京都地蔵盆
- カテゴリ:占い
- 2023/08/24 17:42:09
ニコットおみくじ(2023-08-24の運勢)
こんにちは!湿った空気が流れ込む影響で、九州から東海は曇りや雨。
関東から北海道は概ね晴れ、広い範囲で猛烈な暑さになる。
沖縄は晴れ。
【川柳で夏の思い出を5・7・5で一句】
A、自転車で観して陽炎房総か
【京都地蔵盆】 きょうとじぞうぼん
☆京都地蔵盆は旧街道入口「六地蔵巡り」で、
小野篁(おののたかむら)さんが作りましたお地蔵様を巡りまして、
玄関に吊るすと疫病退散等の後利益があるともいわれています「お幡」を
いただきに行くことをいいます。
<概要>
〇地蔵盆
主に京都を中心としました近畿地方で行われている子供が主役のお盆です。
京都では京都を繋ぎます「無形文化遺産」に選ばれていますが、
京都盆は関西以外ではあまり知られていないのが現状です。
子供の健康や幸せを願うのと同時に、
日頃の地域の平和をお地蔵様に感謝をするお盆の行事です。
地蔵盆でお祀りされますお地蔵様は「地蔵菩薩様」を指します。
[地蔵菩薩様]
五濁(ごじょく)の悪世におきまして救済活動を行います菩薩様です。
〔汚辱悪世〕
人の心が邪悪になり、自分の悪に気づかず他人の正しさを認めず、
何につけても貪(むさぼ)り、怒りの心を起こしまして、
慈しむことを知らずに自分の命も他人の命も粗末にしまして、
ついには時代そのものが悪に満ちていることを指します。
五濁とは・・・
・却濁(こうじょく) ・見濁(けんじょく)
・煩悩濁(ぼんのうじょく) ・衆生濁(しじょうじょく)
・命濁(みょうじょく)
これら5つの濁りを説いたものです。
五濁悪世は、五濁の盛んな悪い世の中のことを指します。
八大菩薩様の一つで・・・
サンスクリット語でクシティ・ガルバ様です。
〔クシティ・ガルバ〕様
大地を母胎とするもの
このような意味がありまして、生命を生み出しまして、
育む大地のような可能性を秘めた菩薩様を象徴したものです。
一切衆生(いっさいしゅじょう)に仏性がありますという如来蔵思想と
恐らく関連しまして、大乗仏教の比較的後期に現れました
「地蔵菩薩本願経(じぞうぼさつほんがんきょう)」によりますと、
彼は仏になることを延期しまして、地蔵の状態に留(とど)まりまして、
衆生の罪苦の除去に携わることを本願としました。
成仏のみに関心をもちます仏教への反動です。
彼の図像的表現は屡々(しばしば)比丘(びく)の姿をとりまして、
剃髪しまして、錫杖と宝珠(ほうしゅ)を持ちます。
*比丘・・・修行者
天上から救済活動を行います他の仏や菩薩とは異なりまして、
自ら六道(ろくどう)を巡りますこの菩薩様は、
中国、日本で庶民の人気を得ました。
中国的な要素を持ちます十王の思想と合体しまして、
敦煌(とんこう)出土の「地蔵十王図」では、
地獄の裁判官であります十王の背後に地蔵菩薩様が描かれました。
閻魔大王は、地蔵菩薩様の化身であるとの思想も生まれました。
密教では宝冠や瓔珞(ようらく)を着用した姿で描かれます。
親よりも先に亡くなりました子供は、賽の河原で苦行を積むことで
知られていますが、地蔵菩薩様は賽の河原にいる子供を救済するとも
いわれています為、子供を救う仏様ともされています。
*賽の河原・・・三途の川の手前にあります河原
@地蔵菩薩様は閻魔大王様の化身!?
閻魔大王は裁判官として死者を裁く一方で、
地獄では地蔵菩薩様として死者の身代わりとなりまして、
地獄の炎に焼かれていました。
平安時代の高官でありました小野篁さんは、
地獄と現世を行き来しまして、実際にその様子を見まして、
お地蔵様をお祀りするようになったといわれています。
《小野篁》さん
出身地 :不明
生年月日 :802年
死亡年月日:853年2月3日(享年51歳)
「野狂」のあだ名にされます程の反骨精神を持ちまして、
流罪から復活出来る程のやり手の官僚です。
詩歌に優れまして、不可思議な伝説を持ちます人物です。
〔流罪から復活〕
834年に遣唐副使に任ぜられました。
しかし・・・
2度の唐への渡航の失敗の後に・・・
838年の3度目の航海にあたりまして、
遣唐大使の藤原常嗣(ふじわらのつねぐぐ)さんの無茶に抗議をしまして、
渡航を拒否します。
その上、遣唐使の事業で朝廷を風刺します漢詩を詠みました為に、
嵯峨天皇の逆鱗に触れまして、同年に隠岐の国への流罪となりました。
小野篁さんは多大の犠牲を払ってまで行います遣唐使の事業の限界に
気づいていたようです。
現に、小野篁さんが断りました遣唐使船が事実上の最後の
遣唐使となっています。
小野篁さんは2年後・・・
840年罪を許されまして朝廷に復活します。
その分際の優秀さに免じまして、
官位も流刑以前のものに戻されまして、そこから再び昇進していきました。
東宮学士、従四位下・蔵人頭(くろうどのとう)を経て、
847年には参議となりまして公卿の仲間入りを果たします。
*蔵人頭・・・蔵人所(くろうどところ)の長です。
公卿への登竜門となります重要なポスト
850年文徳天皇の元で従三位に叙(じょ)せられますが、
同年、病の為に亡くなります。
亡くなります前には文徳天皇は小野篁さんを心配して何度も使者を使わせ、
病気の治療を金銭的にも援助したといいます。
小野篁さんは自分が死んだ時は他人に知らせずに、
ただちに葬儀を行うことを命じていたといいます。
尚、小野篁さんが地獄と現世を行き来したとされている井戸は、
今でも京都の六堂珍皇寺(ろくどうちんおうじ)に残されています。
〇六道まいり
8月13日から五山送り火が行われます8月16日のお盆の時期に、
各家で先祖の霊を招き慰める報恩の供養が行われます。
これに先立ちまして、8月7日から8月10日まで、
京都市東山区の六堂珍皇寺において「六道まいり」と呼ばれます
精霊(御霊)を迎える行事が行われます。
京都ではこの六道まいりを「お精霊(しょうらい)さん迎え」と呼び、
長く伝わる風習の一つとなっています。
@六道
・天道 ・人間道
・修羅道 ・畜生道
・餓鬼道 ・地獄道
仏教では生き物はみな、前世の行為の結果が現在に。
現在の行為の結果が来世の幸せや不幸に繋がるという因果応報の
理(ことわり)を説いています。
問題 京都地蔵盆は毎年8月23日、24日に行われます。
具体的に地蔵盆ではどのようなことをするのか?を
この中から教えてください。
1、ローソクをもらいに各家庭へ訪問
2、御地蔵様の清掃活動
3、お月見泥棒(子供達は月の使者)
ヒント・・・〇子供達が京都でなさること
お地蔵様に新しい前掛けを着せ、
化粧をする等をして飾り付けます。
@福岡県福岡市中洲の博多川に面した
「川端飢人(うえにん)地蔵尊 最後箒(ほうき)で掃く
地蔵尊に着き、湯呑の水を替えて乾いた布でお地蔵様を吹きます。
お分かりの方は数字もしくは具体的に地蔵盆で子供達がなさることを
よろしくお願いします。