。
これは本当に助かると思うよ。
年配の方が、お買い物カート持ってたりするとさ、エレベーター無い駅は結構あるから階段が大変だし、お母さん一人で赤ちゃん連れて外出してる時も階段は大変だもんね。
それをさっとやってあげて、お礼言われて、No Problem!とか、Take care!なんて言って、さっと立ち去るのがカッコ良いので、おれっちも真似して良くやるなり〜^_^

結構、ニューヨークの人たちから見習うことは多いと思うなあ。
今は腰的に無理だけど。。(涙)


おれは仙台出身で、仙台で育ったけど、こうゆう親切はそこまで多くなかった気がするな。
もちろん親切な人たちもいるけど、ここまで習慣付いては無い気がする。
これは日本も見習って良いところかもね^_^


生まれて初めてニューヨークに来たのが確か20年以上前。
当時は9.11あった翌年くらいだったかな?
おれはグランドゼロ(テロの跡地)を見ようと思って、タイムズスクエアから歩いて行ったのね。
今では当然地下鉄で行くけど、その当時、全くニューヨークのこと分からなくて、地下鉄も勝手な思い込みで怖いものなのだと思ってたし、地図見たらマンハッタンってちいこいから簡単に歩いて行けると思ったのよ。
タイムズスクエアで思いっきりカタカナ英語で「フェアーイズグランドゼロ?」と聞いて、なんか英語で言われてわからないので、「ウィッチ?」と道路の北と南を指差して聞くと、その人は南を指差してくれたので、そっちに向かって歩いた。
ちなみにタイムズスクエアからグランドゼロ、元ツインタワーの場所までは地下鉄の駅で10個以上でまあまあ遠い。
通常は歩いて行く距離ではない。
そんなこと全く知らないおれは元気いっぱいでそっちに向かって歩く。


いえーい、ニューヨークのマンハッタンだ!すごいぜー!と、ルンルンで歩いて行く。

歩いて、んで、また歩いて、ひたすら南へ歩いて行く。

全然着かない!!
めっちゃ疲れてきた!
もう帰りたい!


それでもがんばって、途中で何回か聞きながら、たぶん1時間以上は歩いたと思う。
ようやくグランドゼロの近くっぽいところに来たような気がする。
知らんけど。
なんとなく感覚的にこの辺じゃん?って思った。

んで、もうちょっと具体的な場所が知りたくて、公園のベンチに座ってるちょっと小汚いおじさんに聞いた。
するとそのおじさんはすごく親切で、オッケー、おれに着いてこい。と言って、ストリートに出て、

「あのな、あそこにビルがあるな、あの茶色いのだ。わかるか?よし、あのビルを右に曲がれ、そのまま行くとすぐにグランドゼロだぞ。」

とめちゃくちゃ丁寧に英語がわからないおれにもわかりやすいように指挿しながら説明してくれた。
オッケー、ありがとう!と言って、行こうとすると、おじさんはちょっと怒った顔をして、手のひらを差し出す。
おれは意味がわからなくて、握手しようとすると、全然違う!金だ金!と言われた。
あ!ニューヨークでは道を聞いたらお金を払うのか!?と思って、そのおじさんに確か数ドルあげた。

今思えば簡単なことで、もちろん、ニューヨークで道聞いたらお金払わなきゃいけないなんてことは無いし、そのおじさんはホームレスね。
んで、やたら親切だったのはこの英語も話せないアジア人の若造から金取ってやろうと思ってたから^_^

まあ、おかげでグランド0にはようやく辿り着けて見学出来たから良かったけどね^_^


確かその時はテロの翌年、2002年の夏頃だったと思う。
まだ全然復興出来てなくて、テロ攻撃を受けて崩壊したツインタワーの跡地はフェンスで囲われていて立ち入り禁止。
フェンスの金網から中を見ると、中には重機が入ってて、だいぶ片付いてはいたけどまだ瓦礫が残ってる状態。
フェンスにはたくさんの亡くなれた一般の方々や消防の方々の写真やメッセージが貼られて、花束がいまだにたくさん置いてあった。

