Nicotto Town



絵具の海域


自作のフィクションです。
本や創作に興味がある人、仲良くして欲しいです!
------------------
絵具の海域

「ねえ、パパ、じつは、話したいことがあるんだ」
「おやおや、彩ちゃん。どうしたんだい藪から棒に。なんでも話してごらん。おっと、その前に、ほっぺにトマトがついているよ。拭ってやるからジッとして」
「ありがと。じつはね、ぼく、すきなひとができたんだ」
「なんだって!? オドオド、どうしよう。それは本当かい?」
「イエス」
「そいつは、どんなやつだ? 色に例えるなら何色だね?」
「黄色と緑と青。夜明けの森の木の葉っぱの隙間から、優しく朝陽が射すような色」
「ブラボー。もしかして、もう付き合ってるのかい?」
「ノー」
「彩ちゃんがそいつを好きっていうのは、その子は知ってるの?」
「ノー」
「その気持ちは伝える?」
「もちろんイエス、手紙を渡したい」
「そうかそうか、ならば、ママに頼んで代筆してもらおう。それがいい。なんてったって書道五段だからな、ママに頼めば間違いないよ。ママが帰って来たら頼んでおく」
「ノー。代筆はパパにして欲しい」
「おいおい、マジか。パパは字が汚いが、分かった。どんな文面にする?」

 パパとママはぼくに、世界のすべてを色で教えた。
 ぼくには産まれつき、形が分からない。

「お母さん、そしてお父さん、これから伝えるのは、あなた方家族にとって、とても残酷で、悲しいことになるかもしれません」と、総合病院の医師は言った。「娘さんは原型盲。原型とは、ゲシュタルトともいいますが、ようは物の形です。娘さん、彩ちゃんは産まれつき、脳の原型を捉える機能が働いていない。目は見えていますが、物の形が把握できず、触れても理解できない、それどころか、自分がどんな形をしているのかも分からない。それ以外はまったく健康ですが、このままいくと歩くことはおろか一生立つこともできないでしょう。耳もハッキリ聞こえているようですが、重い知的障害のような状態になって、言葉も一生話せないかもしれません。いや、じつを言うと現段階で命が危うい。集中治療室で半年か1年、様子を見る必要がある」
 それが、ぼくの産まれた日の話らしい。

 パパとママは大学時代に出会った。美大に通っていて、ママは油絵を、パパは演劇を選考していた。ママは今ではキャリアウーマン、パパは専業主夫をしている。
 色について、最初にひらめいたのはパパだった。
 パパの特技は人間観察。ママはいつも、パパには人の心が読めるの、と、言っている。実際、パパは大学の卒業論文で、ネズミの感情を研究していた。15匹のネズミを飼って、それぞれのネズミが嬉しいとき、怒っているとき、悲しんでいるとき、楽しいときの癖を観察し、そのパターンを研究したらしい。結果、パパはどんな生き物でも手名付けることができるようになった、と、ママは言う。男になんか興味のなかったママを惚れさせたことが、いちばんのパパの研究成果らしい。

「べつに残酷でもかなしいことでもない。勝手なことを言ってもらっては困る。彩ちゃんにはおれがいる。そしてママがいる。歩けなくても話せなくても関係ない。この子が孤独になることはない。いやきっとしあわせになる。心配は御無用だ。取り急ぎ、先生にはこの子の命を繋いで欲しい。彩ちゃんはきっと運がいい。なんてったってぼくたちの娘なんだから」

 まず最初に、喜怒哀楽を4つの色でぼくに覚えさせた。
 家のベランダで、パパは笑って泣いて喜んで、ぼくの前で自在に演技して見せた。
 パパが笑っていると、自然とぼくもすこし楽しそうな表情をしたんだそうだ。
「いまだ!」と、パパが言うとママがバケツでパパの全身に黄緑のペンキをぶちまける。
 楽しい、楽の感情の色は黄緑。喜びの色は黄色。悲しみは青、怒りは赤色。
 その4色が、ぼくが最初に見た世界だった。
 それからありとあらゆる方法で、パパとママはぼくにいろいろなことを教えた。
 おかげで、話すこともできるし、歩くこともできるようになった。
 ただ、いまだにできないことは多い。原型盲は一切治りはしなかった。
 読み書きはいまだにできない、質問はイエスかノーで応えられるほうが応えやすい。
 しかし、いろいろと上手くやって、いまは理数系の大学に通っている。

「ここにはすっかり彩ちゃんの言った通りの文面が書いてある。いままでパパが書いたどんな文字よりもきれいな文字が書けた。サンリオのシールで止めた便箋だ。鞄の内側のポケットに入れておく、失くすなよ」
「ありがとう、じゃあ行ってくる。わあっ」転ぶすんでのところで、パパに助けられた。
「おいおい、気をつけるんだよ。命あっての物種だ」
「よし、大丈夫、大丈夫。行ってきます」
「いってらっしゃい」
外に出ると、青い空に陽の光の色が溶けていた。
今日はとても天気がよさそうだ。

アバター
2024/03/27 16:15
こんにちは。初めまして、物語読ませていただきました。
形はわからないけれど、色で世界を感じる彩ちゃん。
今までにはない主人公ですね。暖かい物語で、とても良かったです^^



Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.