思うこと、
- カテゴリ:日記
- 2023/08/09 13:50:22
8月6日と8月9日、
広島と長崎の学校はそれぞれに登校日で、平和教育の時間が設けられています。
長崎で育ったわたしは、
他のところでも同じよーに行われていることだと思っていましたが、
そうではないと、その後、大学生の頃に知ったのでした。
特別な場所だと言われればそうなのかも知れません。
ただ、その日に最初に目標と定められていた場所に落ちていたなら、
違う場所で同じ様に、慰霊と平和を祈る場所が違っていたのかも知れません。
長崎には多くの古い宗教施設があって、
その周りに多くの信者さんたちが住んで生活をしていたそうです。
宗教と言っても、最近問題を起こしている様な新興宗教では無くって、
古くから細々と信仰されてきた地に根ざした信仰です。
戦後に同じ宗派のひとびとの上に落としたことが、
落とした側のひとびとにも重い意味をもたらして、
自身の親しいひとびとに起こることを思う機会を与えることになったそうです。
国や民族、人種にかかわりなく、命をもつ生き物にとって、
その破壊とその後にも長く続く生命を脅かす、兵器
地球は大きいと言っても、
わたしたちの生きられる空間は限られた体積しかありません。
放射性のある物質、放射線、のある環境自体は、宇宙に普遍的にあるものです。
地球の表面では長い時間を掛けて、重力で重い元素は中心の地殻の
更に内側のコアへ閉じ込められ、
生命化学反応を遺伝子情報で安定的に維持することができる生物たちの
多く住まう、宇宙の中で2つと無い楽園が出来たのです。
核を平和的なエネルギー源として用いるならば、温暖化危機を回避するために
有効でしょう。
兵器として用いられてしまったならば、
放射線、放射能のある物質が無闇に解き放たれてしまったならば、
危険な突然変異の発現によって、毒性のある生き物の発生や、
伝えられるべき生きるための遺伝子が喪失されるかも知れません。
現代の戦争は戦う双方ともに、敗者になってしまうでしょう。
まして、核兵器を用いたならば、敵を滅ぼして戦争に勝ったと思っても、
その後の日々のうちに、自身も敗者だと思う様になると思います。
暴力によって、だれもなにも得ることは出来ないと知ることになるでしょう。
今戦争をしていることで、立ち止まってしまっている、温暖化対策
時間が経つほどに、影響が拡大して被害が大きくなり、
日常を取り戻すための時間と労力も更に大きくなってゆくでしょう。
対立では無く、お互いに手を携える、
力を合わせて未来を拓くことを選ばねばならないのだと、気付いて欲しいです。
8月6日は覚えているのに、9日は忘れてしまいます。
本当にダメですね、申し訳ないです。
原爆投下の候補地は京都だったそうです。
でも京都に落としたら日本国民が一生許さないだろう、で変更されたと聞きました。
また原爆実験する予定で4カ所わざと攻撃していなかったとか、も知りました。
本当に恐ろしいと思いました。
戦争はなくならないと思います。
人が人である以上、きっとなくならないでしょう。
でももし自分の家族、ご近所、学校や職場と少しずつ平和の和が広がれば。
この世から戦争がなくなるかもしれません。
コロナで個人主義がとんがっちゃったので、難しくなっちゃいました。。。
お天道様は見ている、人がもう少し人に優しくなれるといいのになぁと思います。