3・11の日
- カテゴリ:日記
- 2024/03/11 21:07:10
今日は『3・11』から13年目だそうです。
あっという間でしたね。
地震の発生した時間は、仕事帰りのバスの中でした。
地震発生当時は、ライフラインは止まっているし、
「電気はすぐに復旧するだろう」と思ったのに、
なかなか復旧しないし、
食料を確保しようと、ウジエへ行くと、職員の方が、
「ダメダメ、ガラス割れて入れない」と来る人皆に
説明していました。
近くのローソンが営業していたので、少しパン等買えました。
行列が出来ていました。
レジでは「1万円札は使えません」だったので、
千円札を持っていって良かったです。
津波の情報を知ったのは、翌日です。
ローカル誌の『河北新報』でです。
そのくらい情報がありませんでした。
避難所を出て、山形の親戚の家に行って、TVを見せて
もらって、やっと状況を把握しました。
あれは本当に酷かったです。
無事で何よりです!運が強いんですね。
連れて行ったのですが、当時、半野良だった2匹は連れて行けず、
寝床になってた風除室の扉を出入りできるように開けて、ご飯を山盛り入れて
山形に行ったのです。
4日ほどで帰ってきたのですが、今は室内猫になった一番若い猫が、
私たちの姿を見つけると元気な姿で寄って来てくれて、安心しました。
能登半島は、311を思い出させます。
それにしても元旦に災害って、311よりも酷いかもしれません。
これから元旦がくるたびに、黙祷の時間があるわけですよ。
311は、電気の復旧は遅いし、ガソリンは無いしで大変でした。
ちなみに発災の12時間前、私は仕事で気仙沼から海岸線を運転していました。
あの時は猫を飼ってなくて良かったです。
これから新年だーとめでたい気分が台無しになった能登半島は…なんていうか、こういうのって言葉に出来ませんね。
エシェルさんも3.11の時は酷い目にあいましたね。
天災は怖いです。