Nicotto Town



2/4 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2024/02/04
キラキラ
集めた場所 個数
ペット海浜公園 3
おしゃべり広場 3

4択  「どらやき


キラキラ  「ペット海浜公園」 ワンニャン紹介所

     「おしゃべり広場」キティ 右の柱  

4択  好きな和菓子は? → どらやき



どら焼きはいつからあるのかというと・・わからないそうだ。

名前の由来は打楽器の銅鑼(どら)に似ていることから付けられたのであろう・・と推察されている。

江戸時代にあった「どら焼き」は一枚の生地を焼き上げその中央に餡を置いて四方の端を餡を包むように折りたたんでいた。
餡は全部は包まれず上部から顔をのぞかせている四角いきんつばのような形をしていたという。

現在のような「どら焼き」になったのは東京上野の「うさぎ屋」で販売された編笠焼が始まりとされる。
今のどら焼きの生地は欧米から伝わったホットケーキの影響を強く受けていて、更に蜂蜜を入れしっとりとしたカステラ生地を思わせるように仕上げてある。

一応和菓子の定義では「三同割(さんどうわり)」と言われて小麦粉、卵、砂糖が同量の割合であるとされているのだが、店によって醤油、塩、麹、日本酒、抹茶、黒糖など様々な追加材料を足すのでその割合から大きく逸脱することもあるそうだ。

そ・し・て!!!
近畿地方、とりわけ奈良ではどら焼きのことを「三笠」「三笠焼き」と呼ぶことがある。
三笠とはなだらかな山だ。
山というか丘だ。

安倍仲麿(安倍仲麻呂)が詠んだ
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる
 三笠の山に 出(い)でし月かも」
(天を仰いではるか遠くを眺めれば、月が昇っている。
 あの月は奈良の春日にある、三笠山に昇っていたのと同じ月なのだなあ。)

と唐で故郷の奈良を偲んだ詩がめちゃ有名。
この詩は30年間、唐の玄宗帝に仕えた仲麿がようやく帰国を許されて仲間と送別会を催した時の詩だそうだ。
その後帰国の船に乗るのだが、悪天候で難破、ベトナムに流され、仕方なく仲麿は長安に舞い戻りそのまま官吏として暮らし帰国できることなく没する。
外国人としては異例の安南(ベトナム。当時は唐の支配下)長官にまで出世するのだが・・・それより日本に帰りたかったよね。
ふと思うのだが、仲麿のこの詩を誰が持って帰ってきたのだろう?
確か・・・娘・・・孫娘?が日本に来たはずだからその人か?

仲麿は奈良時代の人間だが、この詩は平安時代に編纂された「古今集」に収録されている。
そして安倍仲麿の詩はこの1つである。

三笠山は奈良公園からその稜線がよく見える。
仲麿が遣唐使として船に乗る前に旅の無事を祈る祭祀を行ったのが三笠山の南麓であったという。
三笠山神社には豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)が祀られていて、道中安全・交通安全の御神徳がある(今もある)。 
三笠山は仲麿にとって出立する時に見た思い出の地だったのだろう。
そして、帰国の旅の安全を祈る意味もあったのかもしれない。
難破しても命があったのはその御利益なのか?

奈良文化財研究所(奈文研)の2009年の記述によるとベトナム・ハノイのタンロン(昇龍)皇城遺跡の調査や修復計画に協力しているらしい。
多くは11世紀の遺跡だが7世紀~19世紀までその地が使われていたために部分的に古い時期の遺跡が見つかるという。
安倍仲麿が唐の官吏として長官を勤めた安南(ベトナム)都護府のものなのかもしれない、、と派遣された人は胸を熱くしているらしい。

奈良にある「三笠焼き」は直径が20cmのものもある。
ケーキのように切り分けて食べるものだが、甘いもの大好き叔父さんにあげた時は幸せそうに一人でパクついてた!

カステラ一番♪電話は二番♪三時のおやつは文明堂♪の老舗カステラ店「文明堂」でのどら焼きの商品名は「三笠山」。
あのどら焼きのようななだらかな稜線を描く丘・・・山が奈良にはある。
三笠山の別名は「若草山」。
よく修学旅行生や遠足の学生がお弁当を広げる芝生(のハゲた)の斜面を持つ山である。
知らずに足を踏み入れていた人もいるのではないだろうか。
お弁当を後ろから鹿に襲われてビエーーーーー!と泣く子供を排出しているところである。
そこは仲麿が泣くほど帰りたかった場所である。

アバター
2024/02/04 01:55
帰りたいのに帰れないのは切ないわねえ。




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