「多種多様」を私は否定する。
- カテゴリ:日記
- 2023/02/21 10:47:20
「多種多様性の性を認める」と言う言葉に私は疑問を持つ。
例えば「だれもが性のあり方に関わらず、結婚するかしないかを自由に選択できる社会の実現を目指し」と言う言葉に私は賛同しない。
此れは「同性愛」問題とは全く別の意味になっているからである。
其れを「同性婚」を認めると言う言葉とは違う形になっている。
「同性婚」に関しては認めても「多種多様性の性」と言われると私ははっきりと其の総ての性の在り方を認めて良いのか!?私はそうは思わないときっぱりと言える。
其れなら「幼児性愛者」も「多種多様性」の中に含まれる。60歳の男性がお互いに結婚をお互いが望んで居ると裁判所で証言をして更に12歳の女の子のみに自称専門家と言う人が個別の部屋で何度問いただしても判で押したように其の男との結婚を望んで居ると言ったら認めるのか?
其れとも其の少女に真実を此れまでの体験を真実を話す注射でもして更にカウンセリングを何度もして彼女が所謂何年にもあたってマインドコントロールされて来たのを崩してと言うシステムが日本の今の現状で出来るのか?
「多種多様性」と言う言葉を「同性婚の結婚」と言う事に置き換えるおぞましさをゾッと感じる。
「多種多様性」は例えば彼らが使っているシンボルの虹色の旗が6色であっても7色であっても其れ以上の性の形がある事も含まれてしまうからだ。
私は長年生きてきて色々な例を見てきている。
近所にお雛様の様な若夫婦が引っ越してきた。所謂美男美女の若夫婦である。当時小学高学年だった私はある事に気が付いた。
其の若夫婦の顔は似ているのである。母が普通に其の若夫婦とあいさつをして通り過ぎようとした時に私は「叔父ちゃんと叔母ちゃんの顔は似ているね」と言った。
母は其れこそ私の腕を強く引っ張って寧ろ腕を使って振り回す様にして其の場から私を彼らから見えない所へつれて行って怖い顔をして其れを言っては行けないと言った。
不満に思った私は祖母にべそをかきながら母が私に何も悪い事をしてない自分に対しての理不尽な行為を言いつけた。
祖母は「二度と其の言葉を誰にも言っては行けない」と言った。
所謂二人は兄弟同士の夫婦だった。此れまで見た事のない子供でも解る美しい兄弟は其れ以上の人を見つけらるとは思わなかったのかは解らないが兄にお見合いの話が来た時に周囲の反対を押しきって北海道に逃げて来たのだった。
其の為に女性の方は3度堕胎をして体はボロボロで病気がちになった。
しばらくして女性の方が白髪のお婆さんの様に成ったが男性の方は相変わらず綺麗な男だった。
周りは女性の方に同情をしたが大人達が話し合ってこっそりと男性か女性の子供が出来ない手術を勧めた。
其の時は私も高校生になっていて其れがどういう意味かをしていた。
医学も其れだけ進歩した時だった。それから二人はなんとなく両方同じ様に年を取って行ったように見えた。
でも私は二人の結婚は其れで良かったのかは解らない。周りの大人達は理解していたようだ。
高校生の時に父親と性的関係をずっと長い事持っている同じ年の人に打ち明け荒れた事がる。
一人は早くに母親を失くしていて父と子で暮らしていて何時からかは聞いてないがそう言う関係になってしまった。
自分は其のままで何の不満も無いという。其れなのに父親が再婚する事になった。
相談を受けた私は自分ももう少ししたら好きな男性が出来るからと言ったが父親以外は愛せないという。
其の家に入って来た女を追い出すのを手伝って欲しいという。
何なら殺しても構わないと思っているとまで言われて一緒にいて私が犯人にさせられる危険性を感じて其の事は距離を置いた。
一応見えない所で暴力を振るわれる。家計簿を付けているので授業料を渡してくれないで使い込んでいるとか父親に新しい母親を嫌いになる程度のアドバイズをした。
勿論授業料は渡されているので其れ何か買った食べ物を私は相談に乗ったお礼として貢がれて其れを食べた。
で、親にバレて何とそそのかしたのは私になって父親が怒り心頭で学校に抗議に来た。
仕方なしに私は其の子の父親との性関係を聞かされた事を言って彼女の気持ちを教師に伝えた。
俄に信じられない教師は再度父親を呼び出して問い詰めるとあっさり其れをみとめて理解して欲しいと言ったそうだ。
私は無罪芳名になったが其の後の事は教師は首を挟むなと言ったので言われたとおりに一切かかわらなかったので其の後の事は解らない。
もう一人は幼児の時から実の父親が母親が居るのに自分との関係を持っているとの事で嫌だと言って苦しんでいた。
母親に相談したそうだが母親が居ない時に其れは行われるとの事だった。
それどころか母親が居る時に寝静まるとかなりはなられた自分の部屋に来るとの事だった。
心底ゾッとした。誰にも言わないで欲しいと言うので黙っていたが怖かった。
其れも「多種多様」のひとつだろう。
幼児性愛は対象が女子だけでなく男子にも最初は『被害者』となるが其の後は長い事かけてマインドコントロールされて「自分は被害者」と認識する事無く相思相愛の様になっているかもしれない。
其れでも良いのだろうか?
