シミュレーション仮説
- カテゴリ:その他
- 2023/03/22 14:02:54
題名のような哲学理論がある。
この宇宙自体、「現実」がはるかに高い文明を持つ存在、あるいはAIによるシミュレーションゲームである、という理論。
夢と現の狭間については古くは荘子の胡蝶の夢(荘子が蝶になった夢を見て目覚め、はて自分の存在は蝶の見ている夢なのか、自分が蝶になった夢を見たのかという故事)にもみられる。
古いSFになってしまっているけれど、スター・トレックシリーズの小説版にも「想いを形作れる神のような存在」が、自分たちの力は強大すぎるので、とその力を「他の存在と交渉しない」としていたり、上位存在が「現実」をおもちゃにしている一片が見られる短編、逆に乗務員が2名、強い力を振るえる「神」になりかけ「良心」を持った一人がもう一人と自身を消滅させることで「宇宙」に干渉しないような結末に至るストーリーなどがある。
おそらくは古代から考えられてきているテーマなんだろうと思う。
わたしは宗教を持たない。多くの日本人はそうだろうと思うけれど。
そんな中にあってワールドシミュレーションゲームもやった身としては、ありうることだな、と思う。
「プレイヤー」がお気に入りにだけ干渉するとかもありそうだなと思うし。
インターネットを通じて今は普段かかわりのないような職種の人(むろん詐称もあるから、そこは判断が必要だけれど)や、エビデンスのしっかりした国際的な総合科学ジャーナル「ネイチャー」などを見たり、ナショナルジオグラフィックなどで最新の科学や医学情報にも触れることができる。そして科学の進歩でヒトは色々を成し遂げてきた。
それでも救えないことは多々ある。
人生プラスマイナスは生涯で平均化されるよ、という慰めがあるけれど、実際そんなことがないケースが多々あるのも見ているし、自身マイナスばかり引いている。
自然の法則が植物でさえも「他の生命を奪うことで自身を維持する、弱きものは運次第」という形であるから、残酷な現実はいくらもある。
古代の碑文にさえあったという「今どきの若い者は」「暮らしが楽にならない」といった「人の悩みも苦しみ」も、文化や技術の進歩でどんどん減っていいはずだけれど、おそらくそう変わりはないんだろうなあと思う。
平均寿命は延びたけれど。
今度それはそれで、村の再現になるんじゃないかと思います。性格の合う合わないは絶対あるので。
以前いたMMOがサーバ全員ほぼ知り合い状態だったので。MMOって社会の縮図で、かつ匿名ゆえに本音が強く出やすいんですよね。
知り合いばかりになると学校のクラスメイト関係なんかが近いです。あんな感じになると思います。
たぶん 理性中心に考える人が大半を占めないと難しいのかなと思います。
古いSFですが、スタートレックのヴァルカン人が論理、理性のみで生きる、としていましたが、それはそれで感情を置いてけぼりすぎて、やはりバランスなのでしょうね。
ちょっと遅くなってしまいましたが。
件の事件は、以前の事件のとき被害者の「立場」が詳細に報道されてしまい、識者の間でこれではテロの正当性を論じることになる。いずれ模倣犯が出ると懸念されていたんですよねえ…
大事に至らないで済みましたが、犯人の「背景」によって暴力に正当性を持たせてはダメなのですよね。そして今回も同じことを報道がやっている……
テロについては加害者の背景を報じると虐げられたから、仕方ないかも……という「同情票」がどうしても集まってしまう。そうなれば「正当な背景があったから暴力で解決もやむなし」となり、テロの肯定に結果的になってしまう。
、戦争が起きる背景って「古来から(たとえ今現在そうでなくなっていても)こういう背景があった。今、どうあがいても自分の思想、施政が相容れないし認めてもらえない」というのが国単位で起きるのが戦争なんですよね。
アガサ・クリスティ(第一次、第二次世界大戦経験者)が作品中で戦争について「各国代表で、けがをしたり死なないような真剣な競技をさせて勝敗を決めればいいんですよ」と自身の分身である女性作家に言わせていますが、これにすべての国の為政者が是を唱えない限り無理なのでしょうね…
