Nicotto Town



ぼくの身体が硝子でできていたころ


自作のフィクションです。
物語を書くのが好きな人、自分で創作してる人とか、仲良くなりたいです!
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ぼくの身体が硝子でできていたころ
 
 透明になりたい。儚げで、透きとおる冷めた空気のように。ぼくの身体を透かして眺めて、反射する星や、街灯の明かりを見ておくれ。一切はぼくを通過する。そんな観念に、ガラスのようになりたい。

 病院の中庭には孔雀が4羽いて、池には鯉がたくさん泳いでいた。
 私はいつもの習慣で、ベンチに腰かけ古びたアコースティックギターを、鳴らし歌う。
 ベンチのうしろは薄いガラスの窓になっていて、その横におなじくガラスでできた扉は、いつも半開きになっている。
 グラスマンは硝子戸の向こう側のホールで、隅の肘掛椅子にいつも腰かけていて、私は彼が立ち上がっている姿を見たことがない。どこかエドガー・ポーに出てくるロデリック・アッシャーを思わせる、神経質そうな表情をいつもしている。グラスマンと私は、一度しか会話したことがない。その日から、彼のことを、ガラスの男、グラスマンと、呼んでいる。

 彼の話はこうだ。
 若かれし頃、彼はいつも自分の空想について、恥ずかしげもなく語る青年だった。
「この世界の向こう側の世界に、まだぼくらの見たことのない景色があるんだ」
「ぼくたちを形作る、心、魂と呼んだほうが正しいか、そんな物の存在を確信しているんだ」
「世界とは、人間の見た世界。たとえ誰にも見えない世界を見ていたとしても、その世界は、その人にとっての現実だ」
 恋人は穏やかな性格で、いつもグラスマンがそんな譫言のようなことをいうのを、頷きもしないで聴いていた。最初から変わった人間だったので、ことが重大になるまで誰も、彼の異変には気付かなかった。

 あるときから、グラスマンは自室の肘掛椅子から動かなくなった。朝、いちばんに恋人が運んでくるビードロの水差しからすこしの水を流し飲むだけで、物も食べなくなった。本を読んでくれ、窓を開けてくれ、などなどあれこれと恋人に指示を出すだけで、グラスマンはまったく動かない。

「いったい、どうしちゃったの?」と、そんな日が2週間ほど続いたときに、恋人はグラスマンに訊ねた。「最近、なんだかあなたがこわい。どこか、おかしいんじゃないの」
 ああ、とグラスマンは溜め息に似た吐息を吐く。
「理解できないと思うよ」と、グラスマンは話始めた。「ぼくの身体は、いま、ガラスでできているんだ。全部じゃない、最初は爪先と手の指先が、ほんの少し鱗のように光っているだけだった。だが、段々その鱗のような光沢が身体を上ってきて、透き通るガラスになってきたんだ。だが、きみを見ているとわかるよ。どうやら、そのように見えているのはぼくだけのようだね。ぼくがこの肘掛椅子から立ち上がれなくなったとき、もうぼくの両足は完全にガラス細工になってしまっていたんだ。いまは両肩から下、全身がガラスだ。首をかろうじて動かすことしかできない」

 この一週間の言動や動きから察し、恋人はグラスマンが冗談や嘘を言っているとは思わなかった、まったく反対に、恋人はグラスマンの言葉を受けとめ、彼が今、途方もない孤独と筆舌に尽くしがたい恐怖のなかにいる、その不幸に、大きな瞳から涙をこぼした。

「おい、乱暴に扱うな! いま、ぶつかったところにヒビが入ったぞ!」
 グラスマンの話を聞いた恋人は、彼の古くからの親友を呼び、親友はグラスマンを抱え、車に乗せて運んだ。
「贅沢言うんじゃねえ病人が、さっさと夢から覚めて、戻ってこい」

 それはもう、今から30年以上前の話らしい。
「ここで治療を受けて、ぼくは大分よくなった」と、グラスマンは左腕を上げて見せた。だが、よく見ると、指は不自然な角度で硬直しているようだ。「しかしこの左手だけは、まだガラスのままなんだ」
 その日から私は、彼をグラスマンと呼んでいる。

アバター
2024/03/07 22:03
詞的な感じですね。


アバター
2024/02/25 11:56
表現がとても素敵ですね!



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