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ぴのぴののなんでも日記


『光る君へ 第16回目』の考察しましょうー。


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  この「春ドラマシーズン」は日曜日の夜、TBSの『アンチヒーロー』が大健闘!!伏線見落とせないドラマなので、観終わった後の、『光る君へ』の振り返りが大変になってきました。
 
 では「光る君へ 第16回」の考察です。

  • ・藤原行成のBLは決定かあ。前大河のGLとか、もういいやって感じ。
  • ・京都のあんな大雪ってあるんでしょうけど、「直衣」が無礼??だけは意味不明でした。天皇と同じ白衣装だからってことか。
  • ・「後宮」って何度もでるけど、皇族の生活場所っていうより、サロン?客間?遊戯室?「後」の意味が迷わせるんだよね。

・「香炉峰の雪」は、なんとなくわかったけど、その問いを出した定子が最も賢かったってことかなあ??

  • ・道綱がまひろと間違った件を言う必要はアリ?より偶然が重なり過ぎに拍車かけるだけじゃん。後半、また偶然に悲田院で対面するんだから。
  • ・さわとの関係修復にここまでこだわって尺を使うのは、きっと後に片腕とかになるんじゃないのかなあ。

  • ・突然?藤原隆家が前面に出で来たねえ。兼家没後のヒール役の追加なのでしょうか。『VIVANT』のラストのどんでん返しのキーマンだったよなー。

  • ・放火にこだわるのは、今週はわからなかった犯人が、後に誰だったかわかった時、政局のキーになるのでしょう?
・最終の解説でも「疫病」が何だったかはなかったねえ。チフス?スペイン風邪?赤痢?コレラ?
・特効薬もなく、致死率も高いはず。ひと晩、汗拭いただけで助かってよかったね。

・源倫子の「勘」と「笑み」が恐い。

・道兼いいやつになってんじゃん。まひろ母●しの罪はそのままだけど、道長と和解・共闘ってことか??最後に天罰、来るっしょや。

・予告編、はんにゃがなんてことをーーー。このひとなんで偉くなれたんだっけ?清少納言に手を出して、バレて、さよならって流れかな。

 道兼を予想に反し、いい役になるとは。だけど、逆にフラグ立ったような気がします。それにしても当時の平民の病院はどうなってたんだろ。祈祷が中心で致死率どおりの淘汰ってこと?
                     かな?
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2024/04/25 16:12
斉信の、その手は何事、と言いたくなる次回予告ですが、どうなるんでしょうか?
ただ、藤原斉信と清少納言は何かと関係が噂されますので…
手は出さない筈、なんですけどねぇ。
もっとも、斉信は公任、行成、源俊賢(明子女王の兄)と共に一条朝の四納言(しなごん)と呼ばれる様に出世します。
他の三人が権大納言止まりなところを、彼だけは大納言にまでなってますから一番出世してますね。
まぁ、道長の息子たちに追い抜かれて大臣にはなれませんでしたが。

ドラマに出てきた悲田院は、光明皇后(聖武天皇の皇后、藤原不比等の三女の安宿媛(あすかべひめ/やすかべひめ)、藤三娘(とうさんじょう)を自称)が興福寺に設置した悲田院と施薬院が、平安遷都で平安京の東西二か所に移設されたものと思います。
ただし、悲田院は貧しい人や孤児を救済するための施設で、病人を治療するのは施薬院の方だと思いますが、ドラマでは悲田院にまとめてましたね。二つ出してもややこしいからかも?

当時の疫病対策は、隔離と祈祷くらいだったと思います。
天然痘が相手だと、為す術無しだったでしょう。

道長が感染しなかったり、まひろが感染しても一晩で快方に向かったのは、彼らは子供時代にどこかで牛痘(牛の天然痘)に接触した事があって免疫を獲得していたのかも、と妄想出来ます。
史実の藤原道長と紫式部はともかく、洛中をフラフラ出歩いていたドラマの道長とまひろならありえる気がしますがいかがでしょう。
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2024/04/25 15:35
まぁ、兄と一緒に事件を起こすんですけどね。
ただし、後々彼は活躍します。ドラマでもそれは描かれる予定らしいですが、かなりの終盤にはなりますね。

内裏への放火は、この時代とても多かったです。
頻繁に内裏が焼け落ちて、一条天皇も何度か里内裏と呼ばれる別の邸宅に避難しているくらい。
焼けた内裏を再建してやっと戻れたと思ったら、また放火で焼けた、などといいうこともあったそうです。
警備を厳重にするといっても、基本的に人が少ないので警戒しても穴だらけだったらしいですね。