ネットリンチなどを見るにつけ「人は正義の名のもとで一番残酷になる」というコミックのセリフを思い出します。
誰しも自分の内包する攻撃性は見たくないものですが、これをどう発散するかって大事だと思うんですよねえ。
わたしの場合はPVP(対人戦)ゲームで発散できている感じです。
そしてnekoyamaさんがお書きになられたように人間は一方で優しさも併せ持っているものなので、そちらも生かしていけると良いのですが。社会性動物はどの種も助け合いの精神を持っていますし。
今の人間社会は、いろんな意味での余裕がなくなっているのもあるかもしれません。
その場に居たひとたちが素早く対応されてて、
怪我人だけで済んでよかったなーと思いました。
ひとらしさとか、人間臭さというのが、ひとだけのものじゃないとしたら、
他の生き物たちと言葉は通じなくても、
考えや行動を理解することはできるんじゃないかとか、
ならば、ひと同士で戦争してたり、殺し合ったり、短気で短絡的で、
それを止めることもできないなんて、
去年の安倍さんの事件の後、宗教で好き勝手やってた団体に対して、
現実的な対応をできているのかな。
海外の紛争にたいしてももっとできることがあるんじゃないかなぁ…
こんばんは~ ぼちぼちです~ ありがとうございます。
黄砂と花粉でえらいことになってますねえ。ぶつかって花粉か砕けて微粒子になっているそうで。
来年アレルギーが増えるかもと。気温、気圧の乱高下もすごいですしねえ。昆虫たちのスタートも例年より遅めのようです。
シャチの社会性はかなり高いようですよね。海棲哺乳類でもイルカ同様、遊びもある程度の文化も持っていますし。
最近ツイッターでオーストラリアの市街のキバタンの群れを観察している方のツイを見ていると、彼らも群れ全体で子育てというか見守りつつ独り立ちさせる(子供同士で遊んだりけんかしたり)という生活をしていることがわかり、これもすごいなと。
中でも事故で両足を欠損してしまった子が、けがが治り、他のキバタンたちの助けを借りたりしつつも、自力で生きていこうとするのもすごいです。
人が思う以上に、社会性の動物たちは人間臭いのかもしれません。
花粉の次に黄砂が大変なことになってますね〜今年の春、
一昨日のお昼頃、派遣先の窓から外を視たら〜視程が3kmくらいになってて、予想以上に、濃いと感じました…>< 外に出たく無い〜
夜寝る準備しながら、NHKの動物番組を観てたら、シャチのグループのリーダーは女性で、狩りの経験豊かな個体だそうです。
子供を産まないくらいに高齢ですが、子供たちに狩りのテクニックを教えるらしいです。
砂浜でアシカの子供を攫う方法は、教えるのが結構難しいらしくって、波に置いてかれて、座礁してしまう危険があって〜
怖がる子供には教えないらしく、子供たちの興味や意欲をしっかり見極めて教えるそうです。
シャチに生まれ変わってみたい〜(笑)
ちょっと調べてみました。グリフォンズガーデン。92年の本なのですね。この内容だと今なら実際にChatGPTや、実際に人の記憶や知識をネットワークに保存して人格になるか、なんていう実験がされていますから、もっとヒットしたかもしれないですね。仮想世界と現実の堺は、もっと今後あいまいになっていくのかもしれないなと思える本ですね。
わたしも子供はご縁がないですが、三大欲求はすべての生き物において老いても「消える」わけではないので、その年齢なりの楽しみ方がきっとあるんじゃないかな。とは思います。
人間は年を経ることで経験が重なっていくので、そこから学習しようとしない人でなければ、視野も志向の幅も広がってゆき、無知の知の意味を身をもって知るようになっていきますよねえ。
教員は案外(身近にいます)「教えること」ができる職ではないので、違った形で学んだこと、知ったことを発信していくのがいいのかもしれませんよ。
でも、歳を齢を重ねてからの方が、教える、学ぶ、ことにより強い喜びを感じる様になった気がしています。
やっぱり教員免許取っとくんだったなぁ〜><後悔〜