夢 (9)
- カテゴリ:自作小説
- 2024/03/22 10:32:46
1週間も過ぎる頃には熊の巣穴まで登るのも慣れてきて、どこに足を運べば楽に登れるかわかってきた。
巣穴から見る景色はあまり変わりばえせず、いつもと同じだった。
だけど、おれはさほど飽きもせず、巣穴の淵に座って過ごすことにも慣れてきた。
2週間が経つ頃には、もう巣穴までスイスイ登れるようになっていた。
きっと、足腰の筋肉も自然と鍛えられたのだろう。夢の中で鍛えられるというのもおかしな話だが。
二十日目の夜、またおれはいつものように巣穴の淵に腰掛けていた。
ピーン、、、と金属を叩くような音が聞こえる。
こんな音が聞こえるのは初めてのことだ。
いつもは鳥たちのさえずりと、風に揺れてる葉っぱたちの音くらいしか聞こえない。
ピーン、、、という音は、10秒くらい聞こえて、しばらく無音になり、また、10秒くらい聞こえるのを繰り返している。
他には何も変わりはない。
熊の巣穴には相変わらずおれしかいないし、まわりの枝には尺取虫が一匹歩いていたり、リスが2匹追いかけっこして遊んでる。
また聞こえた。
ピーン、、、
残響が残り、消えてゆく。
また、
ピーン、、、
おれは木から降りて、音の出てるものを探そうかとも思ったが、なんとなくこのまま座っているべきだ。と思った。
ピーン、、、
気がつくと、その音以外の音は全て消えていた。
おれは泣いているのか?
目から涙がとめどなく流れていた。
涙はおれのポンチョ(その日の夢では、おれは薄い砂色のポンチョを着ていた。)を濡らして、沁みていく。
涙は際限なく流れ出て、もうポンチョはぐしょぐしょに濡れて、涙がポンチョの裾から滴っていた。
音は鳴り続け、涙は流れ続けている。
涙は大木を流れて地面にも流れていく。
雨上がりに出来たとても細い小川のようにおれの涙は大木の根元から、草むらの低い位置へと流れてゆく。
草むらのまわりをかこむ森の手前に土が落ち窪んだ場所があり、そこに涙はゆっくりと溜まっていく。
やがて、おれの涙は池になり、池には小さな魚も住み着いているようだ。
目が覚めて、おれは、ああ、と声をもらした。
目を拭いてみたが、涙は出ていなかった。
やはり、眠ってから8時間が経過していた。
おれはベッドから降りて洗面所へ行って鏡で自分の顔を見た。
もう衰弱の状態から回復していて、十分に睡眠も取れている健康的な顔で、いつもと特に変わりは無いが、何かが違っていた。
内線電話でベルナルドに朝食を頼む。
夢に大きな変化があったから、ベルナルドが何か言うかと思ったけど、いつも通りに、かしこまりました。すぐにお持ち致します。と、注文を受けただけだった。
いつものようにハリーが持ってきてくれて、もしかしたらベルナルドからの伝言でもあるかと思ったけど、何も無かった。
いつも、朝食のメニューは日替わりで、今日はハムエッグとサクサクのトーストと杏のジャムだった。
おれは食後のコーヒーを飲みながらタバコを吸って、夢のことを考えた。
ベルナルドは心の動く方向を見ることが大事と言った。
あの涙が流れていって、池になったことが、おれの心の何を表しているのだろう?
そして、まだ続きがあるのだろうか?
おれは朝食の食器を乗せたカートを廊下に出すと、考えているよりもまずはジョギングへ行こう。外へ出よう。と決めた。
いつものコースをゆっくりと走る。
空は晴れて朝の光に街がキラキラしてる。車の通りはそれほど多くはない。
走ってみると、おれの身体は少し軽くなったような気がしてる。
スイスイとスムーズに足が運ばれていくのだ。
下を見ると、おれの走ってる足が見える。
いつもより、足に活力があるように見える。
川の近くまで走ると、汗をかいてくる。
ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、
おれは規則正しく呼吸を吐きながら、川沿いを走る。
今日はいつもより遠くまで行けそうだ。
ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、
今日も帰ったらまたレコードを聴いて、スカッシュへ出かけるはずだった。
だけど、もうその必要は無かった。
おれはこのまま走り続けていれば良いのだ。
そう思いながら、おれは川の上を走っていた。
しばらくはそのことに気づいていなかった。
気づいたのは、ぱちゃっ、ぱちゃっ、という川面を走るおれの足音だった。
こんなことをしてはいけない!
おれは誰かに見られない内に慌てて、岸へ戻った。
おれは知らずに夢の一部を現実世界に持ってきてしまっているのだ。
それはとても良くないことだとわかっていた。
ホテルへ戻るとフロントにベルナルドはいなくて、若い女性のフロント係だけがいた。
部屋に戻ると、やはりいつも通りにまずレコードをかけてみた。
レッドガーランドのグルーヴィは、いつもより音が平坦に聴こえる。
なんとなく収まりの悪い気持ちになって、ボブディランのベスト盤に変えたが、それも音がペラペラのアルミニウムのように聴こえた。
おれはレコードを聴くのを諦めて、ベッドの上に寝転がった。
いつもと違うことがしたくなって、マッサージを呼ぶことにした。
おれがこのホテル住まいを初めて、日頃の習慣を破ろうと思ったのはこれが初めてだった。
フロントに内線電話をかける。
プルルルル、プルルルル、プルルルル、プルルルル、プルルルル、プルルルル、、
いつもなら3コール以内に出るのに、今朝はなかなか出ない。
プルルルル、プルルルル、プルルルル、プルルルル、プルルルル、、、、
プルルルル、、、、
電話の音は小さくなっていき、
プル、、ルル、、、、
遠くなっていく。。。
。。。
おれは熊の巣穴に座って涙を流してる。
滔々と流れ落ちる涙が作る池はすでに池ではなく、あたりの草むら一面を覆う浅い海のようになっており、もう巨木の下の草むらも全て涙の水の中だった。
この草むら一帯をたゆたゆと涙は満たし、それでもなお涙は流れ続けていた。
いずれ、おれは自分の涙で溺れてしまうのだろうか。。
と思った瞬間には、もう辺りは涙の水の中だった。
涙の海はもう巨木を飲み込んでしまっていた。
海には無数のクラゲたちが泳いでいた。
白く透き通る小さくて触手の長いクラゲで、遠くに竜宮の使いも一匹泳いでいる。
この涙の海は、おれの中で何かが爆ぜた結果なのだ。と思った。
必要なのかはわかりませんが、遅かれ早かれ彼はこうなるべくしてなったのだと思います。
読んでいただいて、ありがとう〜!