Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー48


 「センセ・・・」
振り向くと犬飼の良く知っている女医師が、腕を前で組んで立っていた。
何年か前までは大学病院で女だてらにメスを振るう外科医であったが、どうも人に使われるのは性に合わないらしく、辞職してからはこの町で小さな診療所を開いている。竹を割ったような気性が男勝りで、犬飼と気が合い、医者と患者というよりも、飲み友達の間柄だった。
「あんた、ちっとも捕まらないんだから。ここで網を張ってたんだよ。」
女医は、勝手に先に立って、マンションとは逆方向の路地に入っていく。彼女の診療所はそのすぐ先にあるのだ。
「・・・ひろみちゃんが、きてるよ。」
女医がぽつんと言った。
「え?」
犬飼は小走りに女医の前に出て思わず彼女の肩を掴んだ。目が大きく見開かれ、血走っている。
「安心しな、命は助かりそうだ。」
女医の顔が険しい。犬飼を押しのけるようにして、路地を先に進んだ。犬飼はフクザツな思いで、無言のままその後を付いて行った。
診療所の入り口には、休診の札がかけられていた。犬飼たちが勝手口から入ると、犬飼も顔見知りの看護婦が一人出てきた。
「変わりは?」
「まだねむってます。」
簡単な受け答えがあり、
「ご苦労様。あんたはもういいよ。」
と、女医は看護婦を帰した。
女医に案内されて病室に入ると、ひろみは看護婦の言うように懇々と眠っていた。青白い血の気のない顔の左の目の周りから頬にかけて赤紫に腫れ上がっている。
「ひろみ!」
思わず駆け寄り抱きしめようとする犬飼を女医が止めた。
犬飼の声が聞こえたのか、ひろみが僅かに呻く。
「酷いわね、22口径で肩を後ろから撃たれている。」
「くそっ あの時一緒に部屋を出ていれば・・・」
後悔に涙が頬を伝わった。
なんとか逃げてきて路地の物陰に倒れているのをさっきの看護婦が見つけたらしい。
「・・・酷い事しやがる・・・」

「女を後ろからズドンとはおだやかじゃない。」
女医が苦々しげに言う。
「相手は誰なの?」
「それが、俺にもまだわからん・・・。」
「でも、センセは聞かない方がいいよ。迷惑がかかっちまう。」
「私を誰だと思ってるの?こんな事はしょっちゅうだよ。」
女医はからからと、男のように笑った。
「ああ そうだったな」
この診療所には、辺りのやくざが揉め事を起こしては担ぎ込まれてくるという。腕もさることながら、口が堅いのには定評のある医者で、警察沙汰になるのを恐れる荒くれどもがお得意様ということだ。
「それだけのモノを請求させてもらっている。」
と言う彼女は、ヤクザ者の診療を愉しんでいる面もあるようだ。
「あんたたちに使う麻酔はないよ。」
「男なら辛抱しな」
などと言って、わざと麻酔無しに縫合したり、弾の摘出手術をすると聞いている。案外サディストなのかもしれない。物怖じしない性格、男勝りの度胸、気風のよさ。なかなか女にしておくのは勿体無い。
しばらく、目で笑っていたが、女医は急にまじめな顔に戻って
「人の心配より、これに懲りて、危ない事もほどほどにするんだね。」
打ちひしがれた友をいたわるように、優しく言った。
「危ないのは毎度の事だが、今回はこいつを巻き込んじまった・・・」
「ひろみちゃんの意識が戻ったら、すぐに行動した方がいいよ。」
「路地の血の跡は消しておいたけど、ここに居たらいずれは見つかる。」
女医が、犬飼をまっすぐ見つめて言った。彼女の言うとおり、ひろみの死体が出ない以上やつらは辺りの病院をしらみつぶしに調べるだろう。
「・・・・・」
「1日2日は何とかするから、それから運び出しなさい。」
女医はメモ用紙を出してきてなにやら走り書きをすると、犬飼に渡した。
「私の古い知り合いの病院だよ。他にあてが無いなら当たってみるといい。」
メモには、医院の名前と懐かしい078で始まる電話番号が記されている。
「神戸か?」
「ちょっと遠いけどね、安全なのは確かだよ。」
「センセ・・・」
犬飼はそれ以上何も言えずに深く頭を下げるのだった。





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