文化財防火デー
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2024/01/26 01:05:17
こんばんは!26日(金)は山陰から北の日本海側では雪が降るでしょう。
近畿から東海や北日本の太平洋側は雲が広がりやすく、
北日本の太平洋側では雪の降る所がありそうです。
南西諸島は雲が多く所によりにわか雨があるでしょう。
その他の地域は概ね晴れる見込みです。
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【文化財防火デー】 ぶんかざいぼうかデー
Cultural Asset Fire Prevention Day.
☆文化財防火デーは昭和25年に法隆寺金堂の焼損で起きました事件を記念して、
毎年1月26日に文化財を防火に守るとともに全国で行う活動です。
<概要>
〇文化財防火デーを前に岩国の国重文・旧目加田家住宅で消防訓練
文化財防火デー前日の25日(木)、
山口県岩国市横山の国重要文化財の旧目加田家住宅で消防訓練があった。
住民や岩国地区消防組合の職員、
市消防団の団員たち約70人が、火災への対応を確認した。
*中國新聞さんより抜粋
@旧目加田(めかた)家住宅
住所 :山口県岩国市横山2丁目6
電話番号 :0827-43-2737
大人・小人 :無料
開館時間 :9:30~16:30
定休日 :月曜日(祝祭日の場合は翌日)
問い合わせ先:岩国市文化スポーツ振興部文化財課 さん
電話番号:0827-28-5353
目加田家は天将年間に吉川元春(きっかわもとはる)公に召し抱えられます。
《吉川元春》公
出身地 :安芸国 郡山
生年月日 :1530年
死亡年月日:1586年(享年57歳)
無敗の武将:豊臣秀吉公も恐れました猛将です。
「三本の矢」の数えの次男としても有名です。
〔76戦無敗、吉川元春公!〕
11歳の時、まだ元服前の吉川元春公は、
父の毛利元就(もうりもとなり)公の反対を押し切りまして、
敵兵を討ち、初陣を飾ります。
≪父の毛利元就公より≫
「戦では元春に及ばぬ」
このように言わしめました。
全76戦、64勝12分という戦歴で無敗を続けまして、
毛利家の中国地方の統一に貢献します。
しかし・・・
実際は第一次「月山富田城の戦」では毛利軍が敗戦しまして、
参戦していました吉川元春公も敗戦しています。
≪月山富田城(がっさんとだじょう)跡≫
島根県安来(やすぎ)市広瀬町富田にありました日本の城です。
*月山・・・標高:183、9m
住所 :島根県安来市広瀬町富田
電話番号:0854-32-2767(安来市立歴史資料館)
営業時間:常時開放
定休日 :年中無休
アクセス:安来ICより車で約15分です。
イエローバス「月山入口」下車徒歩約1分です。
月山に営まれます。
出雲源氏・富田氏の世居しました城で、
京極氏に支配権を奪われてからは、
その守護代である尼子(あまご)氏が在城しました。
月山の一帯にありまして、
戦国大名尼子氏歴代が本城として山陰・山陽制覇の拠点としました。
その規模と難攻不落の城として戦国時代屈指の要害でした。
又、艱難(かんなん)辛苦に耐えるい運の武将、
山中鹿介(やまなかしかのすけ)さんの出た城として有名です。
《山中鹿介幸盛(やまなかしかのすけゆきもり)》さん
戦国時代に一度は滅びた主君を再興するべく、
八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をした武将で、
「山陰の麒麟」と呼ばれました。
その勇猛さと忠義ぶりは戦国の世を通じても、
他に見劣りしない人物です。
山中鹿介さんの「山中家」は山陰地方の戦国大名尼子氏の一門で、
家老を務める家柄でした。
その次男に生まれた鹿介さんは父を幼少期に失いましたものの、
8歳の時には戦場に出て、
13歳の時には敵を打ち取ったといわれています。
そして・・・
16歳の時には、
近隣にその名が知れ渡っている豪傑を一騎打ちの末討ち取りまして、
尼子家にこの人ありと知られるようになります。
その後・・・
鹿介さんは病弱でありました兄に替わりまして、
山中家の家督を継ぎました。
尼子氏滅亡後・・・
毛利氏、吉川氏の時代には、
山陰地方支配において、月山富田城は重要な役割を果たしました。
関ヶ原の戦いの後には、
堀尾氏が月山富田城に入りまして、松江城に至るまでの拠点としました。
月山富田城は標高約190mの月山山頂に主郭部を設けまして、
尾根上に大小多数の曲輪を配しました複郭式山城です。
・菅谷口
・御子守口
・塩谷口
これら3方面からしか攻められません。
城内郭の下段が落ちましても、中断の山中御殿で防ぎまして、
そこが落ちましても主山の月山に登って防ぎます。
頂上には堀を築いて守りを固めまして、
一度も落城しなかった天下の名城として知られています。
1934年には国の史跡に指定されます。
2006年には「日本名城100選」にも選ばれています。
難攻不落の城といわれておりまして、
主家への忠義を貫きました山中鹿介さんの銅像や供養塔、
随所に残る石垣や石畳の古道が往時の面影を伝えています。
*勝山城は現在は安来市側からの登山道は整備が行き届いておらず、
登頂することが難しくなっています。
登頂される場合は松江市側から登頂をお願い致します。
その後、奪還はしていますが、厳密には無配とは言い難い面はあります。
その後・・・
吉川家が岩国に移封されました際に藩主広家公に従いまして、
この地に居を構えた家系です。
旧目加田家住宅は18世紀中頃と見られる中級武家屋敷の数少ない遺構として、
国の重要文化財に指定されています。
問題 目加田家の瓦は何瓦でしょうか?教えてください。
1、石州瓦(せきしゅうかわら)
2、三州瓦(さんしゅうかわら)
3、両袖瓦(りょうそでがわら)
〇目加田家の筋葺(すじぶ)き
二種類の瓦を交互にする二平葺(にびらぶ)きで、
重ね合わせの桟(さん)を両側に持つ特殊な形の桟瓦です。
この桟瓦は正解の瓦という岩国独特の地瓦です。
別名は岩国瓦とも呼ばれています。
〇武家屋敷
錦川(にしきがわ)が氾濫して横山地区が冠水することを想定して、
武家屋敷としては珍しく二階が造られていますが、
表通り側には二階窓はありません。
ヒント・・・〇正解の瓦
正解の瓦と平瓦(山部分の無い瓦)とを交互に葺く方法が、
17世紀後半の岩国城下で考案されたようです。
さらにヒント・・・
〇例文集
・舞台のOOに立つ役者が、迫力ある演技を見せる。
・机のOOには、書類や文房具を整理しる為の引き出しがある。
・彼はOOのポケットから携帯電話を取り出し、電話をかけた。
お分かりの方は数字もしくは目加田家の瓦名をよろしくお願いします。