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ペット・ショップ:道明寺の梅と大阪の戦史

ペット・ショップ:キラキラ

もらったステキコーデ♪:28

2月は梅の季節


一つの目安としたら、バレンタインが終われば 梅だよりをチェックして花見の計画を立てる。

立春などは、毎年 日がかわるから、
今の暦で生活していれば バレンタイン14日が一つの目安(笑)


・今年は 道明寺天満宮が7分咲きということなので、昨日見に行ってきました。

 天満宮は 菅原道真をお祭りしているので、道明寺さんも2月はいろいろな奉納イベントが毎週日曜日に行われています。

 ちなみに 本日18日は古武道です。

・私は のんびりと梅を鑑賞し、宝物殿の特別展を見たかったので 曇り空の土曜日の朝から見に行きました。

・大阪天王寺から近鉄南大阪線準急で あっという間についた。 ちなみに「藤井寺行」だと道明寺駅の手前で止まってしまうのでご注意。

(大阪南部は 山がぽこぽこあり、 南海線が各種、近鉄南大阪線ほか近鉄の各支線、JR線各種が、それぞれ山の間を縫うように広がっているので、
駅検索で調べるときに、ちゃんと乗る電車の終点もきちんと確認してのらないと、
途中で電車から降ろされてしまって後続車が来るのを待つ時間が存外かかることになる。

(すんなりいけば20分のところが 接続悪いと1時間以上かかる)ことが珍しくないので 要注意、終点違いの乗り間違いは言うに及ばず。
その点が関東とのちがい)

・さて 道明寺につくと 大きな看板
 天満宮へは 駅前商店街を抜けて行けば良いとのこと

 もっとも 駅前商店街と言っても アーケードがあるじゃなし、2・3軒の店が 開いているだけ。道もせまいし

 まあ 昔ながらの駅前商店街です。

 でも 新鮮果物が安かった。大振りだし。

 しかも、境内の露店で売っていた八百屋さんのシイタケが
 掌ほどもありそうな大振りで肉厚。
  初めて見たよ こんな大きいシイタケ!

 一応藤井寺市内なので、土地が低い(大和川の氾濫で5・7m浸水の可能性と途中の表示があった)というイメージだったのですが、はて こんな立派なシイタケがとれる山が近くにあったっけ?? と頭の中には ?マークが浮かぶ

 事前に見た地図では、天満宮は 2つの大きな古墳にはさまれた場所にあったけど・・

・さて、完全の梅円はと言えば・・

 まず 道明寺におまいりし、
 矢印に従って 梅園チケット売り場へ
 とても懐かしいイントネーションの気のいいおっちゃんが
 切符売り場で応対してくれた。一人300円

・7分咲きということで、梅の木は 全体が開花している者もあれば すでに満開後の段階にはいっているものも、まだあまり咲いていない木も。

 花色も ピンク 赤 臙脂 白、しだれ梅あり 古梅ありと
 品種が思った以上に多かった。

 そして 木の足元に散る花びらが 小さくかわいく鮮やかなこと。

 なんか 大阪城の梅園とは趣がちがう
 もちろん、和歌山南部の梅園(食用梅の実栽培地)の梅とも違う。

 枝にかかる名札を見れば 1本1本が多くの方々の寄進によるものだった。

 梅園の周りは 大きな木々に囲まれ 鳥が鳴き
 のどかな梅園でありました。
  梅の花のトンネルを抜けたり 梅園の真ん中にある石の階段にたって、上から花園を見下ろすもよし。

 ほっこりとした花見でありました。
 規模的には 毎日ご近所に散歩かたがた出かけるのにちょうどいい感じ。

・そして 宝物殿(拝観料300円)

 小規模ながらも 現在国宝6点が展示中

 最初 寺の国宝ってどうせ仏像だろうと、展示物に期待してなかったのですが・・ 行ってびっくり見てびっくり!