私は「多種多様」と言う言葉を使って其れを批判する事も否定する事も「悪」の様に扱われる事に疑問を持つ。
「多種多様」の中には私は「嫌悪感や違和感」を感じた例が私にある。
其れを口に出せない世の中になる事の方が私は恐ろしい。
私の場合は父娘の二人のきっかけは解りません。「唯此のままだと父さんは死ぬかもしれないと思った」と言う様な言葉を記憶してます。
此のままで良くないと思ったのは父親の方で娘の将来の幸福を願ってるとの事。
此れは私が彼女の継母の殺人計画よりはマシだろうと出した案(見えない所で暴力を振るわれると言ったり授業料を渡してくれないと言って証拠に学校に授業料を渡された授業料を払わない事)其れで学校からの連絡で父親が真実を確かめに来て追究された其の子が私の名前を出した。
で其の授業料のお金で彼女は「豚まん」を買って私に寄こしたのだけど断ったけどどうしても食べて欲しいと頼まれて其の匂いにも負けて食べたけどあんなおいしくなく気分が悪くなった「豚まん」無く、それ以来「豚まん」はトラウマになってます。
で私が教師に呼ばれて「決して人には言わないと誓った父娘の関係と殺人よりはマシだと思った」と打ち明けると教師も最初は信じずだけど再度父親が調査結果と私に合って直接話したいというので来た時に確かめると父親が其れを認めて其の後は教師に絶対に他言しない事と念を押されて其の子は転校して行きました。
もう一人の方は悲惨で言えません。幼い時から実父との関係があった様です。母親に相談したそうです。
遠くの鍵付きの部屋に移されたそうです。私は少し離れた其の物置の様な部屋が埃ぽくて雑然としていて明らかに子供部屋でもなく部屋でもないので遊びに行っても嫌いで中から鍵がかけられるのも不思議で其の秘密を知りました。
其の時もゾッとしましたよ。あの感覚や違和感や恐怖の様な暗闇を見た様な気分は忘れられません。
私の体験で二人いたという事はもっと色々な形で色々な事が在るのではないでしょうか?
其れを否定する感性を口する事を「悪」として此の国に定着させる事を私は否定します。
ましてやオフレコで自分の感性を言った事を本人の了解も得ずに公にして職を失わせる事を良しとする事を否定します。
同性愛を良しとする感情と同じように其れを良しと思わない感情もあっても良いのでは寧ろ「多種多様の形」と言う言葉が「あたかも正しい事」の様に扱われる事が可笑しいと思います。
昭和43年に起こった尊属殺人事件は娘と父は肉体関係にあって、恋人ができても肉体関係が終わらず娘が終止符を打つために父を殺したという報復事件でした。それで、当時は親殺しは死刑もしくは無期懲役。彼女に酌量の余地があり、親殺しの刑法が変わることになったんですが、殺人に及ばなくても未だ似たような被害があって、黙殺されていると思うとゾッとします。
多様性の前に「いやだ!」と否定しやすい環境が形成されると良いですね>.<
問題はいつの間にか其れを表に出せずに其れが「多種多様のひとつの愛の形」と思い込んでいる事です。
そうでは無い例があるのではという事は差別でしょうか?
其れも言えないの世の中になってしまうのでしょうか?
すると最初は犠牲者だった多くの人達が声を上げられずに黙ってしまうのでしょうか?
マインドコントロールをされた自分の精神と肉体の中でズタボロになってやがてこの形が正しいとおもいこんでしまっているのではと思う事が在ります。
舅に最初は侵されて最初は夫にバレるのが怖かった。だが其の内にそんな関係にのめり込んだ。
でも舅が鴈で死ぬ前に病室に行って「謝って欲しい」と「死ぬ前に誤って欲しい」と自分がどれだけ苦しんだのかを誤って欲しいとそれも「多種多様の一つの愛」でしょうか?
では一度だけで其の時何故強く抗議をして法的措置を取らなかったのでしょう。
夫も押さない子供の胃て実家にも帰れない事情があったとしたら其れでも彼女は苦痛な関係を続けなければならないのでしょうか?
表に出して法の処罰を受けさせる行為は簡単な様に見えてまだ日本では難しいと思います。
環境が整ってない。彼女の逃げ場所も『世間体』とやらはどっちの味方をするのでしょう。
「多種多様」とひとくくりにして其れを批判する言葉を発する人を其の人の無い銘的な苦悩も人には決して言えない深い心の闇の傷があったとして表に抉り出さない限り「同性愛」を否定する言葉を発する事が出来ない世の中の方を私は拒否します。
どっちの考えも口に出して声を上げて良いのでは。
しかもオフレコで言った言葉でしょう。
私は前立腺の刺激は官能的なんだなと医学的見地からも思いますよ。
硬いでかい体よりも色々な体験から優しさを求めて女を見下して心が透けてみる時に安らぎのある友を友達以上に信頼して其れ以上の関係性が無いのではと思う気持ちも理解できますよ。
でも簡単に其処へ到達できずに色々あった時に其の過程の中で「間違い・分岐点・諦め・投げやり・逃避」が無かったでしょうか?
其の分起点の時に強く拒否感を感じた事を或いは私は効いた時に感じた強い抵抗感を口に出す事は許されない世の中になるのは否定します。
確かに、犯罪でさえも「多種多様」に含まれるのなら受け入れられないですね(。ŏ﹏ŏ)