Nicotto Town



統治

西欧列強の植民地支配というのは

「統治」というには、あまりに無慈悲で凄惨なものでした。

文字通り「奴隷」と同等で人権はありません。
効率よく求められる労働力として使用する以外は
なんの存在価値も認められなかったのです。

そして、主人に歯向かわないように、
優秀な若者は不具にされました・・
知識を得られないように教育の機会もなく、
ただただ重労働にのみ用いられ、
消耗品としての一生を送らされました。

日本が帝国主義のもとアジア進出を進め(大日本帝国)
西欧諸国支配から日本の支配に置き換わっていったとき
現地住民はこう思っていたそうです。

「支配者が変わっても、どうせまた俺たちをこき使い・・
 俺たちから何もかも奪っていきやがるんだ。何も変わらない・・」
 
ところが、ほどなく彼らの認識は一変していきます。

日本人は、支配者として統治・指導するものの
ともに、おなじ釜のご飯をたべ、ともに働き、
言葉をおしえ、教育を復活させ、それどころか
外国の侵略をうけたときに備えての軍事訓練をも
彼らとともに行ったのでした。
(自主独立の基礎をおしえた)

今でもアジア諸国で聞いてみると、日本を悪く言う国はありません。
(特定の3国は除きます。理由は長くなりますので省略します)

・・すべてをきれいごとで、語ろうとは思いません。
日本が諸外国から侵略をうけたときの緩衝地帯として利用し、
くわえて資源確保や戦力に用いようとしたのも事実でしょう。
でも、戦争が国家間であたりまえに行われていた時代、
そのように備えることは至極当然だと思います。

日本人と同じ有色人種での共生、「大東亜共栄圏」を
目標に掲げたのは、前述した、理不尽で非人道的な「統治」から
別の、「もっとましな統治」のやり方へ変えていこうという
日本人が有色人種であったからこその、「理想」でした。

そして、それは大成功をおさめていくにつれ・・
その事が西欧諸国にどう映ったか?・・・・










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