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パンの日


こんばんは!12日(水)は、西日本から東日本の日本海側や北日本では

雲が広がり、所々で雨が降るでしょう。
雷を伴って激しく降る所もある見込みです。
西日本から東日本の太平洋側や南西諸島は午前中は晴れる所が多いものの、
午後は所によりにわか雨や雷雨があるでしょう。
西日本から北日本では土砂災害や低い土地の浸水、
河川の増水や氾濫に警戒してください。
また、落雷や竜巻などの激しい突風、急な強い雨に注意してください。

【パンの日】

☆4月12日を「パンの記念日」。
 毎月12日を「パンの日」としています。

<概要>

〇パンの日(毎月12日 記念日)

東京都中央区兜町に事務所を置きまして、
パン食の普及宣伝活動を行いますパン食普及協議会が
1983年(昭和58年)3月に制定しました。

〇日本で初めて焼かれたパン

1842年(天保13年)4月12日。
伊豆国の韮山代官で西洋流兵学者でありました江川太郎左衛門英龍さんが
軍用携帯食料として「兵糧パン」と呼ばれます「乾パン」を作りました。
これが日本で初めて焼かれました「パン」といわれています。

*伊豆国・・・現:静岡県

*韮山代官・・・江戸幕府の直轄領を支配する為に設置されました役所

《江川太郎左衛門英龍(えがわたろうざえもんひでたつ)》さん

 享和(きょうわ)元年5月13日(1801年6月23日)ー
 安政2年1月16日(1855年3月4日)

 江戸後期の幕臣で伊豆韮山代官です。

 通称の太郎左衛門、号の坦庵(たんあん/たんなん)の呼び名で
 知られています。
 韮山では坦庵と書きまして「たんなん」と読むことが多いです。

 日本列島周辺に欧米列強の船舶がしきりに出没するようになった時代において、
 洋学とりわけ近代的な海防の手法に強い関心を抱きまして、
 反射炉(はんしゃろ)を築きまして、日本に西洋砲術を普及させました。

 [反射炉] Reverberatory furmace

  金属融解炉の一種です。

  18世紀から19世紀にかけまして鉄の精錬に使用されました。
  ただし、元は鉄以外の金属に用いられました設備で
  現代でも鉄以外の金属の精錬に用いられています。

  ≪構造≫

   熱を発生させます燃焼室と清廉を行います炉床が
   別室になっているのが特徴です。

   燃焼室で発生しました熱を天井や壁で反射させまして、
   側方の炉床に熱を集中させます。
   炉床で金属(鉄)の精錬を行います。

  ≪歴史≫

   反射とは・・・

   ・初期:低融点の金属の融解

   ・中期:高炉からの銑鉄(せんてつ)の再溶解

   ・後期:攪拌(かくはん)精錬法(パドル法)によります
    錬鉄の生産に用いられました。

   『初期』

    反射炉は元々融点の低い銅や鉛等、金属の融解に利用されていました。

    最初の反射炉は中世の時代にありましたとされ、
    鐘を鋳込(いこ)む時の青銅の溶解等に使用されました。

    17世紀末に初めて金属の精錬に適用されました。
    クレメント・クラーク准男爵と彼の息子のタルボットさんは、
    1678年ブリストルのエイボン川の畔に、
    キューポラを建てました。

    *クレメント・クラーク准男爵・・・:
     (Sir Clement Clerke,1st Baronet)

    *タルボットさん・・・Sir Talbot Clerle,2nd Baronet

    *キューポラ・・・cupolas、つまりは反射炉

    1687年までは鉛の精錬に用いていましたが、
    臭いますので銅の精錬用に変えました。

    *臭いますので・・・訴訟になり

    反射炉は次の10年の間に錫(すず)等の
    幅広い金属の精錬に用いられるようになりました。
    旧来の精錬方法に比べまして褐炭や木炭ではなく、
    石炭を燃料として使用出来るという優位性がありました。