・青白磁円硯。
 大きく丸い硯石(これだけもかなり立派 珍しい)の周りを
 白釉の磁で囲っている。
  この焼き物部分が昔は脚部として 台座(つまり硯部分)を支えていたのだが 今は脚の部分がなくなり、ただの縁取り飾りに見える。
 それでも すごく立派。

 日中の博物巡りを半世紀やって来た私ですが、こんな立派な硯を見たのは 初めてです! 当時としたら 皇帝に献上されていても不思議がなかったかもしれないくらいの一級品なのでは??(まあ 中国の皇帝への献上品ならもっと大きいかもですが)

・牙笏(げしゃく)
 早い話が 平安貴族が手にもつ笏(つまり平べったい細長いやつ 俗にしゃもじ呼ばわりするやつ)それが象牙でできている。
 お内裏人形が持っている奴から浮かぶイメージよりも はるかに長くて幅広でぶあつい。

 これだけの製品をとる元ととなる象の牙の大きさを考えたら震えが来た。 いくら昔は インド象がたくさんいたからといって。 この舶来ものが 日本まで来る旅路を思うと・・

 5位以上の貴族が象牙製の笏を持つことが許されるというけど もしかして 平安貴族って 思った以上の特権階級で金持ちだったの???
 それとも 道真さんその人が 予想以上の金持ちだったの?

・それにしても こんなに立派な象牙製品の裏側に、会に出席するお貴族様が 予定表などを書いたアンチョコ(カンニングペーパー)をはりつけてすました顔ですわっていたなんて!

と思うと そのあまりのもったいないさに気が遠くなりました、庶民の私。

(だって 象牙製品に 紙を貼ったりはがしたりって!!
 確かに貼ったりはがしたりを繰り返すためには、表面が滑らかな象牙が適していたのかもしれませんが・・)

・犀角柄刀子
 ペーパーナイフの柄(え)=持ち手が サイの角!
 象牙の次は サイの角!!
 アフリカだかヨーロッパでは 薬として珍重されたサイの角!

 うわ~ どんだけ交易品の豪華な品をさり気に持ってたのよ菅原家!
 そりゃぁ 信仰成り上がりの藤原氏から憎まれるはずだわ・・

 そもそも トウズ(刀子)って、正倉院や法隆寺の御物(ぎょぶつ)であって 私もまた 1度見たことがあるかないかの超珍しいものだぜ、日本では!!

・玳瑁装牙櫛

 たいまい(玳瑁)って、亀、それもかなり大きなウミガメですよね。現在絶滅危惧で保護対象の。

 時代が言っているので べっこう色の輝きが失せていますが
 櫛(くし)の歯の細かいこと 細かいかと!
 これなら 毛1本分の隙間しかない! というくらい 細く細く櫛削られたそれもかなり長い歯

 これなら 細くてまっすぐで滑らかな私の髪にさしても
 落ちる心配がないのでは?と思うくらい 隙間が細くてびっしりと長い歯が並んでいる。

 さすがべっ甲! その強度があるから これだけ細かい細工をしても壊れないんだわ! 柘植の櫛では実現できないこの歯の細さ

 とその細工の技に感動しました。

 と同時に これが べっこうの櫛の由緒だったのか
 かつては べっこうでしか実現できない実用品の櫛だったのね!! と納得。

 素材と加工技術が超一流だからこその 最高級品だったのだろうけど。

 これを 日常的に使っていたであろう菅原道真って 超超権力者だったのでは?
 歴史の教科書では、大宰府に流されて涙する落剝の貴人のイメージだけど、案外 大宰府に引っ込んで中央の政治からは離れても 海外貿易拠点で豪華にお暮しあそばしていたのかも・・という疑念が浮かんだ。
 (まあ 当時の権力者からすれば 政治の中心・京を離れツことそのものが大問題だったのかもしれないけど)


・鏡は、保存状態よく 品が良いのは人目でわかったけど 見慣れているのでスルー (っていうか象牙・サイの角・玳瑁の豪華さに圧倒されていたので (;^_^A )

 視力の弱い私の場合、鏡の文様を見るには かなりの努力を要するのだ。
 なので 国立博物館や天王寺美術館なみの工夫(技術)で展示してくれないと 細かいところまで見届けるのが苦しいのも
スルーした理由の一つ

(字数の関係でコメ欄に続く)

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2024/02/18 06:44
(おまけ)

梅を見て 来(き)し超しかた(方)を 反省す

 「憂うなり」ってかっこつけている場合ではない今なので
 反省して 行動に移さねばなりませんねぇ。老骨に鞭打って
 と言いつつ 投稿するだけの私って><

・道明寺天満宮の 公式サイト ↓
  https://www.domyojitenmangu.com/access.html

・国宝十一面観音菩薩像は7体!

