『光る君へ 第19回』が終わりました。
- カテゴリ:テレビ
- 2024/05/13 00:29:36
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『アンチヒーロー』が今回も大健闘。5回にしてここまで展開快調。大河ドラマの記憶を整理するため、「字幕」は役に立ちますね。
では「光る君へ 第19回」の即考察です。
- ・今回、何度か出た、はんにゃ の目が異様に真っ赤だったのが気になる。
- ・いつの時代も、コネ・縁故採用にはウンザリ。
- ・「源高明」の血筋を重用する意味がわからない。過去の天皇の血筋であるだけでは?かつ一度は没落したのに。
- ・行成の女子取材メモを「焼き捨てろ」は逆の漏洩の伏線でしょう。しかし、そのメモではなく、道長が書き始めた「日記」を倫子が盗み見で漏洩。ですが、静止画で観ても、何が重要情報なのかがわからなーーい。
・春と秋に天皇発の通達がある という名残りは、今の春、秋の叙勲が なのでしょうか?
・内閣に現公務員が「任命、転勤」の希望を直接出せるって、いまより風通しがいいかも。
- ・さて、茶飲み話からあれよあれよと、皇后陛下に会い、天皇まで出て来ちゃいました。すげーー。
- でも、白昼面男時におわたり。その時のウイカの「すぐに戻られるから、待ちましょう」・・・・。え、その間ずっと座って待って、また会話再開してんだよね・・・・。
- うーーーむ。あっそ。
・また、夜這いVS夜這いってことかあ。武士なら叩き切ってお終いなんだろうなあ。それにしてもここで花山かあー。
最初のクレジットで見逃してた。疫病にもかからず、緊縛を続けてたのかあ。
先週より動きが少しもどったか。
やっぱり、戦国ものと比べて、基本、京都を動かないし、セットも変わんない。殺陣、立ち回り禁止。「忠」「義」は?今後の闇落ち?に向かっていく柄本佐君の演技力が最大の興味です。
かな?
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平安の人に令和の価値観を押し付けるわけにもいきませんし。
ですが、まぁ、思わず生暖かい笑いがこみ上げるシーンではありました。
当時の貴族が女性の元へ通う事は当然の事で、夜這いなどではない事は留意すべき。
石山寺での道綱の行為は夜這いだったと思いますけど。
さて、ドラマでは盛大な勘違いから起こってしまった長徳の変ですが、実際は花山院相手と分かった上での騒動だったらしいです(余計質悪いのでは?)。
ドラマでは花山院をかすめた矢(わざと外したらしいですが)が牛車に突き刺さってましたが、栄花物語では矢が院の着物の袖を射抜いたとされています。
別の記録では、院の従者である童子(ここで言う童子は子供ではなく、髷を結っていない成人男性のこと)二人を殺して首を持ち帰った(穢れを倦む貴族はどこに行った~、と叫びたい)とありますね。
この時代の貴族は、実はこういう貴族間の暴力沙汰は珍しい事ではなく、ドラマでは描かれませんでしたが長徳の変が起こる前には、降家の従者と道長の従者が都の大路で乱闘したり、道長の随身(ボディーガード的な人)が殺される騒動もありました。当人同士の争いではないので(伊周と道長が激しい口論をしてますが)、問題が表沙汰にはなっていない模様。
とはいえ、相手が院となると話が違ってきます。
それでも最初のうちは、花山院が事件を表沙汰にしようとしなかったので(出家後も女の所へ通っていたとなると体面が悪いので)暫くは問題にならなかったのですが、そのうちじわじわと噂が広まり出すんですね。
白文の漢文なんて読めません。
春と秋にあった除目と、現代の春と秋の叙勲は無関係だと思います。
除目に向けての申文は、実は幕末まで続いたらしいです。
その頃には内実を伴わないものとなっていたでしょうが。
ドラマの時代では、為時は自身が字も上手く学識があるので自分自身で書いていましたが、字や文章が上手な為時の様な人に代筆して貰う事は良くある事だった様です。
まひろとききょうの他愛無いお喋りから、まさか中宮定子さらには一条天皇とのお目通りにまで進んだのには流石に驚きました。