   『中期』

    鉄の鋳造技術におきましては、
    ヨーロッパでは18世紀まで鋳鉄は硬くて脆いものとされていました為、
    鍛造の鉄が重宝されました。

    しかし・・・

    1735年にダービー2世が高炉での鋳鉄の製造に成功しまして、
    シリコンの高い加工可能な鋳鉄が出来るようになりましたことで、
    蒸気機関等の製造が可能となりまして、
    産業革命が起こることになりました。

    1766年にクラネージ兄弟によりまして、
    高炉で出来ました流鉄を再溶解します反射炉が発明されまして、
    高炉から独立して大量の溶湯(ようとう)を得ることが
    出来るようになりました。

    *クラネージ兄弟・・・(Cranege brothers)
  
   『後期』

    1784年にはヘンリー・コートさんによりまして、
    攪拌精錬法(パドル法)が発明されまして、
    反射炉は鍛鉄の生産に用いられるようになりました。

    *ヘンリー・コート・・・(Henry Cort)

    これによりまして旧来の塊鉄(かいてつ)炉は置き換えられました。

    *塊鉄炉・・・(finery process)

    ヨーロッパでは1760年代のクリネージ兄弟によります発明から、
    1850年代のベッセマー転炉の発明までの約90年間が
    反射炉の時代にあたります。

 地方の一代官でありましたが海防の建言を行いまして、
 勘定吟味役まで異例の昇進を重ねます。
 そして、幕閣入りを果たします。
 しかし、勘定奉行任命を目前にしまして病死しました。

 兵糧として西洋式のパンを焼きましたことから、
 現代では「パン祖(そ)」とも呼ばれています。

問題 パンについてですが、あんパンを作りました方を教えてください。

1、木村安兵衛(きむらやすべえ)さん

2、井村和蔵(いむらわぞう)さん

3、飯島藤十郎(いいじまとうじゅうろう)さん

〇食パンの名前の由来

食パンとは生地を発酵させまして大きな長方形の箱型の型で焼きました
パンのことです。

食パンは日本におけます呼称で造語です。

消費者庁の「パン類品質表示基準」では、
「食パンとはパン生地を食パン型に入れて焼いたもの」と定義されています。

*食パン型・・・直立体又は円柱状の焼型

日本人が型に入れて焼きました軟らかいパンのことを
食パンと呼ぶようになり、由来につきましては諸説あります。

・美術のデッサンの時に書いた線を消すのに用いるパンを
 「消しパン」と呼称し、それに対しての食用のパンを
 食パンと呼称し始めた説

・明治初期に外国人が主食として用いるぱんであることから、
 「主食用パン」という意味で「食パン」と呼んだという説

日本で初めてパンが作られましたのは江戸時代です。
最初は「兵糧パン」と呼ばれる保存食としての硬い「乾パン」が作られました。

明治初期に「あんパン」に代表されお菓子として食します
「菓子パン」が日本で食されるようになりました。

ヒント・・・〇あんパン

      銀座OO家は、明治維新後に西洋の食べ物でありましたパンに
      日本独自の製法を加え、庶民に広めました。

      1900年(明治33年)OO家三代目儀四郎さんが
      ジャムパンを新発売。

お分かりの方は数字もしくはあんパンを作りました方をよろしくお願いします。



    






アバター
2023/07/21 15:23
こんにちは!こちらにもありがとうございます。
おお~、よくご存知ですね。
正解です。
おめでとうございます(祝)
はい、とても有名な方ですね。
はい、解説をありがとうございます。
勉強になりました。
アバター
2023/07/21 02:14
げんりんりん♥ちィ~ッす♪ฅ^•ω•^ฅ
木曜、お疲れ様~☆彡(_´Д`)ノ~~オツカレー♪
1、木村安兵衛(きむらやすべえ)さん☆彡(^_^)v
メチャメチャ有名だもんネ☆彡(゚д゚)(。_。)ウン(゚д゚)(。_。)ウン
酒種酵母使用で、桜の花の塩漬け使用で、独特のアンパンだよネ~☆彡(〃▽〃)ポッ♥
時節柄ご自愛くだしゃんせ~♪(^_-)-☆
無理せず無茶せず、体を労わりつつ、楽しい花金を~☆彡◡( ๑❛ᴗ❛ )◡ルン♥




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