そこはね、ビジネス街のど真ん中なんだよ。
東京で言うとたぶん、丸の内とかの感じかな。
たくさんのビジネスマンたちが仕事をし、日常を送るその場所の真ん中にある最も高いビルに飛行機が突っ込んだ。
現場に行ってみるとさ、それを実感するんだよ。
ここにあんなデカい旅客機が突っ込んだの??って信じられない感じ。すごく非現実的なんだ。。

確かそのすぐ近くの教会にその当時はテロの状況の写真とかたくさん展示してある場所になっていて、そこも見学した。

おれは戦争を経験したことはないけど、それはまさに戦地と同じ状況だったと思う。
何の関係もない人々が突然理不尽に命を奪われて、本当に怖かったと思うし、痛かったし苦しかったと思う。
そのご家族のみなさんはどうしようもない取り返しのつかない悲しみと絶望に突き落とされたのかも知れない。
いつも思うけど、戦争やテロで最も被害に遭う人たちは、独裁者でも戦争がしたい政治家たちでもなくて、ただ平和を願い日々一生懸命生きてる一般の人たちじゃないのだろうか?



今、シリアや、ガザ地区、そしてウクライナの問題があって、ニューヨークに暮らしていると、ここに住むそれらの土地出身の人々も多いから、彼らと接したり、彼らのデモに出くわすことも多々ある。
イスラム教徒や、ジューイッシュ、ウクライナ人、ロシア人の彼らと実際に会うと、本当にただの生身の人間なんだ。
当たり前のことだけど、実際に会ってそれを実感することはとても大事な気がする。
すると戦争が少し身近になる。

テレビの向こうで起きていることではなくて、本当にそこで起きてることなんだ。とわかる。
関係があろうがなかろうが、それは事実なんだよね。

話が大幅に違うテーマに移ってしまったけどね。



東北大震災があった時、ニューヨークでは多くの人がとても素早く募金活動をしてくれた。
仙台出身のおれは嬉しかった。
その時、留学生だったおれは、その募金のための学校全体での活動のために校長がスピーチしたのが印象に残ってる。

「9.11の時、私たちは日本にたくさん助けてもらった。今度は私たちが助ける番だ。
9.11のテロは、私たちのこの学校の場所からもっとマンハッタンの南の場所でそれは起こった。
当然、グランドゼロとこの学校は地続きであって、他人事では無かった。
それが今、日本であっても同じこと。
海など関係なくそれは地続きであって、9.11と同じように私たちに関係のあることとして考えるべきなんだ。」

ほんと、そうかもね。
ウクライナもガザ地区も、おれたちと地続きなのだと思う。

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2024/05/19 23:06
べるさん、

そうなんですね。
日本国内でも地方によって違うのかもですね。
おれもニューヨーカーを見習うようにしてます(^-^)
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2024/05/19 19:20
ドア開けて待ったり、待ってくれてたりはこちらでも結構多いですね。
土地柄もあるのかもですね。

あとエレベーターに複数乗った時は私が開閉係になってる事が多いですw
「先に降りて下さい」と譲ってくれる方ももちろんいらっしゃいますが^ ^
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2024/05/17 10:18
machatteさん、

そうだね、たぶん、欧米の習慣なんだろうね〜。
結構当たり前だよね。

日本は外国人、特に欧米人には優しいけど、日本人には冷たい人もまあまあ多いかも。
もちろん、優しい人もいっぱいいるけど。
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2024/05/17 00:26
ケベックではお店のドアとか後ろの人がいたら
開けて待ってくれますね、いい習慣だなと思ったので
私もまねしてます!
日本は知らない人には結構冷たいですよね~
私は徳島の田舎育ちですが田舎も知らない人には冷たいです



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