実際に紫式部が宮中に出仕するのは1005年なので、今回の出会いは十年ほど前倒しになったと言えるのでしょうか。
新楽府を絡めたこのエピソードは非常に緻密でした。
まひろが一条天皇の前で口にした「高者 未だ必ずしも賢ならず、下者 未だ必ずしも愚ならず」は新楽府の中の一節で、今話の冒頭でまひろが弟から借りて書き写していた新楽府の一節も正にこの部分で「澗底(かんてい)の松」という作品。
澗底の松とは、深い谷に生えている非常に立派な松の木のことで、優れた才能を持ちながら評価されない人物の比喩です。
この「澗底の松」は、「光る君へ」においてはまひろの父藤原為時が正に相当するんですよね。
まひろとの邂逅の事を一条天皇が道長に伝え、その結果為時は正六位上から従五位下に昇進。澗底の松に光が当たった瞬間です。
正六位上と従五位下は、位階としては一つ違うだけなんですが、その差は果てしなく大きいものです。
正六位上までは昇殿を許されない(蔵人のみ例外)地下人(ぢげにん)と従五位下以上は昇殿を赦された殿上人(てんじょうびと)ですからね。
何というか、実に隙の無い展開。静かなようでダイナミックに事が動いています。
陣定の時に午後の光が射していたり蜩が鳴いていたり、F4こと道長・公任・斉信・行成らの集いの時には蛍が飛んでいたり、とか演出は雅やかなんですけどね。
一条天皇の白昼のお渡りと中座は、実は元になった逸話があります。
枕草子に書かれているのですが、定子のもとに両親兄弟妹まで集まって家族団欒をしているところに一条天皇がお渡りになり、この時既に体調不良だった道隆を安心させる為か、定子を寝所に誘って一定の時間を過ごした、というもの。
登場人物に差はあるものの今回と同じ展開です。
平安貴族にとって縁故・コネは非常に重要です。
多分現代人が想像する以上だったのではないでしょうか。
公卿がが自分の昇格の代わりに息子の誰某を、と上位者に頼み込む事もざらだった様です。
ドラマの登場人物だと、藤原兼家の異母弟為光が自分の息子誠信(さねのぶ)を昇進させてくれ、と兄兼家に必死に頼み込んだ逸話があります。
誠信は、はんにゃの金田氏が演じる斉信の兄ですが、正直盆暗だった模様。それでも馬鹿な子ほどかわいいのか、為光は何とか誠信を参議にして欲しい、と兼家に懇願。
兼家はいったんは断るものの、為光が自分が右大臣を辞しても良いので誠信を頼む、と懇願され根負けして誠信を参議に任命したらしいです。
事程左様に縁故とコネが重要視され罷り通っていた時代と言えましょう。
おかげで公卿の能力にはかなり差があり、有能な者とそうでない者との落差が激しく、有能な者に仕事が集中して滅茶苦茶忙しかったらしいです。
道長が源俊賢を重用したのは、勿論自身の妻である明子女王の兄という血統も重視したでしょうが、何よりも源俊賢自身が有能だったからです。
失脚させられた父を持ちながらも最終的に権大納言にまで出世出来たというのは、有能さの表れと言って良いかと思われます。
勿論血統は大事です。如何に隆盛を誇ろうと藤原氏があくまでも天皇の臣下でしかありません。その点、賜姓源氏は天皇の血統。五世・六世の子孫ならともかく、俊賢は天皇の孫ですから。たとえ没落していても軽視出来る存在ではありません。
ドラマ内で、参議になりたいな~、と要望した斉信が今回は見送りとされてシュンとしてましたが、そもそも蔵人頭としては俊賢が先任。先に俊賢を昇進させた道長の判断は妥当。
瑕疵も無くあまつさえ先任の俊賢をさしおいて斉信を昇進させたら余計な波風が立ちます。
かといって二人ともに昇進させたら蔵人頭が二人して交代となると、天皇の秘書として機能している蔵人が混乱します。やはり先任から順に、というのが妥当でしょう。
情報漏洩…はするのかどうか分からないですね。日記を堂々と開きっぱなしにしてましたし。
行成との会話で道長が日記を書き始め、それが御堂関白記の始まりになるだろうという事は容易に想像がつきますけど。
ちなみに御堂関白記の書き始めは998年7月5日なので、時系列的にはドラマよりもう少し後です。