道兼は、何というか憑き物が落ちた感じですね。
ただ彼の余命もあと僅か。漸く正道に立ち戻ったのに残念。
ですが、一応念願の関白になれますので。

さて、疫病についてですが…
COVIT19は別格として、現代でも毎年インフルエンザが流行している様に平安時代も毎年何らかの病気が流行していました。
993年(まひと達が石山寺参りをした年)の疫病は、色々なものが流行って特定は出来ないらしいです。
994年、今回都に拡がった疫病は、九州から感染が全国に拡大した疱瘡(ほうそう)、いわゆる天然痘と思われます。
この天然痘は、奈良時代の天平7年~9年の大流行に並ぶものだったようです。
天平の大流行では、藤原四卿(藤原不比等の四人の息子たち)を初めてとして政府首班が軒並み病死し機能不全を起こしたと言います。ちなみに藤原四卿の一人藤原北家の房前は道長やまひろの御先祖様。
994年の正月に九州から拡がった疫病は翌年の995年になっても終息せず、左右大臣(さゆうだいじん)から大納言(だいなごん)3人、中納言(ちゅうなごん)2人を死に至らしめ朝廷を壊滅状態にします。
まぁ、これは次回あたり?

ドラマでの疫病の描写は天然痘とは思えませんでしたが、天然痘の症状を考えると映像化はちょっと厳しいと思われますので(リアルに表現しようと思うと特殊メイクになると思うので予算もかかりますし、そこまでリアルにされると多分正視し辛いと思います。少なくとも私は多分目を背けます)、ドラマの描写はまぁ妥当かな、と思えます。
インフルエンザっぽかったですけどね。咳とか高熱とか。
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2024/04/25 14:53
こんにちは^^

藤原行成は別にBLではないと思います。といいうか、ありえません。
一条天皇のC(ろうたけた)姿に感動し心酔しているだけでしょう。
ちなみに「臈長けた」は本来女性に使用する形容詞ですが、他に適切な表現が浮かばなかったので敢えて使わせて貰いました。

「光る君」の時代は気候が温暖な時期ではありますが、それでも冬はそれなりに冷え込み雪も良く降ったかもしれません。
京都は盆地で、冬は寒くなる地形です。
あの雪景色は、今後再度出て来るかもしれません。
今回は中宮定子の華やかな後宮サロンの舞台となりましたが、次は多分悲劇の舞台になろうかと思われます。

公任が伊周の直衣姿に不快になったのは、直衣が貴族の普段着だからです。宮中では当然NG。
後宮という天皇のプライベート空間とはいえ、天皇の御前に出るということで、公任・斉信・行成らは貴族の宮中での正装である衣冠束帯姿でした。その中、伊周のみが一条天皇の許しがあって一人直衣姿だった訳ですが、公任はそれを天皇の中宮への寵愛を良いことに摂政一家が好き放題している、と感じたのでしょう。

後宮とは、皇帝・天皇・王の后妃達や嫡出子達が住まう場所の事で、「光る君へ」では平安京内裏の七殿五舎を指します。
皇帝・天皇・王以外の男子禁制のイメージもあるかもしれませんが、男子禁制なのはイスラム諸王朝や中国などで、日本の内裏はそれに相当しません。
ですからドラマの様に、公任たち若い公達(きんだち)も招かれれば入れます。
皇族の生活の場であると同時に社交場でもありますね。
もっとも華やかな社交が行われるようになったのは、中宮定子以降だと思いますが。

道綱が石山寺での事をわざわざ道長に話す必要はないかもしれませんが、ストーリー的には面白いので個人的にはアリです。
道長の表情の変化が面白かったですし可愛かったと思いますけどね。

さわとは、次回での関係修復の後は末永く良い関係でいて欲しい、とは思います。
思いますが、モデルになった人の事を考えると別れが待っている様な気がしますねぇ。
996年には越前守として越前国に赴任する父親に同行して都を離れるまひろですし。

今回、成長した藤原隆家が初登場。
些か性格悪そうな描写でしたが、実は貴族たちからは中関白家唯一の常識人と見做されていて、父道隆や兄伊周より公卿達の受けは良かったそうです。
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2024/04/22 16:57
どうでもいいことですが、登華殿で舞を踊る
伊周のガタイが大きくてなんだかセットがキツキツに感じてしまいました。
三浦翔平の身長は180超えですね。
この頃の日本の男性の平均身長はかなり低いんですよね。

同じく「疫病」って具体的に何?って気になりました。





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