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かきくけこのブログ。


ゲシュ崩ログ330 尾木ママの耳

ラジオ聞いてたら尾木ママがゲストだった。尾木ママのお話って魅力的ですね。こうでこうで、私お喋りしてたの、みたいなごくごく普通の事を話しても、尾木ママが言うととっても楽しいラジオ聞いた気持ちになりました。人間力っていうか、人徳っていうか。同じ事言っても、その人が言うとすごく心地よいっていうの凄いですね。お話される声がとっても感じがいいいからでしょうか。耳をダンボにして、ついついラジオに聞き入ってしまった。
 というのも、最近子供に「お母さんもっと優しい話し方をして!」と叱られるから。私は全く怒っている訳でもない時、「今、声が低かったし、怒ってる感じだったよ?」と子供がぷんすこするので、ごめん、って謝って、鬼太郎のおやじになって話すと、子供は喜んで許してくれますが、自分って「無意識に人に嫌な気持ちにさせる声のトーンで話しているんだな…」って、子供のひとことで気が付いたのです。過去にもそういう事があった。だから直して自分としては、いつも尾木ママみたいに感じがいいお話方してるのかと思っていました。そんなの全くの思い違い、思い上がりも甚だしいというところだったのでしょう。子供が私を叱らなければ、また気が付かなかった。もうあと何年生きるかわからないのに今更気が付いてもな…って思うのですが、でも子供が言うからには、尾木ママみたいな話し方で今後は生きていきたいなと、素敵な印象で話す人を知ると、そういつも思います。簡単になれないとは思いつつも、凄く素敵だから、やっぱり真似したくなった。そんな尾木ママの凄い言葉で、「耳ザルで聴く」という言葉があった。見ざる…言わざる…とか言うけれど、尾木ママは「耳ザル」という。なんだそれは…と思ったら、「ざっとおおまかに聞く、そしてその核心をつかむ」というのです。私この話きいたとき、この人頭いいな~そして人道的!その感覚はなんて現実的で力強くて、物凄い事なんだろう…と人としての物凄さを痛感した。フィジカルな目、もっと高い視点というか、そんなものを、尾木ママの「耳ザル」から受け取りました。生きてると、全部聞いてたら人と喧嘩ばかりしてしまうと思うんです。そういう事態は、例をあげるまでもなく、現実社会で生きている全人類のまっとうな現実だと思うんです。だから、耳ザルという感覚が大切になる。これを大切だと改めてせつせつという尾木ママは一体どんだけ人の話を聞いてその境地に到達したのか、とか、人としての性格の良さが、耳ザルという言葉に集約されてるな。と感動した。耳ザルで、でも核心の気持ちを受け止めてあげる。言葉に騙されない。人間だから、恥ずかしいとか言いたくない事があるのが人間だから、言葉ではなく心を受け止める。そういう姿勢ができるのが、尾木ママなんだ…と思った時、なんだか凄すぎて凄すぎて、ほんとに感動して、こんな立派な人に私はなれないけれどそんな言葉を胸に刻んで気持ちをわかってあげられる人になれたらいいなと、思いました。少なくとも、自分の子供が望んでいる「優しい話し方」をするだけくらいの事は、尾木ママのようにとはいかずとも、ママとして当たり前すぎる優しい話し方で、やらなくてはと大反省しました。子供が今は無垢な心で文句言ってくるのでありがたいですが、もう知らないって言われないように、精進だと思った時の、尾木ママの存在の尊さったらなかったです。




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