Nicotto Town


かきくけこのブログ。


ゲシュ崩ログ 364 路傍の石に

知らない人に町で声をかけられた。見知らぬ他人に声をかけられると、なんだか一日落ち込む。なんで私…?という気分で。まるで、話しかけてきた人のスケープゴードになった気分。


ネットで調べると、町で話しかけられる人は、高確率で知らない人に話しかけない。という情報があった。これは、ガチだった。私は知らない人に声かけしない。話しかけられた回数と、話しかけた回数は絶対話しかけられた回数が多い。どうやら、私が自分で自己分析するに、なんだかボケっとしてる顔してて、スキがありそうというのは他人に言われた事があるので、残念なタイプ=話しかけられやすいという事なのかなという気がする。挨拶をする人間が高等な人間であるように、人に対して関心を持って声をかけるというのは、知能の高い人間がする事なのかもしれない。
 町で知らない人に話しかけるという事を一回もしたことがないけど、一回だけした事がある。旅行先で、中学生くらいのいかにも不良、みたいな子供が不良的な行為をしている道端で、不良たちがあまりにかわいそうに思えて、一度だけ「高いごはんでもお酒でもなんでもおごるからおかあさんおとうさんの家に帰ったらどうだ」みたいな事を、見ず知らずの子供に言ってしまった記憶がある。今思えば、めちゃくちゃ変質者というか、不審者な人だと、不良に思われてたと思う。不良グループ全員が私を見る目が、「え…?なんなんこのおばさん…?」と怒りと不信に満ちた目だった。あれは何だか、ナンパみたいに思われたかもしれない。でも単純に、子供なのに不良行為をしている若者たちがかわいそうで、お父さんお母さんとかと、いろいろあってそうなってるから家に帰れっていうのも、それが残酷なのかもしれないけれど、なんだか切なくなって、言わずにいられなかった。でもそんなの、不良の子供にとっては、「なにこの不審者気持ちわる」だったに違いない。

ということを、知らない他人に話しかけられるたびに、自分の過去の不審者行為を反省する。よく考えたら、不良っぽい外見=親に心配かけるなみたいなその色眼鏡で人を見ていた自分もおかしいし、不良たちにとっては、本当に単純に、頭のおかしいおばさんが金だすとか言ってるぞ、マジやばくね?って不審者としか思わなかったと思う。あんな事はもうするまいと反省している。もしかしたら、若者の中には、なんだか犯罪臭を感じた人もいたかもしれない。そういうつもりは全くなかったんだけど、そういうつもりなかったとしても、若者のほうが「この人変質者です」って感じたら、それはもう犯罪なのだったのかも。あの頃、なんだか本当に、直に、一直線に、私自身も若い二十代という年齢だったので、十代の子供を見てとても幼い目で、他人を見ていたんですねぇ。そういう自己正当化をいくらしたところで、自分のやった不審者的行動が美化されるとは思わないから、二度とやらないけれども、旅先でたむろする不良たちにすごくすなおで真剣な気持ちで、お父さんとお母さんが心配してるのではないか…という気持ちになったのだというのは本当なのだ。

まぁ、何を言ってもなんだか自分の微犯罪を正当化しているような感じになるけれども、たぶん犯罪ではないんだけれども…

なんだか、自分が町で他人に声をかけられるたび、「もしかして他人にそういう哀れみとかを感じさせたのか私は」とか、「他人は私を見て幼いと思ったのか」とか、「私が立派な人に見えてはいないんだろうか」とか、そういう事を思うので、ナンパ?を含め、他人に話しかけられるというのはやっぱり緊張するしすごく軽んじられてるというか、下に見られているというか、お世話をかけている感じがして嫌だ。

一度、「人に話しかけられないためにどうするか?」と、先輩と飲み屋さんに行った時に飲み屋さんの美人スタッフに聞いたら「怖い表情をして無視が一番」と言っていたので、そういうものかと思ったものです。無視する事は難しくてできてないんですが、「あ、話しかけられそう」と思った時、一生懸命、必死に眉間にしわとかよせて、怖い顔つきになるように心がけるようになりました。まぁ、それでも話しかけられる時は話しかけられる。なんだかボケーットした顔でうまれた人間の宿命なのでしょう。路傍の石のような雰囲気を出したいものだ。




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