祖母・祖父との思い出
- カテゴリ:今週のお題
- 2023/09/18 15:07:50
祖父って、一緒に暮らしたことないですね。
父方の祖父は私が生まれる前に亡くなっていました。なんたって父は12人きょうだいの9番目でしたから。
母方の祖父は、母が一人娘で家業を継ぐために婿養子を迎えたこともあり、別居していました。
私が育った函館に、夏になると避暑がてら帰ってきましたが、ふだんは鎌倉に住んでいたそうです。これがどこの家でもある普通の関係だと思ってました。祖母は両親と私たちと一緒に暮らしていましたから、要するに別居してたってことですね。
夏になって祖父が帰宅すると、大騒ぎでした。
ふみさん(女中さん)は果物屋に走り、一番立派でおいしそうな桃を数個買ってきました。これはみんなで食べるのではなく祖父の画材です。
二階の座敷の明るい日当たりの良い部屋が祖父に提供され、モモはしゃれた皿に盛られ、祖父の水墨画の材料も整えられて
朝からずっと祖父は絵を描きました。
孫たちは邪魔だからと入室を許されません。
朝ご飯とおひるごはんは一緒に食べたような気がしますが
夕食のころには祖父はどこかに出かけていたらしいです。
大事なお客様という扱いだったのでしょうかね。
そして私が小学校に上がってすぐくらいに、祖父は鎌倉で亡くなりました。
どこかに一緒に出掛けた記憶もないし、かわいがられたような記憶も幼すぎてなかったし
祖父の話題は祖母の前ではタブーでした。
これがわたしの祖父の思い出です。
そうですねぇ。祖父のことを話題にするのはタブーに近かったんですよ。
私の家は代々海運っていうか、ぶっちゃけていうと北前船の船主でして、明治になって蒸気船におされて
陸に上がり商業へと転じたんです。
ですから祖父は、水難事故で一族全滅した時の最後の大事な跡取りでした。
帝展に入選したのですが戦争がはじまり、そのままなんやかんやで
一人娘(私の母)が戦後婿をむかえて家業を継いだので
安心して別居したようです。
鎌倉には別宅と別の奥さんと子供たちがいたとかいなかったとか。
そんな話もすべてタブーですから、聞くわけにもいかずでした。
母は祖父を尊敬していたようですよ。
祖母は・・・何を考えていたのやら~笑。
それは、割と(?)不思議な感じのおじいちゃまと、だいしょうじさんの関係ですね。
絵描きさんだったんですか?
おじいちゃまは。
別居してらしても、避暑にいらしたというのは、きっぱり(笑)別れたということでもなさそうですよね。
あら、詮索しちゃったりして、あたしったら~(;'∀')
おばあちゃまにとって、なにか悲しい物語があったのかもしれませんね。。。