 国宝の仏像は数々あれど、観音像で国宝になったのは7体だけ

 そのうちの一つが 道明寺にある

・そして 周辺の古墳は 世界遺産の古市古墳群 でもありました

 本日18日は 道明寺天満宮に9時半に集合・受付して 約3キロのハイキング会が開かれます

 (拝観料500円と資料大200円コミの参加費は700円)

 梅の花を楽しみつつ 古墳巡りの初春のハイキング♬ 迷子の心配もなし!

 (古墳って バカでっかいので 地図を頼りに一人で回るのって けっこう しんどくてめんどいのよ
  ガイド付きで回った方が 絶対に楽しめると思う。←私の経験から)
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2024/02/18 06:28
(本文の続き3)

近くは 天皇家が兄弟争いしたあおりを食って 河内長野や奈良・和歌山の山間部に至るまで 戦が室町まで続き(摂関家の争いや 平家がらみの戦は省略)
落ち着く暇もなく 戦国時代で 日本全国から集まって来た武将たちが 合戦を繰り広げ

大阪の人間は 毎日 地道に 農業・漁業・山間部の産業と 自然と調和しつつも 常に時代の先端を行く技術を取り入れて生産活動に励み
権力者どもは その成果(財と富)の分捕りに集まり
地元大阪の人間は それに対抗したりあしらいつつ 自分達の生活を続けるために
最新の技術と知識は吸収、それを使って生産活動の発展につなげつつ継承
その一方で 権力者・武力で訪れる者とは 交渉を重ねて

 一方では「長いものにはまかれろ」といいつつ 土根性を発揮して主体性を失わず
 「情報」こそが 生き抜く力の源と 生産ネットワーク人脈を 旧道沿いに走らせる

 海路は途切れやすいので、千葉あたりに行くと、関西由来の生産者の末裔が結構いるけど
 肝心の和歌山・奈良などの関西人の子孫は そのことを伝承することなく日常を送り
 たまさか その地(関東)に行って、意外と 先祖がこっちに来て その子孫がその伝承をもちつつ
 関東に定着して繁栄していたのかとびっくり

 ただ 陸路ネットワークは 昭和40年代までは きっちりと人的交流としてのこっていました。

だから 道明寺駅のそばにある案内板と 道明寺天満宮の一式を見て
 つくづくと 大阪って すごい歴史を持っているのだなぁ
 「政治」に対して 冷めた目を持つのが 生粋の大阪の人間っていうのは
 その歴史性ゆえだろうなぁ と思いました。

が しかし 今や よそもの(流入者)が 大半(もしかしたら8~9割以上)を占めるようになってしまった大阪の府と市が 今や 異国のドル箱となってしまった 維新政権の現状を見ると・・

 「大阪万博 絶対反対! 大阪の植民地化の象徴! 許せん!」としか 言いようがないです

生粋の大阪人の処世術「長いものには巻かれロ・損して得とれ」が
 とことん 裏目に出てしまったこの半世紀の惨状が 今の大阪、
「大阪万博という破滅の体現」になってしまったのだと思いました。
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2024/02/18 06:12
(本文の続き2)

・いやもう 期間限定公開の国宝6点を通して 菅原公の偉大さを始めて認識しました。(;'∀')
  教科書の中の謎の人物から 初めて 歴史上の人物として実感を得た感じ!

・藤井寺市にある道明寺に、道真公が滞在したのは 彼が40歳の時の4月~7月の3か月間
 その時に 青白磁円硯を使って写経をされたそうだ。

・道明寺の3人の祭神の一人が 道真公のおば様であり
 この地の長が「土師氏」姓を賜ったきっかけが、垂仁天皇の32年に野見宿弥が「埴輪」を作って殉死したことにあるそうなので、この地にも いろいろな由緒があるのだろう。

 というわけで、この道明寺の境内の一部の斜面には 復元された埴輪の登り窯がありました。

 でかい! 登り窯って、斜面を利用して作ったトンネル状の窯で
 そこで 火が下から上へと斜面を這い上がるように上り、熱も上に上がり
 大量に大きな焼き物を造る構造だったのか!

