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納めの不動

ニコットおみくじ(2023-12-28の運勢)

おみくじ

こんにちは!高気圧に覆われて全国的に晴れるが、

北海道の日本海側は雪が降る。
北陸と東北の日本海側も夜に所々で雨や雪となる。

【納めの不動】 おさめのふどう

☆毎月28日はお不動様の縁日です。
 12月は年の最後の縁日となります為、「納めの不動」と呼ばれています。

<概要>

〇納めの不動

不動明王様を御本尊とします成田不動尊さんや目黒不動尊さん等では、
護摩供養の日に合わせまして、毎年28日に縁日が開かれます。
その年の最後の12月28日は「納めの不動」と呼ばれています。

@御護摩祈祷をして感謝

 これまで受けられた御護摩札やお守りを、
 お不動様の炎にお返しをしまして、野外で行います御護摩祈祷です。

 お不動様の1年のご加護に感謝をする行事です。

[成田不動尊(なりたふどうそん)]さん

成田不動尊とは通称でありまして・・・

正式名は「成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)」さんです。

〔ゆかり〕

 平安時代に関東では平将門(たいらのまさかど)さんの乱がおこります。

 ≪平将門の乱≫

  10世紀頃から各地で成長しました豪族や有力農民が武装をしたり、
  畿内付近で成長をしました豪族が朝廷や貴族に使えるようになりました。

  彼らは各地に武士団を作りますと、
  良馬を産する東国で成長しましたのが平将門さんでした。

  その将門さんが下総から勢力を拡大しまして、
  大きな反乱に発展しましたのが「平将門の乱」です。

  *下総(しもうさ)・・・現:千葉県北西部

  平将門の乱とは・・・

  下総から勢力を広げる平将門と常陸(ひたち)で国司(こくし)と対立します
  藤原玄明(ふじわらのはるあき)さんが手を結びまして、
  939年に反乱に発展しました争いのことです。

  *常陸・・・現:茨城県

  *国司・・・古代から中世の日本で、
        地方行政単位であります国を支配する行政官として
        中央から派遣されました官吏(かんり)です。
        もしくはその官職です。

  豪族等が各地で成長しました武士団のうち、
  桓武天皇の曽孫の高望王(たかもちおう)さんから
  平性を与えられましたのが桓武平氏でした。

  *高望王・・・平高望(たいらのたかもち)さんのことです。
         平安時代中期の賜姓皇族です。

  平将門さんは下総を根拠に私闘を繰り返しながら、
  常陸の国司に反抗する豪族の藤原玄明さんと手を結び乱が拡大しますと、
  平将門の乱となります。

  後に・・・

  将門の乱は抑えられるものの、
  同時期に起こりました藤原純友(ふじわらのすみとも)さんと相まって、
  朝廷の軍事力の低下と地方武士の実力を知らしめることになりました。

  □平将門の乱が起きた背景

  ①武士団の形成

  10世紀になりますと地方各地の豪族や有力農民が、
  勢力を伸ばす為に武装します。
  弓矢を持ち、馬に乗りまして戦うようになります。

  豪族らは兵(つわもの)と呼ばれまして、
  家の子といわれる一族や郎党を率います。
  そして、時には国司に反抗する戦いを繰り返します。

  又、畿内付近では成長した豪族が朝廷の武官になったり、
  貴族に仕えるものも出てきました。

  この豪族らも兵や武士と呼ばれまして、
  宮中の整備や貴族の身辺をします。
  その他、市中の警護を任されることになります。

  これらの兵や武士と呼ばれる者達は、
  一族の結びつきを中心とした組織として連合体を作ります。
  これらが武士団と呼ばれるものでした。

  この頃は・・・

  特に関東地方での武士団の成長に勢いがあったとされています。

  ②桓武平氏の台頭と内紛

  その中で早くから関東に基盤を作っていましたのが平氏でした。

  平氏は桓武天皇の曽孫である高望王さんから平性を与えられたことにより、
  桓武平氏となります。

  高望王さんは葛原親王の王子でしたが、
  勅命により臣籍降下しまして平高望を名乗ります。

  上総介(かずさのすけ)に任官しました高望さんは、
  関東各地の勢力と関係を深めて勢力を拡大しまして、
  桓武平氏の基盤を固めていきました。

  高望さんの子の平良将(たいらのよしまさ)さんは、
  下総国佐倉を所領としていました。

  しかし・・・

  若くして亡くなり良将さんの子であります将門さんが、
  京での任務から戻りました時には、
  同じく高望さんの子であります国香(くにか)さん等に、
  多くを奪われてしまっていました。

  ■平将門の乱の経過

  当初は一族の私闘でありました内紛が徐々に拡大しまして、
  将門さんが関東の大半を制圧しますと新皇(しんのう)と称するようになり、
  朝廷が征東大将軍を派遣するまでに及びます。

  ①一族の私闘

  935年源扶(たすく)さん、源隆さん、源繁さんの三兄弟は、
  常陸国で将門さんを襲いまして、合戦となります。

  将門さんは源さん兄弟を打ち取ります。
  さらに叔父の平国香さんも打ち取ってしまいましたが、
  この時点では、国香さんの子であります貞盛さんは将門さんとの和睦を
  望んでいたとされています。

  一方で三人の息子を打たれました源護さんは、
  高望さんの直系であります平良正さんに訴えますと、
  良正さんは兵を率いまして、将門さんの本拠である豊田に向かいます。

  将門さんはこれに迎え撃ちますと、
  鬼怒川付近での合戦となりまして、将門さんが大勝する結果となりました。

  その後・・・

  ②私闘から乱へ 939年興世王と源経基さんと和解

  ③将門さんは下野、上野の国府を攻め落として東国の大半を征服

  ④940年1月に将門さんの謀反を源経基さんが密告

  ⑤海賊の乱+平将門の乱=天慶(てんぎょう)の乱の2つが起きる

  ⑥朝廷や貴族は積極的に武士を侍として仕えさせるようにする

 弘法大師こと空海様が乱を鎮めまして、
 関東を守る為に成田山に不動明王を安置しました。

 乱が治まりまして、空海様が京へ帰ろうとしますと、
 その像が動かなくなります。
 
 それを神様のお告げとしてこの地に新勝寺を建立したとされています。

問題 新勝寺の成田山公園内を流れる滝の名前を教えてください。

1、雄飛の滝

2、夕日の滝

3、雄角の滝

ヒント・・・〇正解の滝

      高さ約20m、幅約2、7mに及びます。
      その様子は栃木県塩原(しおばら)の奥にある滝を模しています。

      この滝は公園内でも屈指の景観です。
      滝の右手には山本瑞雲さんの傑作になる
      「御滝不動尊(おたきふどうそん)」が安置されています。

      《山本瑞雲(やまもとずいうん)》さん

       1867年ー1941年 明治から昭和時代前期の彫刻家

       慶応3年9月13日生まれ。

       高村光雲さんに学び、
       内国勧業博、シカゴ万博等で入賞します。

      [成田山新勝寺]さん

      住所:千葉県成田市成田1

      電話番号:0476-22-2111

さらにヒント・・・

〇将棋のある駒

将棋の駒の一つです。

縦横に何間(なんけん)でも動けます。

成ると竜王となりまして、
斜め前後にも1間ずつ動かすことが出来ます。

お分かりの方は新勝寺の成田山公園内に流れる滝の名前をよろしくお願いします。

  



 

  









 









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