Nicotto Town



化け物

自作のフィクションです。
文章を創作する人と友達になりたいです!
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化け物

酷く奇怪な病気がある。
原因は不明であり、ドーパミンとアドレナリンが何らかの理由により著しく過剰分泌されるということだけが、研究によって明らかになっている。
初期症状は不眠から始まり、双極性障害と似ているため混同され易い。
症状は10数年をかけて、初めはユックリと、終末期に近付くにつれて急激に進行していく。
発症初期の数年は、頭の回転が速くなり、感受性が豊かになるため、音楽や小説、絵画などに天才的な才能を発揮することが多い。
この時期から、身体に変化が現れる。
脂肪の燃焼が速くなり、すぐに食欲が湧いて食事を過剰摂取するようになる。
どれだけ食べても太ることはなく、著しく筋肉が発達する。
筋肉の発達は少ないカロリー摂取でも現れ、手足と胴体が徐々に太くなっていく。
進行すると肥大し過ぎた筋肉が骨や関節を破壊して、立つことが困難になり、手足を地面について這うようにしてしか歩行できなくなる。
この時点で脳細胞が著しく損傷しており、自我は崩壊する。
歯を強く食い縛ることによって、前歯から第2小臼歯にかけての歯がすべて抜けてしまう患者が多い。
終末期の患者は眠っているとき以外、筋肉の痙攣を起こしながら暴れ、叫び続ける。
このとき自我は崩壊しておりコミュニケーションを取ることは困難であるが、患者は涙を流して、常に何かに怯えているような素振りを見せる為、感情は残っているという説がある。
症状による興奮は、高濃度のセレネースを注射することで鎮静化することが分かっており、終末期の患者は四肢を拘束し、点滴でセレネースを流し続けることで、長時間眠らせておくという処置がなされている。

笹絵さんはいま、眠り続けている。
真っ白な病室に、静かな空気が流れている。
わたしはナイフを握って、丸椅子に腰掛けている。

「もし、私が、あなたのこと忘れたら、私のこと殺してくれる?」
年に数回の入退院を繰り返して、しばらくのことだった。
半開きの窓の外には、金木犀の花が揺れていて、静かな風が、カーテンを撫でるように揺らしていた。
夏が終わるころの季節だった。
笹絵さんは机の前に腰掛けて、窓の外を見ていた。
ぼくは、斜になった笹絵さんの鼻筋を眺めながら、硬くも柔らかくもない肘掛椅子に座っていた。
時刻は15時を少し過ぎたところだった。
こちらを振り返るように、身体を震わせて、遠い草叢の鈴虫が唄うような声で、笹絵さんは、そう言ったのだった。
そのあと、机の上に視点をズラした笹絵さんの後姿は、言葉では言い表せない表情をしていた。
ユックリと、噛み締めるように、ぼくの返す言葉を、待っているのが分かった。
「ははは。いいよ」
と、ぼくは言った。
笹絵さんは顎をすこし引いて、静かに、深く呼吸していた。
「その代わり」
と、ぼくが言うと、肩をヒクつかせて、小さな声を出した。
怯えているのが分かった。
「その代わり」
と、ぼくはもう一度言った。
空気と一緒に、笹絵さんの鼓動が揺れているのを感じた。
「       」
いまから、15年前の話である。

ある日、笹絵さんの机の抽斗を開けると、1枚の紙を見つけた。
そこには、歌の歌詞とコード進行が書かれていた。
『化け物』という歌だった。

部屋の隅で埃を被った笹絵さんのギターに初めて触れると、錆びた弦が、鈍く鳴いた。
その曲のコードは、とても簡単だった。
ピアノで毎日リストのラ・カンパネラを弾いていたような笹絵さんにしては、簡単過ぎるコード進行だった。
それでも、あの歌を唄えるようになるには、数年、かかった。
ぼくが唄うには、テンポをとてもユックリにする必要があった。
人が聴いたら不自然なくらい、ユックリな歌になった。

ぼくは、笹絵さんが作った歌を、笹絵さんのココロの記憶を、すこしでもこの世に残したかった。
笹絵さんの歌を真似て、たくさんの歌を作った。
若者に混ざって、ライブハウスで唄うようになった。

あるとき、Twitterで、ぼくの歌をカバーしたという呟きを見付けた。
それは、笹絵さんが作ったあの歌だった。
その人は女の人で、とても、懐かしい声のように聴こえた。




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