  と 一目で理解できました。
  (これまで 通り一遍の解説を文字で読んでも さっぱりイメージできなかったのですけど)

 予想以上に大きな窯だった。

 むかしは このあたり一帯の斜面に たくさんの登り窯が並んでいたそうです

 すごいなぁ。それだけの燃料となる木の生えた山が囲まれていたのかぁ

 もしかして 埴輪の原料となる土は 大和川の氾濫原にあったのかな??
  それとも もうチョイ遠い所から運んでいたの? それはどこ? どうやって?

  想像の翼が生えました。

というわけで 急に 藤井寺という土地にも関心が向きました。

そんな思いで駅に向かい 改めて、駅近くの絵地図を見たら「関ケ原の合戦場』の文字が目に入った。

 疲れていたので さっと目を通しただけですが

 なんと 大阪城攻めの時に このあたりでも 前哨戦が繰り広げられ
 真田幸村も出張っていたそうです。 ほかにも 浪曲かなんかで聞いたことのある人の名前が出ていた。

・その時に ふと 思いました。

大阪ってさぁ、天皇一族が日本にやって来た時から、徳川時代になるまでの1500年から2300年くらい
ず~っと 政権争いの戦場だったのね。

 近年では 各地の豪族が 京の都の天皇中心の体制に固まる平安初期まで 戦続き
 平城京ができても 平安貴族どもが政権争いをするたびに 戦は 大阪各地で行われ
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2024/02/18 05:52
 (本文から続く 国宝の紹介と感想)

・銀装革帯

麻を芯に入れ 2枚の革を縫い合わせたベルト

革の表面には光沢があり しなやかで強さそうに見えるが、素材は何だろう?
 光沢からすると牛かな??? 
 時代的イメージからすると鹿って感じだけど 皮の質感は牛や豚っぽい。
 なにしろ 皮の部分が薄く見えるから・・当時 豚やイノシシの革が使われていたのかしら?????

ベルトを巻いたとき 正面に当たる位置には、銀板15枚を加工した飾り部分がある。

 銀板の地は 魚々子(ななこ)づくり

魚々子とは、切っ先の刃が小円となった鏨(たがね)を打ち込み、金属の表面に細かい粟(あわ)粒をまいたようにみせる技法。隣接して密に打たれたさまが、あたかも魚の卵をまき散らしたようにみえる
 正倉院御物にもある技法
 https://kotobank.jp/word/%E9%AD%9A%E3%80%85%E5%AD%90-857524 より

・文様は細かすぎて私にはわからなかったが、弓矢の狩猟・走る鹿・オシドリ・森・水・雲など
 当時のヤマトの光景を彷彿とさせるものらしい

 目を引くのは 銀板の中央に象嵌された水晶!

 最初私は 色とりどりの宝石?ガラス?(この時代にそんな技術あったの?)と思ったのだけど
 なんとなんと、水晶の玉の下に 紫・藍・茶色の板を敷いていたのだとういう!

 難と透明度の高い水晶玉なんだろうか? 難と緻密な加工技術なんだろうか!!
  すごい着想!!!!

 はぁ~ 菅原道真とその一族って めっちゃすごい人だったのね!!
  しかも かなりセンスいい!!

 これ見よがしのぜいたく品の故宮の皇帝たちよりは、はるかに センスが良くて 高い技術により 高級素材を さりげなくおシャレに仕上げて使っていた道真公 すばらしい! と思いました。

・もしかして 菅原の道真が 「学問の神様」としてたたえられるのは
 たんに頭がよかったからだけではなく
 えりすぐりの素材を集める財力・外交力&高い技術集団を召し抱える見識と財力と政治力を持ち
 しかも めちゃくちゃハイセンスな方だったからでは!!

 しかも 高品質な鏡を持っていたということは、歴史的にトップクラスの地位・家(血筋)をお持ちだったということですよね






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