3/27 キラキラと4択
- カテゴリ:タウン
- 2024/03/27 02:58:37
仮想タウンでキラキラを集めました。
2024/03/27
集めた場所 | 個数 |
---|---|
ヒツジ学園 | 10 |
自然広場 | 5 |
4択 「そうめん」
キラキラ 「ヒツジ学園」百葉箱
「自然広場」釣り堀プール
4択 夏になると食べたくなるものは? → そうめん
そうめん!!!
発祥は奈良県桜井市と言われている!
言われている!!
言われているだけで、証明できない!!
あうぅ・・。
奈良県にそごうが開店した時に平城京を掘ったので(誰が許可出したんだろうなぁ・・・)何か出てくるのでは?と言われていたがまさか日本における「呪い」の始祖、「長屋王」の居住地跡がでてくるとはなぁ。
長屋王居住地は長屋王が自殺した後も誰も住まなかったってことだな。
まぁ割とすぐに京都に遷都したからでもあるだろうが。
当時、天皇の血筋として嫡流で、皇女を嫁にしており「頭脳明晰にして次代の天皇」と言われた長屋王を謀反の疑いをかけて藤原4兄弟が追い詰めて長屋王を亡き者にしたのだが、その4人が立て続けに病で死亡。
世の人は「長屋王の呪いだ」と噂したのが、日本で最古に見られる「呪い」だ。
故に奈良県ではそごうが倒れたのも「長屋王の呪いだ」と言われているのだが、まぁそれはさておき、掘ったところから遺跡がでてきて(平城京の中なんだから当たり前)工事は一時ストップ、その間に考古学者達が必死に発掘、遺物をどんどん運んでいき結局4万点の木簡が保管されたのだった。
その木簡に唐菓子の1つ、索餅(和名で「麦縄」とも書く事もある)の記述があったという。
もち米と小麦粉を練ったものを2本にしてそれをより合わせて油であげたお菓子だ。
神縄として現在もその形は残されている。
それが素麺の原型と言われている。
平安時代の『延喜式』にも索餅は”小麦粉と米粉に塩を加えて作る麺”とされていて、長く作られていたことがわかるのだがその形状ははっきりしていないとう。
素麺という名称は南北朝時代の記録である『祇園執行日記』の康永2年7月7日(1343年7月28日)の条に麺類に索餅(さくべい)、索麺・素麺(そうめん)の3つがあると記されていてこれが最古となる。
中国の北宋時代(10~12世紀)に「索麺」の表記が見られる。
南宋時代(12、13世紀)の『居家必要事類全集』という百科事典には索麺の作り方を「表面に油を塗りながら延ばしていくことで、最後に棒に掛けてさらに細くする」としていて現在の素麺の作り方と酷似した記述があるらしいが、日本との関係はわからない。
江戸時代に素麺は今の形であり、それを七夕の時に供物とする習俗が広まったらしい。
それは細い素麺を糸になぞらえ、織姫の機織りに供えることで女性の裁縫上達を祈願したものだそうだ。
現在素麺といえば「揖保乃糸」(兵庫県)だが発祥は奈良だから~~だから~~。
奈良の「三輪素麺」はブランド化していて、そこに作っている店の屋号がつく。
一番有名なのが「三輪そうめん・山本」なのだが、そこの最高級品「白髪」はもうめちゃくちゃ細い。
最高の職人しか作れない細さ。
湯で時間が30秒でいいという素晴らしさ。
https://www.miwayama.co.jp/shiraga_somen
でもさーー しらが って名前はどうよ・・・
コスパがいいのは「白龍」で名前かっこいいのに!
https://www.miwayama.co.jp/hakuryu_somen
中国でも素麺(手拉面線という)は食べられていて、日本のように汁につけて食べるのではなく茹でた麺にひき肉を豆板醤で炒めたものをからめたり、スープの具材として使ったりするらしい。
日本の素麺よりしっかりした歯ごたえでビーフンに近いそうだ。
しかし麺類ってどうしてこううまいのだ?!
ただよう出汁の香り。
温かくしても冷たくしても美味しい素朴な味わい。
工夫次第でどんな具材をも合わせられる自由さ。
しかして、出汁醤油と麺、というシンプルでもいける旨さ。
素晴らしきかな麺!!!
髪の毛のように細いです!!と強調したかったのかな?
食欲をそそるお名前とはいいがたいけど、きっとおいしいに違いないね。
一度食べてみたい…誰かくれないかなあ(笑)。